維弓、姜子蘭に拝謁す
姜子蘭、盧武成、脩の一行は維子狼とその精鋭に守られながら霊戍へと向かった。
維子狼の率いる兵は楼冄が率いていた兵の一部、五十騎を割いたものである。
姜子蘭と盧武成には馬が与えられ、二人は乗馬していた。脩は盧武成と相乗りしている。維子狼は車を用意すると言ったのだが姜子蘭はそれを断った。
「この地では車よりも乗馬する人のほうが多いのでしょう。ならば私もその礼に倣わせていただきます」
その言葉よりも維子狼はむしろ、姜子蘭が乗馬出来ることに驚いた。無論、馬上で暮らす維氏の兵に比べると拙いものではあるが一通りのことは身につけており、霊戍への道程をいくだけであれば問題がないくらいには馬術を心得ている。
不思議に思った維子狼が聞くと、それは盧武成に教わったのだと言う。
馬術を身につけることに抵抗のない姜子蘭にも驚いたし、それを教えることが出来る盧武成のことも維子狼には気になった。
――盧武成という男、ただの旅人ではないな。
そんなことを考えながら旅をすること三日。
視界に映る大山を維子狼は指して姜子蘭に言った。
「あれなるが我が父の居城、霊戍にございます」
霊戍は山城である。山頂に拠点となる維氏の館があり、館へ続く山道には幾つもの砦があってその道を塞いでいる。
杏邑とはまた違う、天険と人智の合わさった要塞であった。
霊戍にさらに近づくと、その麓には千を越える軍勢がいる。維の旗が翻っており、その陣頭には顎髭を蓄えた、体躯の引き締まった壮年の男が馬に乗っていた。
「あちらの御仁は?」
姜子蘭が聞くと維子狼は、
「我が父、維弓にございます」
と事も無げに言った。
維氏の族長自ら、姜子蘭を迎えるために軍を率いて下山して来ていたのである。
そして維弓に相対すると姜子蘭はすぐに下馬しようとした。しかし維弓はそれを制し、下馬して拝手した。
「お初にお目にかかりまする。樊伯が微臣、維雍にございます」
雍は維弓の諱である。諱は親か主君ほどの目上でなければ呼んではならず、それを名乗るということは相手のことを目上であると認めたことになる。
しかし維弓に制せられながらも姜子蘭は下馬した。そして拝手する。
「虞王の第四王子、姜子蘭にございます。不意の訪問であるにも関わらず維少卿直々にお出迎えいただいたこと、感謝の念に堪えません」
「勿体なきお言葉にございます。この維雍、不肖不才の身なれど一命を持ちまして虞王と王子のために尽力させていただきたく存じます」
維弓の言葉に偽りはなかった。
その後、霊戍城内になる自邸の広間にて維弓は改めて姜子蘭に拝謁した。
姜子蘭は、前に魏盈にしたように勅書を読み上げて手渡すと維弓は深々と拝謝してそれを受け取った。
「謹んでその命をお受けいたします」
そして姜子蘭をそのまま賓客として霊戍で歓待することを決めた。その迎賓役を命じられたのは維弓の子である維子狼だった。名指しされて維子狼は頭を下げたまま膝だけで進み出た。
「私のことはどうぞ一臣下とお思いになり、何なりとお申し付けくださいますように」
そう言われて姜子蘭が最初に頼んだことは寝所の手配であった。それも、自分ではなく盧武成と脩のものから用意して欲しいと頼んだのである。しかし、そう口にした時には維子狼は既に三人分の部屋の手配を終えていたのである。
姜子蘭と共にいた盧武成は遠慮しようとしたが、暫くはこちらで旅塵を落としていかれては、と維子狼が強く勧めたので断り切れなかった。
事実、その日の夜は姜子蘭と脩は元より、盧武成でさえ泥のように眠ったのである。次の日の夕刻になってようやく姜子蘭が牀より這い出て部屋を出たが、盧武成と脩はまだ眠っているという。ちょうどその時、部屋の前に維子狼がやってきた。
「お目覚めですかな、王子」
「ああ、これは維子狼どの。いや、どうにも少し――」
寝過ごしてしまいました。そう言いかけた時、窓から差し込む茜色の光を見て肝を冷やした。そして恐る恐る、
「今は、何刻でございましょう?」
と聞いた。
「だいたい九刻(午後六時)でございますな」
一日を十二刻に分けるのが虞の時刻の単位である。時刻を教えられて姜子蘭は青ざめた。
そんな姜子蘭を安心させるように維子狼は笑う。
「王子はここまで苦難の道を歩んでこられました。御命が危うくなったことも一度や二度ではないでしょう。そのことを想いますれば、熟睡されるのも無理なきことかと」
「しかし……」
「お気になさいますな。王子がこうまで熟睡なされたことは、我らへ信を置いてくださった証と思っており、我ら維氏としても嬉しく思います」
そう言われると姜子蘭も少し気が楽になった。
その間に維子狼は夕餉の手配を済ませており、案内されてついて行った先には豪勢な膳が並んでいた。
「どうぞご賞味ください」
「では、ありがたく」
姜子蘭は慎みながらその膳を口に運んだ。それらの料理はいずれも美味であり、杏邑で魏盈の邸にいた時に出されたものと遜色ないものである。しかし何故か、今の姜子蘭はそれを物足りないと思ってしまったのである。
姜子蘭は表立ってそれを口にすることはしなかった。しかし維子狼は目ざとくそれを見抜いた。
そして食事を終えた姜子蘭に、
「まだ腹に余裕はありますかな?」
と聞いた。姜子蘭が戸惑いながら頷くと維子狼は、
「もし王子にその気がおありでしたら、珍しいものを馳走さしあげたいのですがどうでしょうか」
と聞いた。