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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
双士戟弓
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火葬の礼

 盧武成はまだ警戒しつつも男の死体を検分した。

 その男は皺がれた老人である。その顔は苦痛に歪んでいるが、しかし生きていたとしてもやはり魂からにじみ出る醜悪さを隠しきれぬ顔であっただろうと盧武成は思う。

 その胸には脩の放った矢が突き刺さっており、胸から血が噴き出している。

 やがて盧武成の背後から姜子蘭と脩もやってくる。しかし脩は子蘭の服の裾を掴んでその背中に隠れていた。


「……死んだのかい、そいつ?」


 脩が恐る恐る聞く。盧武成は頷いた。


「ああ。誇るといい。お前がこの村の者らの仇を取ったのだ」


 そう褒められても脩にとってはまだ実感がなかった。そしてようやく盧武成の言葉を呑み込めた時、その胸を襲ったのは激しい慟哭であった。

 姜子蘭は脩を労りながら、盧武成のほうを見た。


「この村の者たちを、どうにか埋葬してやれぬものであろうか? このまま獣の餌にしてしまうのはあまりに不憫だ」

「お前は自分が追われているという自覚があるのか?」


 盧武成は険しい顔をしつつも、その目に苛立ちを込めきれていない。盧武成もまた、甘いと自覚しつつも、こうして目にしてしまったこの惨状をそのままにして立ち去ることが出来るような無慈悲な男ではなかった。


「仕方がない。火葬にするか」

「なんだそれは?」


 姜子蘭がそう聞いたのも無理からぬことである。大陸では死者は棺に入れて土に埋め、そこに墓を建てるのが伝統的な儀礼であった。そのため盧武成が、死体を焼いて弔うことだと告げると否な顔をした。

 焼くということは死体を損なうことであり、それは死者への侮辱だという意識があるからである。


「お前の言いたいことは分かるさ子蘭。だがな、俺たち三人でこの村の者すべてを納めるだけの墓穴を掘ろうと思えば何日かかると思う? そんなことをしている間に魏氏の兵がやってきて、骸が三つ増えるだろうさ」

「だが……」

「それに、東方の窮国には火葬の作法というものもある」

「そうなのか?」

「かつて窮で痘瘡(とうそう)と呼ばれる疫病が蔓延してな。これは死体からも感染り、厳重に布で覆って触れてもやがて病に罹った。そのために仕方なく骸を焼いたのだが、その時に窮の礼官を司っていた帯氏が火葬の作法を考案した。それ以降、窮ではやむを得ず死体を焼いて弔う時には帯氏の儀礼を行ったと言われている」


 姜子蘭は盧武成の博識に舌を巻いた。姜子蘭にとっては聞いたことさえない話である。


「此度のこれは疫病ではない。しかし、他に弔う者もなく、我らには時がないのだ。ここで朽ちさせるよりは死者の魂への慰めになろう」


 盧武成は脩にも同じことを言った。元よりそういったことに抵抗はないらしく、脩は素直に頷いた。

 三人は村の中にあった荷車を使って遺体を一か所に集めた。そこは村で一番大きな屋敷である。その中に遺体をすべて安置すると屋敷から出た。

 そして、東を向き、矢を番えずに弓を構えてその弦を鳴らす。次に西に向かって剣をまっすぐに振り下ろす。こうして邪気を払った後に、屋敷に向かって火矢を放つ。死者の立場によってはより手順を踏んだ作法があるのだが、簡易的な火葬の礼とはこのようなものであった。

 屋敷についた火は柱のように燃え上がっている。脩は遠い目をしてその炎を眺めていた。

 暫くして、火の勢いがやや収まると、脩は二人のほうを見て頭を下げた。姜子蘭は案じるように脩を見る。


「脩はこれからどうするのだ?」

「どうって……。たぶん、今までと変わらないよ。崖下のあの小屋で、死ぬまで一人さ。この村の人たちには色々と世話になりはしたけれど、別に一人でも生きていけないわけじゃない」


 それが心からの言葉であったならば、姜子蘭としてもそうかと頷いていただろう。

 しかし姜子蘭の目から見た脩は、強がりを言っているように見えた。この時の姜子蘭は、前に杏邑で盧武成と一度別れた時のことを考えていたのである。

 盧武成は知識があり武勇があり、とても頼もしい人物である。范玄の前では偽って兄弟と名乗ったこともあるが、姜子蘭は旅の中で盧武成のことを本当の兄のように感じ始めていた。

 しかし盧武成と自分は他人であり、盧武成には旅路がある。そういう思いが、呑み込ませた言葉があった。共に来て欲しいという言葉が口から出そうになるのを堪えて別れたのである。


 ――あの時の私は、あるいは今の脩のような顔をしていたのではあるまいか。


 それは子供が、子供ゆえの敏感さから大人を気遣う時の顔である。しっかりしなければいけないと自分に戒めながら、その心にある、他者に甘えたいという気持ちを包み隠しているのだ。姜子蘭にはそれが分かってしまった。

 そして、


「もしよければ、私たちと一緒に来ないか?」


 気が付けば、そう言っていたのである。

 脩は意外そうな顔をした。


「なんだい? 平地に行って、あんたたちの殺し合いを手伝えとでもいうのかい?」


 脩は顔に怒りの色を浮かべた。しかし言葉に強気がない。それは彼女の心が揺れていることの証左である。


「そういうことではないよ。どういうべきなのだろうか……」


 そう考え込んで、やがて姜子蘭は困ったような笑みを浮かべた。


「うまく言えないのだが――そうだな。きっと、私が、脩についてきて欲しいだけなのだろう」


 その言葉には脩を言いくるめようとか、頭ごなしに命令しようという気持ちはない。さらに言うのであれば、憐れみから誘ったというわけでもない。言葉が曖昧であるが、本当にただ思ったことを口にしただけなのである。

 そうと分かっているので、脩は鼻を鳴らした。


「それなら――仕方ないからついてってやるよ。お前は放っておくとすぐに死にそうだしな。それに、いずれは私だって結婚しなきゃいけないんだ。村がこんなことになったんだから、その相手探しも兼ねることにするよ」


 脩がそう言って気恥ずかしそうな顔をしながらも同意してくれたことで、姜子蘭は顔を明るくした。

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