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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
王子漂泊
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白刃一閃

 暴れ馬の馬首にしがみついていた少年は、それを追っているであろう戦車に乗る者たちの掲げる松明の明かりに照らされると顔と身なりが見えた。

 長髪を後ろで束ねた、蒼い目の少年である。上質の絹を着ており、腰には白銀の鞘に収まった剣を佩いている。泥に汚れながらもその肌は玉のように白く、身分卑しからぬ人であることは用意に想像がついた。

 同時に、これは好機だとも思った。

 あの少年を助ければ馬が手に入るかもしれないと盧武成は考えたのである。 


 ――他人の苦境に付け込んで己の幸いとするのは卑劣かもしれん。だが、あの少年とて困っているだろう。あの戦車にのる輩に囚われてはただでは済むまい。これを助けるのは善行に違いなかろう。


 自分たちは馬が手に入り、あの少年は苦境から脱することが出来る。互いに得をするのであればそれで良いではないかと盧武成は自分を正当化した。


 ――だいたい、如何なる事情があるかは知らぬが、武装した戦車で少年一人を狙う連中などろくな奴らではあるまい。ここで撃退しておくのが世のためというものだろう。


 そう思い、盧武成は側面から回り込んで少年を庇うようにその前に立った。


「待て、そこの悪漢どもめ」


 不意の闖入者に少年も、戦車に乗る兵士たちも暫し困惑していた。盧武成は均を優しく降ろすと少年に預けた。


「助勢してやるから、その子を任せたぞ」


 と短く言った。そして少年の腰に手を伸ばし、剣把に手をかけ引き抜いた。

 今の盧武成は均を背負って歩くために、棒も弓矢も捨ててきている。故に剣だけは少年から借りねばならなかった。


「暫し借りるぞ。――命に比べれば安かろう」


 そう言うと盧武成は改めて兵士たちに向き合う。

 兵士たちは、ある者は戈という先端に鉄器を付けた長柄の武器を持ち、ある者は弓に矢を番えている。


「何者かは知らぬが、命が惜しくば立ち去れ」


 兵士の一人が居丈高に言う。当然の言葉であった。

 むしろ、この状況下にあって問答無用で殺しにかからぬだけ文明的だとさえ盧武成は思う。今の盧武成の行動はそれほどまでに無謀であった。

 しかし盧武成は落ち着いている。

 そしてゆっくりと戦車に近づくと、勢いよく踏み込んで、戦車を曳く馬の一匹の目を剣の切っ先で思い切り突いた。

 馬が暴れ出し戦車が揺れる。

 盧武成はその隙に戦車の側面に回り込み、戦車に飛び乗るとたちまちに戦車に乗る三人の兵士の首を刎ねた。

 左右の二乗に乗る兵士が動揺している間に盧武成は松明を拾い、左の戦車に投げつける。と同時に自らは右横の戦車に飛び移り、やはり一瞬でそこに乗るすべての兵士の首を刎ねてしまった。

 残る一乗の戦車に乗る兵士たちは燃え盛る戦車の上で右往左往している。盧武成は弓を拾い上げて言った。


「断っておくが、俺は弓も使えるぞ」


 と、威圧するような低い声で言った。


「潔く退くならよし。そうでなければ、この場で弓鳴りを三回響かせねばならぬ」


 そう脅されて、兵士たちは怯んだ。

 暫し顔を見合わせると、戦車を捨ててあっという間に逃げ去ってしまった。

 後に残ったのは兵士の死骸と燃え盛る戦車が一乗、無傷の戦車が一乗である。ちなみに彼らの戦車は一乗につき馬が三頭立てであり、うち一頭は盧武成が目を潰してしまったがそれでも健常な馬が五頭は残されている。


 ――これで武庸までつつがなく行けそうだ。


 そう思いつつも、それを表に出すことはなくまずは少年に近寄った。そして自身の服の裾で剣の血を拭って少年に返す。


「大事無いか、少年」


 盧武成は打算ありきで助勢したことなどおくびにも出さず、少年を気遣うような素振りを見せた。


「……う、うむ。助かった。感謝する」


 少年は声を裏返しながらも礼を述べた。

 しかしその物言いは、尊貴な人の物言いだと盧武成は感じた。


「さて、ところで貴方は如何なる因果あって彼の者らに追われていたのですかな?」

「それは……言えぬ」


 少年はまだ盧武成のことを警戒しているらしい。

 苦境を救ってくれたからと言ってすぐに信用出来ないのは、この少年にもそれなりの事情があるのだろうと察しがついた。

 そこで盧武成は問いかけの内容を変えることにした。


「我らはこれから樊の武庸へ向かうのですが、貴方はどこを目指して居られるのですか?」

「あ、杏邑(あんゆう)だ」


 盧武成は僅かに眉をひそめた。

 杏邑とは樊の領内であり、樊の中卿である魏氏の治める城である。


「我らは武庸へ向かう道中でございます。武庸に立ち寄った後でよろしければ、私が貴方を杏邑へお送りしてもよろしいですがいかがでしょうか?」


 似合わぬことをしている。そう思いながらも盧武成は努めて慇懃に言った。


「む、それは……」


 少年は不満げな顔をした。


「れ、礼ならば弾む。それ故にどうか、先に杏邑に行ってもらうことは出来ぬか?」

「出来ませぬな」


 盧武成はそう言い切った。


「私はさるお方に頼まれて、そこの均という少年を武庸に送り届けると約束いたしました」

「……それは、幾らもらったのだ? その倍額、いや、三倍の報酬を出そう。だからどうか先に杏邑へ」


 少年も必死である。

 しかし盧武成は引き下がらなかった。


「報酬の多寡ではありません。ただ先約である、というだけの話です。お聞き入れいただけぬのであれば私のことは諦めてお一人で行かれるがよろしかろう」


 その突き放した態度に少年は慍色を示した。そして、意地になって叫んだ。


「私は!! 虞王の第四王子、姜子蘭(きょうしらん)であるぞっ!!」

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