陶族襲来
同姓の誼でないのならば、何を思ってここまで姜子蘭と旅をしてきたのか。
そう問われて盧武成は、とりあえず答えるまえに一杯、ごくりと椀の酒を一息で飲み干した。
「……ただの成り行きさ。天子や王朝に興味はないが、あのような子供が一人で旅をしているのは見捨てておけなかった」
「なるほど。だから――魏氏の兵に囲まれて絶体絶命の王子のためならば、白刃の中に身を投げることさえ厭わぬというわけだ」
盧武成は酒を継ぎ足そうと手に取った酒瓶を思わず落としそうになってしまった。
その反応が維子狼にはたまらなく愉快であり、さらに盧武成を揶揄うべく酒で舌を潤していく。
一方の盧武成は、姜子蘭が教えたのだろうと思うと険しい顔をした。
「そう怖い顔をするなよ。ただでさえおっかない顔がよりいっそう恐ろしくなってるぜ」
「誰がそうさせていると思っているんだ!!」
夜半であるにも関わらず盧武成は叫んでしまった。
「いや、素晴らしいことだと思うぜ。他人の苦境を捨て置けず、我が身を顧みず危地に飛び込んでいく。それで関わってしまえばその困難に共に挑む、ということは常人ではいざしらず、一国の君主に仕える者であってもなかなか出来ないことだ」
維子狼にそう褒められるたび、盧武成は喉の奥がうずうずと震えてくるのを感じていた。
「なあ、武成――」
維子狼がそう言いかけた時である。
家臣の一人がその場に現れた。維弓からすぐに参上せよとの使者がきたとのことである。このような夜に急な召集とはただならぬ事が起きたに違いなく、維子狼としても話はここでひとまず打ち切らざるを得なかった。
維子狼が急ぎ胡服を着て維弓の下に行くと、そこには既に維子狼以外の呼ばれた者は揃っていた。
「ふん、優雅な出仕だな。女でも抱いていたか?」
そう嫌味を言ったのは維子狼の次兄である維仲堰である。顔に起伏が少なく、よく言えば淡麗だが維子狼に言わせてみれば、川辺の玉石のようなのっぺりとした顔の男であった。
「これは失礼をしました」
維子狼は嫌味をたっぷりと込めて、慇懃に遅刻を詫びる。しかしそもそも、維子狼の邸は霊戍の外にあるのに対して他の者は霊戍に住み、兄たちは維弓の邸に住んでいる。どうやっても維子狼が一番に来ることは出来ず、むしろ夜であることを鑑みれば維子狼は十分に早く来たほうである。
「それで父上、いかがなさいましたか? 既に御一同は周知の話かと思いますが、遅参したこの不心得者のために今一度お聞かせいただきたい」
維弓に向かって深々と頭を下げる。こちらの言葉には含みはない。
「うむ。北の陶族が攻め寄せてきて、仇狄の邑を攻め、これを焼いた」
「――なんと」
維子狼は流石に顔を険しくした。
陶族とは維氏の領よりもさらに北にいる騎馬民族であり、主に遊牧と略奪を生業としている。族というが抱える騎兵は二千を超え、末端に至るまで皆が馬の扱いに長けた剽悍な兵であった。
そして仇狄というのは、今は維氏に臣従している山間民族の一つであった。さらに問題なのは仇狄の邑は維氏領の北端と霊戍のおよそ中間に位置する。しかし今に至るまで何の報告もなく、陶族の兵は維氏に悟られぬままにその喉元に兵を突きつけた形であった。
「それで、どう対処することに決まりましたかな」
維子狼がそう聞くと維弓は苦々しそうな顔をした。
「それが未だ定まらぬゆえ、お前の意見を聞きたい」
「なるほど。では、兄上たちと楼右司馬はなんと仰せになったか、まずはそちらからお教えください。同じようなことを何度も聞かされては父上も煩わしゅうございましょうからな」
そう言って維子狼は維仲堰と、長兄である維孟、三男である維叔典、そして楼左司馬――維氏の軍の長である楼環を見た。
長兄の維孟は顔立ちは整っているが色白で、女好きのする容姿ではあるが線が細い。その見た目の通り荒事が苦手であり、酒と女が好きというところだけは維子狼と似た男である。
「……霊戍に兵を集め、籠城するがいいと進言した」
「なるほど」
維孟の言葉に頷くと、次に維子狼は維仲堰のほうを見た。維仲堰は忌々しげに目線を逸らす。何の献策もしていないことを察したので、目線を維叔典に移した。
維叔典は体躯に恵まれた、長身で筋骨隆々の男である。齢は維子狼と三つしか変わらないが維子狼の三人の兄の中ではこの場で一番堂々としていて、よく通る声をしていた。
「ここで惰弱に負けて消極的な手を取れば陶族を増長させることになる。早々に討たねばなるまい。しかしその具体策が出ぬ故にお前の智慧を借りようと思っているのだ」
声は威圧的であるが、その中に維子狼への敬意がある。
維叔典もまた維弓の正室の子ではあるが、他の二人の兄と違って維叔典は維子狼に好意的であった。
「叔典兄上は私のことを買いかぶられておりますよ。私の浅知恵など借りずとも、楼左司馬がおられるではありませんか」
そう言うと、一同の視線は維弓の横に控えている老将――楼環に向けられた。