盧武成の姓名
虞の史氏の縁者ではないか。維子狼にそう聞かれて盧武成は眦を険しくした。
ちなみに虞の史氏とは、前に書いた通り、虞王朝で様々な技能を司る虞の六氏――礼氏、歌氏、史氏、暦氏、築氏、卜氏のうちの一家であり、史官の家である。
ちなみに卜氏については占いを司る家であるのだが、この氏については盧武成は巫氏という家だと父から教わっており姜子蘭の知識と食い違いがあったのだが今は卜氏としておく。
とにかく、そのうちの一家となれば虞王朝にとっては由緒正しき家柄である。
その縁者でないかと言われて、盧武成は声を震わせた。
「……どうして、それを知っている?」
その言葉は維子狼の問いかけを肯定したも同然であった。維子狼は持ってきた酒瓶を、空になった盧武成の椀に継ぎ足しながらくつくつと声を殺して笑っている。
「まったく、素直な御仁ですな貴殿は。ああいや、違った違った。もう俺と武成は爾汝の仲なんだから、お前は嘘がつけないやつだ、と言うべきだな」
「なっ……!?」
その反応で盧武成は、維子狼は確たる根拠があって言ったのではなくかまをかけていただけだったのだと悟る。しかしもう手遅れであった。
盧武成の顔が赫怒に染まる。しかし怒りの元凶たる維子狼はまるで悪びれた様子がない。むしろ憤慨する盧武成を酒の肴にしていた。
「まあそう怒るな。お前にとっては血筋だの家柄なんてものは大したことじゃないんだろ? 俺も別に、だからどうこうって話をしたいわけじゃねえよ。ただ、どういう経緯で王子と旅をしているのかが気になっただけさ。やはり姜姓の誼ってやつか?」
これも前に書いたことであるが、史氏は姜姓の家である。
大陸では姓を同じくするということは祖を同じくすることであり、同姓の者は相助け合うべきだという価値観がある。特に今の世に姜姓を持つものであればその大半は虞の開祖たる武王と同祖ということになるため、なまじ血の繋がりがある異姓の親族よりもその存在は重いのだ。
しかし盧武成は維子狼のそんな問いかけに目を細めた。
「そんなものは俺にとってはどうでもいいことだ。だいたい、俺は血筋だとか天子だとか国だとかいうものが大嫌いでな。確かに俺は姜姓であり、父は虞の虚王の兄だったと聞かされている。しかし俺は血の繋がった父の顔など覚えていない。俺にとっては武術と学問と生きる術を教えてくれた盧氏の養父だけが唯一の父だ」
盧武成は叫ぶ。それも無理からぬことだと維子狼は思った。
今は、後の史書には成王十八年と呼ばれる年である。成王とは虚王の次代、今の虞王の諡号である。
大陸では生まれた時を一歳と数え、以降、年が改まるごとに年齢を加算していくのだ。
つまり今年で十九ということは、盧武成の生年は虞の東遷の年となる。その時の史氏の族長――史文は東遷の最中に戦死しているので、生まれて間もない盧武成に実父の記憶などあるはずがない。
「なるほど。ならばおぬしの養父というのは、盧靂胥どのか?」
「そういうことまで知っているのか? となると、肥何どのは俺の二人の父のことを知っていたということになるのか?」
盧武成にとって自分の素性とはあまり好ましい話題ではなく、そして普通に生きていれば誰かに露見するようなものでもないと思っていた。とりわけ、樊の北地で維子狼に見抜かれたとなるとその心当たりは自分の顔を、まるで幽鬼でも見たかの如くに驚いていた肥何くらいしか心当たりがない。
そしてその問いかけに維子狼は頷く。
「まあそうだよ。あのご老人は、今でこそ父の跡目に歯牙すらかからぬ俺の守役なんかをやっているが、我が家の宿将でな。我が父が樊伯の供をして虞都吃游に行った時にも随従し、そこで史氏の長たる史文どのに師事して歴史を学んだらしいぜ」
「……なんだ。つまりあの老人は、俺と史氏の父が似ていると思ったのか?」
「いいことじゃねえか? 親に肖ぬ子を不肖っつうんだから、父に肖て生まれてきたお前は孝行息子ということになるぜ」
そう言われても盧武成は大して嬉しくなさそうであった。
「ああ、しかし肥翁は、愛想のなさは盧靂胥どのに似ているとも言ってたな」
「……そうなのか?」
そう言われるとわずかに盧武成の眉が動く。盧武成の子としての情は本人の言葉の通り養父の盧靂胥に向いているようだ。
「まあ、気になるならこんど肥翁に話を聞いてみろよ」
「そうだな。そうしよう」
そう言ったのは、盧武成も父についてほとんど何も知らないからだ。
盧武成は、姓を姜、諱を錬という。史氏の家の姜姓の子であるので、本来ならば姜武成または史武成と名乗るべきであり、養父である盧靂胥にもそう言われた。しかし盧武成は頑なに盧氏を名乗り続けたのである。
その養父、盧靂胥は史氏に仕えた家臣であり、虞王朝の難から我が子を守り養育することを命じられたと盧武成は教えられていた。しかしその他のことは何も知らない。
父については、武骨で博識で、問えばどんなことでも教えてくれた人ということは知っているが、史氏の家臣であった頃の話は何も語ってくれなかった。
今となっては知ることもなかろうと思っていたそれを知る機会があるのであれば教えてもらいたいという好奇心は盧武成にもある。
「さてと。それじゃ話を戻すか?」
維子狼はにやりと笑って盧武成を見る。その視線を避けるように顔を背けて、何の話だったかなと苦しい誤魔化しを口にした。
「お前がここまで王子についてきた理由だよ」