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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
公子三人
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公子三人

 子狼の話によると、今の薊の三人の公子は年長順に、練孟(れんもう)岸叔(がんしゅく)利幼(りよう)の三人であるらしい。いずれも(あざな)である。ちなみに齢の話をすれば、練孟が三十、岸叔が二十三、利幼が十九である。

 このうち、利幼は父たる薊侯の方策に真っ向から否を唱えたとのことであった。


『私は君主の座など欲しいとは思いません。そして、二人の兄上のうちどちらが父の跡を継がれたとしても微才なこの身を尽くしてその治世をお助けする所存にございます』


 そう直言し、後嗣を定めるよう薊侯に迫った。しかし薊侯はその言葉を要れず、むしろその直感を気骨ありと称賛した。

 そして二人の兄は利幼のその振る舞いを、


 ――清廉の士を気取って父に取り入り後嗣にならんとする偽善者め。


 と見なして唾棄しつつ、利幼の封地に盛んに攻撃を仕掛けたのである。利幼は度々、二人の兄に対して、自分には薊侯となるつもりなどないと弁明の書簡を送ったのだが、二人の兄は、ならばこちらにつけ、それが出来ぬならばもう片方と誼を結んでいるのだろうとしか返してこなかった。

 そして三公子の争いは一年にわたって続いているらしい。と、ここまでが子狼の知る薊国の内情である。酷いものだと、姜子蘭と盧武成は感じた。


「二公子は自分の勢力を盛んにすることにのみ注力し、薊侯はもはや国を譲った気になってろくに政治を行おうともいたしません。今や薊の民心は荒廃しきっております」


 二人の反応を前に、子狼は敢えて平然とそう言い放った。


「よく分からないけど、なんか大変なことになってる、ってことでいいのかい?」


 脩の言葉に子狼は頷いた。その内容について脩に詳しく話すつもりは、今のところないようである。


「なるほど。それで子狼は、私にどうしろと言うのだ?」

「薊国に入られて正義をお行いください」


 姜子蘭の言葉に、子狼は答えになっていない言葉を返した。


「正義か。それはつまり、利幼公子を助けて薊国の政道を正せということか?」

「とりあえずのうちはそれでよろしゅうございます。ですがあくまで――薊国のために何が最善かを考えてお動きください。ここまでの話はあくまで私の知識のみ。実情は我が君がその目でお確かめなさいますように」


 子狼にそう言われて姜子蘭は、息を呑みつつ頷いた。

 安易に指針を示すよりもよほど難しいことである。


「正義、か。ねえ武成。正義ってのはいったい何なんだい?」


 脩に問われた盧武成は遠い目をして黙り込む。それは盧武成にとって、いいや、この場における誰しも――そして、この世の誰にも答えることの出来ない謎であった。

 正しき道。善き在り方。そう言ってしまうのは容易いが、しかし正しさや善というものは何であるのかというのは、それに真摯に向き合う者ほど惑い、悩み、そして世の不条理に行き当たって答えから遠のいてしまうものなのだ。


「……お前の師匠にでも聞いてみたらどうだ?」


 盧武成はにがにがしく、視線を子狼にやった。脩の無垢な双眸がじっと子狼を見つめる。

 子狼は小さく苦笑した。盧武成の困り顔が珍しいのと、困り果てて自分に話を振ってきたことが愉快だったからである。

 しかも子狼は、脩と、そして姜子蘭にも視線を向けられながら何かを語るでもなくただにやにやと笑みを浮かべて黙り込んでいる。やがて脩がしびれを切らした。


「なあ子狼。質問に答えておくれよ? あんたは私なんかよりもずっと頭がいいんだろう? なら、私の思いつく疑問にくらい、何だって答えられるんじゃないのかい?」

「そうだな。しかしこれは、俺などよりも頭の良い物でさえ未だ答えを出せていない問いかけなんだよ。いいや、むしろ頭が悪く性根の腐った人物のほうが、存外あっさりと答えられるような話でもある」

「どういうことだよ? もっと分かりやすく教えておくれよ」

「そうだな。ならば、例えば俺がここで正義とは何ぞやと定義したところで、お前がそれを信じてしまえばそれは正義ではなくなるということさ。これは何に置いてもいえることでな。『師の言、疑うべきなり』といって、師の教えを鵜呑みにしている間は、学んでいるとは言えない。ただ教えられたことを暗記しているだけなんだ」


 子狼の言葉に脩はますます困惑していた。子狼も、流石に一度に難しい話をしすぎたかと思って少し反省している。


「子狼。それは三疑(さんぎ)か?」


 姜子蘭に言われて子狼はおや、と感心したような声を出した。


「我が君はご存じでございましたか。私も肥翁から聞いたことしかなく、ほとんど知られておらぬ言葉であると思っておりましたが」

「私は武成から教わった。武成は父から教えられたのであったな?」


 その言葉に盧武成は頷く。

 子狼はその話を詳しく聞こうとしたのだが、ついに脩がたまりかねて叫びをあげた。


「ああもう、男連中は小難しい話ばかりしやがって!! 私、お腹減ったからそのあたりで雉でも取ってきていいかい?」


 と言って、馬腹を蹴って走り出していった。流石に一人は心配になるからと姜子蘭は子狼に命じて脩の後を追わせる。

 後に残った姜子蘭と盧武成は、二人が戻ってくるまでこの場から動くことが出来なかった。

 そして姜子蘭は、先ほどうやむやになったことを小さく口にした。


「正義とは何か、か――」

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