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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
公子三人
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東へ

今日から第三章です。よろしくお願いします!!

 姜子蘭は子狼の勧めに従って東へ向かったが、それを知らぬ趙白杵は南へ向かってしまった。しかしそれは仕方のないことである。

 姜子蘭たちは霊戍を出て何処へ向かうかを維弓にさえ告げずに去ったのである。それは子狼の、姜子蘭の行方を悟らせぬための配慮であり、見送りを断ったのもそのためである。

 姜子蘭たちが旅立ったその日、朝議を終えた維弓は自邸の一室で楼環と茶を飲んでいた。


「さて、今ごろ王子は何処におられますかな?」


 維弓は蒼天を見上げながら楼環に問いかけた。

 その質問に楼環は、さて、と言葉を濁した。楼環には子狼の考え方がある程度分かるので、姜子蘭たちがどこへ向かったかは見当がついている。

 しかしそれを口にすることはしなかった。

 維弓はそれを察しつつも、聞くことはしない。もはや二人にとっては王子のこれからよりも、まずは勲尭との戦いに心を砕かねばならないからだ。

 維弓にとっても楼環にとっても、勲尭とは確かに強敵である。しかし戦って勝てないことはないと考えていた。問題があるとすれば兵の強さや二人の差配ではなく、維氏の内側にある。その懸念を表に出すことはしないが、二人とも同じ心境であった。


 ――私も長く生きたが、これから先の世がどうなるかは分からない。あるいは、私の子は維氏ではなく、あの王子に仕えることになるやもしれん。


 楼環は、心の中だけでそんなことを考えていた。




 姜子蘭、盧武成、脩の旅に子狼が加わった。

 子狼が東に向かうと言ったので、一行の先頭を進むのは子狼である。これからのことを思えば大いなる苦難が待ち受けているに違いないのだが、四人の顔に悲壮感はない。

 今は一行は霊戍から見て北東に連なる盂林山脈に沿って進んでいる。雪の季節が来る前に維氏の領を越えなければならないので少し急ぎ気味ではあるが、追手がいないという事実が姜子蘭を落ち着かせている。

 旅を進めながらも、子狼は姜子蘭と脩に色々なことを教えていた。

 姜子蘭には主に兵学であり、脩には文字と最低限の儀礼である。脩は文字を見るのも初めてで、子狼に渡された竹簡を見てうんざりとした顔をした。


「こんなもの読めなくたって、腹が減ったら獣を射て魚を釣り、そいつを食えば生きていけるんだ。私がわざわざ覚える必要もないだろう?」

「まあそうだな。だが、読めて困るもんじゃないぜ。俺の邸にいた時、お前はうまそうに飯を食ってたじゃないか。ああいった料理をどうやって作るか、みたいなことを記した書物もある。そういう物なら読めたほうが楽しくねぇか?」


 子狼にそう言われると脩は、まあ、と頷いた。霊戍に来てから脩は料理というものに興味を持ち始めていたのである。子狼の邸の庖人(ほうじん)たちの間でも、何を食っても表情を変えぬ盧武成と違って、食べるたびに表情をころころと変えて喜色を見せる脩はよい客人であり、評判が良かった。

 脩は時には厨房に顔を出して材料や作り方を聞いたりもしていた。それらは今も覚えているが、いつまでも覚えていられるかは分からない。字を書くことが出来れば、そういったことを残しておけるかもしれないと思うと脩も字を学ぶことに積極的になった。

 そうして五日ほどが経った。

 明日には盂林山脈を越えて維氏の領を出るとなった日の夜のことである。その日は、山の麓にある宿屋に部屋を借りて宿泊することになった。宿屋といっても、牀と小さな卓が一つあるだけの簡素な部屋しかないが、それでも今の四人にとっては十分である。

 姜子蘭と脩は牀に寝転がるとそのまま眠ってしまった。しかし盧武成は、落ち着いたら飲もうと子狼から誘われていたので部屋で待っている。ややあって、酒瓶と杯を二つ持った子狼がやってきた。

 子狼が酒を注ぐと、盧武成はいちおう一口だけ口を湿らせてから聞いた。


「それで、何だというんだ? 明日も早いのだろう。それにもうここを越えれば(けい)領だ。これまでのように勉強しながら旅をするほど気も抜けないだろう」

「ああ。故に今宵は、王子も熟睡なさっているだろうと思ってな」


 子狼が声を潜める。つまりこれは、姜子蘭には聞かせたくない話ということだ。

 盧武成は、いちおう周囲を警戒し、部屋の外に人がいないかを確かめてから子狼の話を聞くことにした。


「なあ武成。王子は確か、虞王より密勅を賜り、杏邑を目指すように命ぜられたと言っていたな」

「ああ」

「その勅書の文言をお前は読んだか?」


 いいや、と盧武成は静かに否定した。同時に盧武成は、子狼はここまで来て姜子蘭の身分の真贋について語ろうとしているのではないかと訝しんだが、その懸念に対して子狼は、まるで心の中を読み取ったかのように否定した。


「それを気に掛けるくらいであれば、とっくに逃げているさ。心配せずとも、俺も王子に忠を尽くすつもりで霊戍を出てるよ」

「それならばよいのだが、ならばお前は何が気になるというんだ?」


 そう聞かれて子狼は、勅書の文言を読み上げる。維弓が姜子蘭と謁見した時に読み上げられたもので、子狼もその場にいたので覚えていたのだ。


「『我が父に罪あれど我に罪なし。然るに顓戎、虞を侵し朕を恫喝す。玉座は累卵の上にありて天子は明日も天子であるか定かならず。されど朕は樊伯の挙を忘れた日なし。今、朕の曇天の御代にまだ鋭気の失われざるは、乃ち東に樊あればなり。直ちに兵を挙げて顓を(はら)うべし』、だな」


 盧武成はここで初めて勅書の中身に触れたのであるが、聞いた限りでどこにおかしなところがあるのか分からなかった。

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