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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
双士戟弓
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喰魂鴉

 脩の同行が決まって姜子蘭は嬉し気である。

 しかし盧武成は初め、面倒を見る子供が増えた、と少しだけ苦々しい顔をしていた。

 だがそんな懸念はすぐに消えた。それは脩が鬼哭山の地理に明るく、山道を通らず林間を抜けながら北へ向かうための助けとなってくれたからだ。

 その道中で、姜子蘭は気になっていたことを盧武成に聞いた。


「あの金色の目の鴉と……その、なんといっていいのか分からぬが、あの老人はいったい何だったのだ?」


 鬼哭山の村を襲ったそれは、奇怪としか表現のしようがない出来事であった。

 少なくとも姜子蘭にはまったく知らないことである。

 しかし世情に疎い姜子蘭にとっては、あるいはああいった術を使う者は世にはありふれており、そう珍しい物でもないのかもしれないとも思うのである。自分が知らないからといって珍しいことであると言い切ることはないくらいには、姜子蘭は自分の世間知らずを自覚していた。

 だが盧武成は、博識で自分の知識を語る際には常に平静である彼にしては珍しく、苛立ちと困惑とがない交ぜになった声を発した。


「あれは喰魂鴉(じきごんあ)と言う。人の身で修めることを禁じられた外道の術であり、その体を、影を潜ることの出来る無数の鴉に変えるのだ。その鴉に身をついばまれた者の魂は黄泉に行くことが叶わないと言われている」

「喰魂鴉、か……」

「ああ。ただしその術者の核となる鴉は必ず金色の目をしており、その金目の鴉を殺せば術者は死に至る――と、知識だけはある。だが、本当にそんなものがあるとは俺も思っていなかったよ」


 それは盧武成にとっても慮外の出来事だったのである。

 盧武成が喰魂鴉の知識を得たのは彼の父からの教えなのだが、それを教えられた時の盧武成は疑わしいと思って聞いていた。とりわけ、一人で大陸のあちこちを旅してきた身としては、戈矛を持った人か、虎狼こそがこの世で最も恐ろしいのだという実感がある。

 しかし実際に目の当たりにした今となっては、信じないわけにはいかない。


「世の中というのは、恐ろしいものに溢れているのだな」


 姜子蘭はしみじみと言った。その隣では脩も頷いている。


「そうだな。しかし今の俺たちはそういう人外の恐怖に怯えるよりも、まず人の恐ろしさから逃げねばならん」


 盧武成は声を落としてそう言い、上の方を指さす。そこにはいつの間にか蒋不乙率いる魏盈の兵が迫っていた。

 今の姜子蘭たちは北へ抜ける最短の道を選んでいた。そこは木々の立ち並ぶ道なき道であるのだが、しかし近くには山道があり、そこには遠目に見ても二乗の戦車が控えている。

 異臭がした。油である。見上げると、魏氏の戦車が矢を放つ。その先端は赤々と燃えていた。火矢である。油を地面に染み込ませたのだ。

 盧武成は姜子蘭と脩を抱えて斜面を駆け下りた。

 しかしその下には山道があり、魏氏の戦車がひしめいていたのである。筆頭の戦車に乗り、大剣を構えているのは無論、蒋不乙であった。

 盧武成は舌打ちをしながら横道に逸れようとする。

 しかし蒋不乙は山道を走らせながら盧武成を追ってきた。


「脩、あの山道から離れることは出来ないか!?」

「無理だよ!! このまま走ると、いずれあいつらと合流しちゃうよ!!」


 そう言われて盧武成は苦々しい顔をした。しかし、いずれそうなると分かっても走るより他に方策はない。この間にも上からは絶え間なく火矢が降り注いでおり、退路は下にしかないのである。


 ――くそ、魏氏の連中もなりふり構わなくなってきたな。


 それも無理からぬことである。姜子蘭を生け捕り勅書を持ち帰るのが理想ではあるだろう。しかし、それが万一にも維氏の手に渡るくらいであれば殺してしまえと蒋不乙は命じられているはずであった。鬼哭山を抜ければそこはもう維氏の領内であり、ならば姜子蘭がそこに入るよりも先にいっそ殺してしまおうと考えるのは妥当である。

 盧武成は腹を括った。

 そして、斜面を急降下し、蒋不乙の戦車が走る山道に躍り出たのである。

 姜子蘭を救うために崖を降り、餮という名の大虎と戦い、さらに喰魂鴉を操る老人とも対峙した。その間、盧武成は不眠不休であり、食事さえもろくに取っていない。そして今は、姜子蘭と脩を両脇に抱えて疾走している。

 疲労は頂点に達しており、これ以上の消耗を重ねてはいよいよ動けなくなってしまう。そうなる前に蒋不乙と対峙し、これを破ることで魏盈の兵を撃退する。極めて可能性の低い道ではあるが、三人の活路はそこにしかなかった。

 蒋不乙の乗る戦車の前に出ると盧武成は二人を下ろす。

 そして二人に、


「なるべく俺から離れるな」


 と短く言った。そして蒋不乙を睨み、叫ぶ。


「蒋不乙!! 貴様に魏中卿の大司馬としての矜持が些かでもあるならば戦車から降りて俺と戦え。魏氏の武の象徴たる貴様が、俺の如き若造に負けたままでは兵らへの面目も立たぬであろう!!」


 その挑発に蒋不乙は怒り、戦車から身を乗り出そうとした。しかし車上の兵士らがそれを戒め、その間に他の戦車が三人を囲もうとする。

 蒋不乙を倒すという望みは絶たれ、もはや希望はないかと思われたその時である。

 鳥声のような音響が山中に鳴り渡った。

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