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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
公子三人
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大徳の片鱗

 子狼が、実は自ら志願して姜子蘭に仕えたのだという話を聞いて、姜子蘭もその理由が気になった。

 盧武成にしてもそうだが、有り難いと思う反面、何故自分のような少年にこのようや異才の者が進んで仕えてくれるのだろうかとは疑問に思っていたのである。


「そうですな。私は……譎詐や謀略、姦計を得意とします。他者を騙し裏をかくこととなれば、人並み外れているほうでございましょう」

「あんまり自慢できるような話じゃないね」


 子狼の言葉に脩は呆れている。しかし戦や政治においてそういった手段は必要なことであり、必ずしも悪いことではないと姜子蘭は助け舟を出した。

 しかし、他ならぬ子狼が脩の言葉に頷いたのである。


「まったく、脩の言う通りでございます。よいですか王子、人の世とは誤りに満ちているのでございます。戦とはその最たるものでございましょう」


 子狼はらしからぬことを言った。幼少から軍事に携わり、兵馬を持って身を立てた維氏の子とは思えぬ発言である。

 姜子蘭は怪訝そうな顔をした。


「かつて焱朝は暴政を行い、我が祖たる武王は兵を率いて紂帝を倒した。それが間違ったこととは私には思えないぞ」

「それに、今の世の中は物騒に過ぎる。もし国に兵なくば、その国はたちまち四方から訪れた敵によって荒野と化すことだろう」


 これが姜子蘭と盧武成の言葉である。

 盧武成のほうは、以前に子狼の胸中を聞いて知ってはいるのだが、その真剣さを確かめるように敢えて意地の悪いことを口にしたのである。

 だが子狼は二人の言葉を少しも否定しなかった。盧武成の試すような言葉さえも受け入れて頷いたのである。


「ええ。ですが確実に言えることは、誰かが初めに武器を作り、それを人に向け、やがて衆を為し徒党を組んで争うことを始めたのであり――それよりも昔には戦というものはなかったということにございます」

「む、まあ……それはそうに違いないが……」

「初めて戦を行った者にいかなる事情があったかは分かりません。それは貪欲からであったかもしれず、あるいは飢えた一族を養うためにやむを得ず他者から奪う決断をしたのかもしれません。ですが問題なのは、一たび他者から力で奪うということを覚えてしまった以上、他の者もそれに対抗するために力を持つ必要に迫られたということでございます」


 子狼の言い分は二人にも分かった。これは大半の人間が、そういうものだから仕方がない、考えてもどうにもならないと思って無意識に目を逸らしていることなのである。


「もちろん、私は戦を否定しているわけでもなく、兵を有することを非難するのでもありません。ですが戦はあくまで手段の一つであり、その道を取るということは悪を倒すために悪に染まる――つまり、(いん)を鎮めるに陰気に手を染めることなのです」


 ここでいう陰とは、虞においての学問の基礎となる陰陽(いんよう)学における陰である。万物にはすべて対となる物があり、それらは陰と陽で区別が出来る。陰陽については、両者が調和を取ることによって世に平穏が保たれるとする見方もあれば、陽気が陰気を凌駕しなければ乱が起こるとするものもあり、子狼の考え方は後者であった。


「それで、結論はどこにある? お前はまたぞろ講義らしきことを初めて最初の話を煙に巻こうという腹ではあるまいな?」


 盧武成が声を刃物のように鋭くして聞いた。


「別に私はそれでもかまわないぞ、子狼。だいたい、武成だって私に臣従してくれた理由について、自分でも分からないと言葉を濁したではないか」


 そう言われて盧武成は言葉を詰まらせる。振り上げた刃が自らの頭上に落ちてきたような心境であった。


「私は二人の心を疑ってはいない。権力にも名声にも興味のない武成と、維氏の子としてどのようにも身を立てることが出来た子狼が私に仕え、ここまで来てくれたのだ。その行動だけで私には十分であり、わざわざ口にしたくない胸中をさらけ出してくれなどとは言わないさ」


 そう言われて子狼はかえって恐縮してしまった。そして、晴れやかな顔を見せた。


「王子はやはり良き御方であり、名君たる素質をお持ちでございますな」

「そうなのか?」


 姜子蘭は他人事のようであった。子狼が諛言を用いる人とは思っていないのだが、しかしどうして急にこのようなことを言い出したのか分からなかったのである。

 不思議そうな顔をしている姜子蘭に、子狼は白い歯を見せて笑った。


「王子は性格が素直で、他者を慮る心をお持ちでございます。されどただ柔弱なだけでなく、時に勇気を奮い困難に挑むことも厭われません。そして、人の世には策謀や武力を持ってせねば為せぬこともあると御存じでありながら、そういったことに不得手でございます」


 褒められているのか貶されているのか分からない、というのが姜子蘭の素直な感想である。より性格が苛烈で直情的な盧武成は誹謗と見なして腰の剣に手を掛けようとした。


「まあ落ち着け武成。人の上に立つ者は万事に精通している必要はない。むしろ、そういう物を得意とせぬほうがよいのだ。君主が武威を誇ればその国は戦に明け暮れて疲弊するだろうし、策略に長けていればいずれは他国からの信義を失って孤立するだろう」

「む、それはそうかもしれないが……」

「優れた君主というのは、時にそういう物を用いながら、それら世に悪とされるものを覆う大徳を持って臣民や他国に接せねばならない。俺は前にお前にそう言ったはずだぜ?」


 そう言われると盧武成は黙り込んでしまった。


「その大徳の片鱗を王子に見たからこそ俺は我が君に仕えると決めたのであり、お前もおそらくそうなんじゃないのか?」


 そして盧武成も、改めてその思想を聞かされると段々とそんな気がしてきたのである。

 一方、当の姜子蘭には自分が子狼の語るほど大した人物なのか分からなかった。しかし、盧武成と子狼を従えるにあたって目指すべき一つの指針を得ることは出来た。

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