樊の六卿
一刻(二時間)ほどかけて墓穴を掘り上げた盧武成と均は、その中に丁重に范旦を埋葬するとすぐに東へと向かった。孟申に長居する理由がなかったからである。
泥だまりの中を東に向けて歩き出した時、均はもう泣いていなかった。
季節は夏である。二人は額の汗をぬぐいながら、足場の悪い中を歩いていた。
盧武成は均に疲れの色が現れたのを見て、背負ってやろうかと言ったが、均は丁寧に断った。その懐には小箱に納めた范旦の遺髪がある。盧武成はこれを東に住む范旦の息子の下へ届けることが范旦のためになると言った。ならば、自分の足で歩かなければならないという想いがあったのである。
しかし孟申から目的地である武庸までは二百四十里(約百二十キロ)はある。過酷な旅であった。
「ところで均。お前、范どののご子息には会ったことがあるのか?」
「いいえ。私の生まれは孟申です。父母が病で死に、行き場のなくなったところを大旦那様に雇っていただきました」
「なるほど」
「盧どのは、どちらのお生まれなのですか?」
「尤山だ」
不愛想に言った。
しかし均は、それからも盧武成のことを色々と聞いてきた。均からすればもはや頼みとなる相手は盧武成だけなのだから、その相手のことを知りたがるのは当然だろう。それと、話していれば疲れが紛れる、というのもあった。
「尤山とはどこにあるのですか?」
「今向かっている武庸よりもさらに東だ。窮という名の風姓の国があり、その領地の海辺にある山だよ。俺はその山の中で育ち、父から学問と武術を教えられた」
「では、何故今は孟申のあたりにおられるのですか? そもそも、盧どのは何をされているお方なのですか?」
「何をしている、というような大そうなものはない。強いて言うならば、旅をすることが生業だな。山野で獣を狩って獲物を金に換えたり、その日働きをして路銀を稼いではあてもなく大陸を放浪しているに過ぎない」
そう話すと均は目を輝かせて盧武成の旅の道中であったことを聞きたがった。
盧武成は何から話すかと考えて、これから向かう武庸を治める智氏について話すことにした。
といって、智氏のことを話すにはまず樊という国のことから話さなければならない。樊は姜姓、つまり虞王朝と同姓の国であり、虢よりさらに東にある大国である。虢に再興された虞王朝が顓に屈した時、畿内の諸国を纏めて顓を放逐するために立ち上がったのが当時の樊伯――姜夷期である。荘公と諡された姜夷期は顓と果敢に戦い、敗死した。
この時、畿内の多くの諸国は君主自ら出征し、その大半が死んだために畿内の治安は一気に悪化した。
それが十三年前のことである。
ちなみに、今の虞王姜寒は後に成王と諡されることとなり、今は後の歴史書には成王十八年と記される年である。なので樊の荘公の出征は成王五年の出来事となる。
さて、この荘公の大敗がその後の樊の命運を決めることとなった。
樊には六卿という制度がある。丞という政治の要職が三つ、将という軍事の要職が三つ。これらが正、中、少の順に在り、六人の卿、つまり大臣が君主を支えて国家運営を行うという体制である。
しかし敗戦によって、武氏、士氏、韓氏という三人の卿の氏長が戦死してしまった。ちなみに武氏が正将、韓氏が中丞、士氏が少将、である。
さてこの遠征にはこの三氏の他に智氏の氏長、智嚢というものが参列していた。智嚢は正丞であり、樊における政治の頂点にあった人である。敗戦より帰った智嚢は幼き荘公の太子――姜皐が喪に服しているのを善いことに、正丞という立場を使ってこう喧伝した。
「武氏、士氏、韓氏の三族は裏切って顓に与した。それがために樊公は敗れたのである。しかし我らを逃がしたるがため、怒った顓公によって殺されて死んだのだ。既に死んだ氏長の罪を問うことは出来ぬが、その氏族に罪の清算をさせねばなるまい」
と言って兵を挙げ、三氏を滅ぼしてその食邑や財貨をすべて自分の懐へと収めてしまったのである。
これに対して反抗したのが魏氏の魏盈という人である。魏氏の長であり中将である。正将たる武氏不在の樊における軍事の頂点だ。
魏盈は維氏の長、少丞維弓と組んで智嚢と戦った。
しかし戦況不利と見た魏盈が維弓に黙って智嚢と和議を結んだことに腹を立て、維弓は北にある領地へと帰ってしまったのである。
その後、姜皐が三氏に和議を命じたことで樊の内乱は一応の落ち着きを見せた。
和議の後は六卿を三卿に減らし、丞と将を取りやめてただの卿とした。そして正卿智嚢、中卿魏盈、少卿維弓という三氏で樊を運営している。
「今から向かう武庸というのは確か……智氏の領内でしたよね?」
「そうだ」
「智氏の言った、三氏が裏切ったというのは本当なのでしょうか?」
「さてな。俺とてその時は東の果てにいたのだ。真偽など知ることは出来ないさ」
世間では智嚢の妄言であるという見方が大半である。しかし盧武成は敢えてそう断言することを避けた。
「しかし智氏は正卿で、しかも姜姓だ。荘公という英邁な君主を失った樊においてその言葉を疑える者はいなかったのだろう」
そう言うと、均は不思議そうな顔をした。
「あの、盧どの。今さらながら、初歩的なことを聞いてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「先ほどから盧どのは、何氏とか何姓とおっしゃいますが、氏と姓というのは何が違うのでありましょうか?」