車騎の優劣
姜子蘭たちが進んでいるのは、子狼が肥沃と語った列亢の地の中では、田畑と縁のない開けた荒野だった。涼秋を過ぎ、間もなく冬将軍を運んでこようとしている冷ややかな風が地面から飛び立った砂ぼこりを踊らせている。
明らかに、その一点で何がしかの騒動が起きているのだ。しかし灰色の幔幕に覆い隠されていて姜子蘭たちは中の様子を掴めないでいる。
「近づいてみようと思うがどうか?」
姜子蘭がそう聞くと盧武成は、
「我が君がそう思召すのであれば、そのように」
と言って、自ら先行して馬を走らせた。姜子蘭、子狼、脩の三人もその後に続く。
近づくにつれて段々と状況が明らかになってきた。軍が馬車隊を襲っているのである。軍のほうは戦車に乗りこみ、鎧を着こんだ正規兵のようであった。そして襲われているのは、そのいずれもが礼服を着た庶民である。馬車の先頭では若い男が車を御しており、その後ろには荷を積んでいると思しき二台の車が随走している。
そして、戦車隊は左右に三乗ずつ走りながら、戈や弓を使って馬車隊を攻撃していた。すでに死者も出ているようである。
「今一つ、状況が判然と致しませんな」
子狼は顎に手を当てながらその横にいる姜子蘭に言った。前を走る盧武成にしても、どうすべきか考えあぐねているようであった。
その時である。ひときわ激しい風が吹き、砂塵の帳を晴らした。
そこに見えた、馬車隊の中で手綱を握る者の顔を見て、盧武成と姜子蘭は離れながらも同時に馬腹を蹴って駆け出したのである。
「子狼、策を出せ。あの馬車隊を助け、戦車を追い払う!!」
急に命じられた子狼は、どういう訳でそう決めたのかは分からなかったが、しかし、
――面白いことになってきた。
と、密かに口元をほころばせた。姜子蘭に続いて馬を走らせた子狼は、その横を走る脩に聞いた。
「なあ脩。今日は風が強いが、狙ったところに矢を飛ばせそうか?」
「風の機嫌が悪かろうと、雨と一緒になってかかってこなけりゃ容易いもんさ。だけど、あの兵士たちを殺せってなら私は嫌だからね」
「ああ、それで構わない。馬を走らせて、なるべく遠くから――の――を狙って射てくれ」
脩は静かに頷いた。
その間に盧武成はもう馬車隊の戦闘まで駆け抜け、手にしていた戟を先頭の戦車の手綱を握る者目掛けて振るう。突然の乱入者に困惑していたが、その困惑はすぐに消える。制御を失った戦車はそのまま大きく地面へと倒れ込み、乗っていた兵士たちは意識を失ったからだ。
しかし他の戦車と馬車はまだ走っている。
盧武成が転がしたのと反対側の戦車から、二台目の馬車に向かって戈が伸びた。
それを見た盧武成が舌打ちしたのは、馬車がやられそうになったからではない。姜子蘭が剣を構え、馬車を庇うようにその前に馬を走らせてきたからだ。
御をしていた少年の服を掠めそうであった戈は姜子蘭の剣に阻まれて間一髪、地に落ちることを免れた。邪魔立てされたことに苛立った戦車隊は、その標的を姜子蘭に変えた。
姜子蘭は、ちらりと一度だけ御者の少年を見ると、表情を険しくして馬腹を蹴る。
「さあ、駆けよ迅馬!!」
姜子蘭の叫びに応じて、維氏の誇る駿馬は風のような速さで走った。
狙うは先頭の戦車である。
姜子蘭は、前に子狼に聞いたことを思い出していた。
『はて、戦車と騎兵ではどちらが強いか、にございますか?』
姜子蘭がそう聞くと子狼は、どちらと断言することもなく、
『状況次第ですな』
と答えた。
『例えば、無論平地では戦車が強うございます』
『ならば、平地では騎兵は戦車を相手取らぬほうがよいということか?』
『いえいえ、それもまた状況によりますし、こちらに騎兵しかおらぬのであれば策を持って勝ちを求めることも可能でございますとも』
『例えば、どうすればいい?』
『戦車の強みは面で当たれば隙がなく破ることが困難ですが、線であれば恐ろしくはありません。こちらは巧みに兵を操り、敵の戦車が縦列で、しかも車間を取れずに進むように誘導した上で馬と御者を狙い先頭を走る戦車の足を止めれば、その軍はたちまちに陣形を乱すことでしょう』
そして今、図らずも戦車は距離を詰めながら縦列の陣形を取っている。
そこが狙い目と見た姜子蘭は迅馬を走らせ、先頭の戦車の馬の一頭に体当たりをさせた。馬の質で言えば迅馬のほうが遥かに体躯も膂力も勝っており、ぶち当たられた馬の足がもつれる。
その時、反対側からは脩が馬を走らせていた。馬上で弓を構え、鏃のついていない矢を番えている。
その矢が脩の手を離れた。風に流されながら弧を描く矢が、戦車を曵く馬の一頭の首筋に刺さる。痛みに狂った馬は隣で戦車を曵く馬を巻き込んで大きく地面に倒れ込んだ。
こうして左右ともに隊列が乱れたのを見て、子狼が後方から叫ぶ。
「今のうちに遠くへ逃げろ!!」
叫びに応じて三台の馬車はまっすぐに駆ける。姜子蘭たち四人は馬車を守るように左右に馬をつけた。
馬車と並走しながら姜子蘭は、真ん中を走る馬車の御をする少年に笑みを投げた。
「久しぶりだな。怪我はないか――均?」
「……し、子蘭王子?」
姜子蘭と盧武成が躊躇いなく駆け出して行ったのは、そこに知己の少年の姿が見えたからであった。