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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
王子漂泊
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青年一人、少年二人

 今まさに追われていた少年は、自らを虞王の第四王子と名乗った。

 流石に盧武成は怪訝そうな視線を向けた。

 一方、姜子蘭と名乗った少年も、名乗ってからしまったと思ったのか慌てていた。

 その時、横にいた均が言った。


「虞王の王子のような高貴なお方が、このようなところで一人でおられるわけがないだろう」


 それは盧武成も思うことであった。

 しかしあり得ぬ話でもないかもしれない、と思う。

 今、虞王は危地にある。顓に支配されている虞は一刻も早くその支配から逃れたいと思っているに違いない。しかし樊が畿内の諸国を率い、そして敗れたことで諸国は沈黙してしまった。

 顓の軍事力は強大であり、安易に矛を向ければどうなるか分からない。少なくとも積極的に虞王を救おうと考える諸侯は今の大陸にはいなかった。

 といって今の虞王朝に独力で顓を倒す戦力はなく、ならば自ら諸侯に働きかけるしかない。


「つまり王子は――いや、虞王は魏氏の力を借りるおつもりなのですかな?」


 姜子蘭と名乗る少年の言葉が真実であると仮定して盧武成は話を進めた。子蘭の顔には明らかな動揺が見られた。

 姜子蘭は悩みながら、しかしやがて小さくうなずいた。


「なるほど。王子の事情はよく分かりました」


 盧武成は、少なくともこの場では姜子蘭の言葉を信じることにした。疑い始めると話が進まないからてまある。

 そして盧武成の言葉に姜子蘭は顔色を明るくした。分かってくれたのかと安堵したのだろう。


「ですが、まずは武庸に参ります」


 その上で盧武成は妥協することはなかった。

 姜子蘭は声を荒げて言った。


「何故だ!! 今の世は間違っているのだぞ!! 虞王が諸侯の上にあって天下を治めることこそが正しい世の在り方である。然るに今の世ではそれが行われておらぬ。顓という名の(えびす)が天子を恫喝し、暴政を民に強いている。天子は凶刃に怯え、万民は戎威に恐れ慄いている。一刻も早くこれを正すことこそが大義というものであろう!!」


 最もですな、と盧武成は頷いた。

 その上で盧武成は、意見を変えることはなかった。


「しかし私は小人でございますので、万民のための大義より目先の小義を重んじるのでございます。故に、先にこちらの均を武庸に届けることを優先させていただきます。王子がそれを待てぬのであれば、どうぞお一人で杏邑に向かわれますように」


 盧武成も頑なである。

 均は、自分は後でもよいと言おうとした。しかし口を開きかけたところを盧武成に強く睨まれたので何も言えなくなってしまった。

 そして、真っ直ぐな眼差しで姜子蘭を見つめた。

 姜子蘭はかなり悩んでいたが、やがて諦めたように、


「……分かった。それで構わぬので、どうか私を杏邑まで送り届けてくれ」


 と、毒を飲んだような顔で盧武成に頼んだ。しかし頭を下げることはしなかった。


 ――少しは道理が分かるらしい。


 盧武成はそんなことを考えていた。

 姜子蘭の言葉がすべて真実ならば、あの戦車の兵士たちは顓の手の者だろう。虞王が諸国に助けを求める使者というものが顓公の公認の下に出されるはずはなく、姜子蘭は密命を帯びた者ということになる。

 それが追われているとなれば、これからも追手は放たれるに違いない。それを一人で退けることは出来ず、密命を果たすには強い護衛がいる。

 盧武成は適任であり、しかし盧武成は均を武庸に送り届けることを一義として譲るつもりはないらしい。

 ならば密命を迅速に果たすことを曲げてでも盧武成の助力を得なければならない。そういう現実的な判断は出来るらしい、と盧武成は思ったのだ。

 姜子蘭を加えての旅となった。

 姜子蘭は齢は十三であるらしい。盧武成にとっては子守をしながらの旅という感覚であるが、顓の兵士から奪った戦車と馬があることで気が楽になった。

 戦車をそのまま馬車に転用して均と姜子蘭を乗せようかとも考えたが、盧武成は戦車を使い、均には御術を、姜子蘭には騎乗を教えることにした。

 均はいずれ范旦の息子の家に仕えることになるだろうから馬車に乗れたほうがよい。姜子蘭はもしかするとまた一人で逃げねばならないかもしれないので、馬車よりも騎馬のほうが小回りが利く。盧武成にはそういう考えがあった。


「武成は馬に乗れるのか?」


 自分に手際よく馬術を教えてくれる盧武成を見て、姜子蘭は驚いた。

 この時代、とりわけ畿内で乗馬の出来る人間というのは稀である。畿内の人間には、馬に跨るという行為は蛮行であり、それを行うものは蛮族であるという考え方があった。

 しかし盧武成は悠然と馬に跨り、馬を自分の足のように扱っている。

 それが姜子蘭には不思議だった。

 そもそも、馬への乗り方というものを正しく知っている人が畿内にはまずいないのだ。例外は顓の人であるが、少なくとも姜子蘭には盧武成はそうは見えなかった。

 言葉使いは綺麗であり、礼儀というものを弁えている。その頑なさに思うところはあれど、顓という戎の如き蛮人とは思えなかった。

 しかも姜子蘭がどこで学んだのかと聞くと盧武成は、


「父に教えてもらいました」


 と事も無げに言うのである。


「馬術に限らず、剣から棒術、各国の文字や、儀礼に至るまで、生きるのに必要なことはすべて父から教わりました」


 そう言うので、姜子蘭は、


 ――武成の父とは如何なる人であろうか。


 と疑問に思った。

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