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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
双士戟弓
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馬上にて風を切る

 盧武成は元来が山育ちで、根無し草の旅人生活に慣れた人である。

 脩に至っては山育ちの上に、生まれてから今まで鬼哭山を一歩も出たことがない。貴族の屋敷の豪華な調度に囲まれて生活するのはとても落ち着かなかった。

 まして今の姜子蘭は維子狼と昵懇にしているので、その中に入っていくこともしづらい。

 そんなときに、ふと維子狼がやってきて盧武成と脩に申し出た。


「お二人とも、もしよろしければここを出て我が家の客になりませんか? 贅沢とは距離が出来ますが、代わりに気楽さは得られるでしょう」


 維子狼は二人が維弓の邸で部屋を与えられたことでかえって居心地の悪さを感じていることに気づいていたのである。二人ともその身なりは庶人のそれであり、王子である姜子蘭とともに居候の身であることを口さがなく噂する者らがいることも維子狼は知っていた。

 ならばと先手を打って自分の屋敷で面倒を見ることに決めたのである。

 維子狼の屋敷は霊戍の郊外にあり、山の開けたところにある、庭つきの平屋であった。維弓の邸には見劣りするがそれでも立派な屋敷である。

 維子狼が二人を伴うと、人のよさそうな老人が迎えてくれた。


「ようこそおいでくださいました。私は維子狼さまの傅を務めております、肥何(ひか)と申す者でございます」


 そう言って頭を下げた老人――肥何は、盧武成の顔を見て目を見開き、そのまま暫く盧武成の顔をじっと見つめていた。


「どうなさいましたか? 私の顔に、何かよくない相でも出ていますか?」

「いいえ。失礼をいたしました」


 肥何はそのまま何事もなかったかのように二人を用意した部屋へと案内してくれた。

 しかし盧武成にはどうしても肥何の視線が気になったのである。それで、夕餉の支度が出来たと呼びに来てくれた肥何について聞いた。

 しかし肥何は黙して何も語らなかった。

 盧武成は落ち着かないものを感じながら維子狼の邸で日々を過ごしていた。もう霊戍に用などないのだからさっさと出て行ってしまおうかとも考えたのだが、脩が盧武成に馬術を教えてくれとせがんだので、盧武成は言われた通りに教えることにした。

 肥何は、


「維子狼さまからは、お客人のご要望には何なりと応えよと仰せつかっておりますので」


 と言って二人に馬二頭を快く貸してくれた。

 脩の馬術の上達は姜子蘭を教えている時よりも速かった。馬に乗って自由に走らせることは二日で出来るようになり、六日目には馬上で弓を扱えるようになり、十日経てば馬上から矢を射かけて兎を仕留められるほどになっていたのである。

 そこまで教えて初めて盧武成は、どうして馬術を習いたいと言い出したのか脩に聞いた。

 遅すぎる問いかけに脩は、今更かいと呆れている。


「大した理由なんてないさ。ただ、前に逃げてる時に馬の背に乗せてもらっただろう? あの時の風を切る感覚が気持ちよかったってだけさ」


 含みのない言葉である。実際、脩にとっては本当にただそれだけであった。

 それは盧武成にはない感性である。

 盧武成は馬術を納め、しかもその熟練ぶりは北地に住む肥何ですらその腕前を見て称賛の言葉を送るほどに巧緻である。

 しかしそれは盧武成が父から、


『馬の背に乗って操ることを覚えろ。平地を行くならば車がよいが、悪路を進むならば馬のほうがよい。それに、一人で旅をする時に馬を数頭を要する車を使うのは飼料の無駄だ』


 と言われて馬術を叩きこまれたからに過ぎない。盧武成は父の説明を合理的だと思い、事実旅をしていても乗馬するほうが楽であるとは思えど、純粋に馬に乗っていて爽快だなどと感じたことはなかった。


 ――そう言えば子蘭のやつも、慣れてくると楽しい、などと言っていたか。


 ふと盧武成はそんなことを思いだしていた。

 その時は、学んだことが身に着いていく感覚を楽しんでいたのかと思っていたのだが、実は姜子蘭も馬の背に乗って体で風を切って走らせることを楽しんでいたのかもしれない。

 その日の夜のことである。

 満月が白刃のように輝く夜であった。盧武成は部屋を出て庭先で酒を呑んでいると、その横に維子狼がやってきた。その手には酒瓶と椀がある。


「よろしいかな、盧氏よ」

「これは――維子狼どの」


 今は盧武成は維子狼の客分である。盧武成は拝手して敬意を見せたが、維子狼は歯を見せて笑った。


「ああ、そういうのはいいよ。どうせ、俺とあんたはそう齢も変わらないんだ。俺お前くらいの気安さでいこうぜ」

「――そういうわけにもいきますまい」

「盧氏はおいくつかな?」


 唐突に維子狼が聞いた。盧武成は素直に、十九と答える。


「俺は二十二だから――まあ、大して違いはあるまい。俺は貴方のことを客として迎えたが、貴方とは友になりたいと思っている。だから気楽に子狼って呼んでくれや。俺もお前のことは武成と呼ばせてもらうからさ」


 それは今までの維子狼とはかけ離れた砕けた言葉であった。しかしそこには確かに、盧武成に親しみたいという素直な気持ちがある。盧武成は、そちらがそれでよいならば、と答えていた。


「なら武成。お前に一つ聞きたいんだけどさ」

「なんだ……。子狼?」


 盧武成はまだぎこちないながらも維子狼を(あざな)で呼んだ。


「お前、もしや虞の史氏の縁者だったりするのか?」

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