一村鏖殺
姜子蘭から一通りの事情を聞かされると盧武成は脩に頭を下げて礼を言った。
脩のほうも流石に失礼なことを言ったと思い、そのことを詫びた。しかしその後もしみじみと盧武成を見ている。
「いやあ、それにしても本当に強いねあんた。何を食ったらそんなふざけた強さになるんだい?」
「別にそう大したことはしていないさ」
そっけなく言ってから盧武成は、
「ところで脩とやら。お前は鬼哭山の地理には詳しいか?」
と聞いた。脩はもちろんと頷く。
それならばと、鬼哭山の北に出る道を聞いた。脩は元からもう少し先まで姜子蘭を送ってやるつもりだったので案内してやることにした。
「だけど、わざわざ私に聞かなくても、この先に村があっただろ? 道なんてそこで聞けばよかったじゃないか?」
「そうなのか?」
盧武成は疑問を返した。
「ん、だってあんたと子蘭はこの崖の上までは一緒だったんじゃないのかい?」
「そうだが?」
「この崖から迂回してここまで来るには必ずその村を通らなきゃならないはずなんだけどね」
「その道は知らんな。というよりも、そんな道があるのを知っていればそちらを使っているさ」
「まあ、入り組んでいて見つけにくい道だから……」
そう話しながら脩は、ならば盧武成はどうやってここまで来たのか不思議に思った。
そう聞くと盧武成はこともなげな顔をして、崖を降りてきたというのである。姜子蘭と脩は立ち止って断崖を見つめる。凹凸があり、掴むところはありそうである。しかし霧が差していてどこまで続いているか分からないほどに高いこの崖を降りてきたというのは信じがたいことであった。
「崖を登ることに比べれば、降りることは容易いさ。崖を降りるときは技術よりもむしろ、簡単であるが故に気を緩めてしまわぬようにすることのほうが肝要で、そこにさえ意識を払っていれば問題はない」
「……それが一番難しいのではないか?」
姜子蘭は声を裏返らせていた。世情に疎い姜子蘭でも、もはや盧武成が類まれなる勇者であることははっきりと分かった。巷間には盧武成のような人物が溢れかえっているとは考えていない。盧武成と出会っていなければ自分は何度死んでいたことかと強く思ったのである。
三人は半刻(一時間)ほど歩いて、ようやくその村が遠目に見えた。
しかし盧武成は怪訝な顔をした。姜子蘭が訳を聞くと、
「朝だというのに炊煙の一つも上がっていないぞ。それに、遠目に見てもあまりにも人の動きがないような気がしてな」
と答えた。しかし気にしすぎなのかもしれないと思い近づく。しかし、異変は近づくにつれて明らかになった。
先ほどとは比べものにならないほどの濃い血の匂いがしたのである。やがて村の中に入ると、血を流した死体がそこかしこに転がっており、動くものと言えば腐肉をついばみにやってきた鴉ばかりであった。
脩は駆け出した。この村とは多少の交流があり、顔見知りもいたのである。誰か一人でも生き残っている者がいないかと探したのである。
姜子蘭がその後を追う。
一方の盧武成はその場に立ち止まって死体を観察していた。
大きな村ではないが、それでも家屋の数などからすれば住民が五十はいるであろう。そんな村が全滅しているということが不可解であった。
盧武成は手近な死体に触れてみた。まだほのかに暖かく、腐ってもいない。つい先ほどまでは生きていたということになる。
――獣に食われたとは考えにくいな。あいつらは獰猛になれば暴れだすし、腹が空けば人里に訪れることもあるが、こうも惨たらしく根こそぎ殺しつくすようなことはすまい。
そうなると、人の手によるものという可能性が高くなってくる。
鬼哭山にいくつかある村同士の争いか、あるいは魏氏の兵が行ったのかもしれない。しかし魏氏の兵がこれだけの殺戮を行う理由がない。もし盧武成が蒋不乙の立場であれば金をやって山中の案内をさせるか、姜子蘭の首に懸賞を掛けて捜索の手とするだろう。
仮に何かのはずみや勘違いで敵対してしまったとしても、こうまで殺しつくすだろうかと疑問に思った。
そしてより注意深く死体を観察すると、それは武器でついた傷ではない。より荒々しく、まるで鳥が得物を嘴で引き裂いたようなのである。
――人を喰らう鳥、か。
思い当たることがあったが、まさか、と盧武成はすぐにその考えを否定した。
しかし胸の奥に妙なざわめきが起きて消えず、慌てて二人を追いかけた。その足音に反応するように一羽の鴉が飛び立つ。その目は黄昏の日輪のような金色であった。
盧武成は舌打ちしながら、やがて二人の元へたどり着く。脩は手近な家の壁にもたれかかって泣いており、姜子蘭がその肩を優しくさすっていた。
そこは、ちょうど建物で日陰になっている。
「二人ともすぐに日向に出ろ!!」
盧武成は雷鳴よりも大きな声で叫んだ。その顔は先ほど餮と戦った時よりも鬼気迫る顔をしていた。しかし二人には盧武成が何をそんなに必死になっているのかがまるで分からなかったのである。
盧武成は苛立ちながら、なおも強く声を放つ。
「呆けるな、子蘭!! 死にたくなければ早くしろ!!」
そう言われて姜子蘭は、訳も分からないままに脩の手を引いて日向に出る。朝焼けが眩しく輝いていた。盧武成はすぐに駆け寄ってその前に立つ。郭門の剣を抜き放ち、殺気だった目で辺りに注意していた。
不意に、鴉の鳴き声がした。
盧武成は脩の体を弾き飛ばすと、剣を振るう。鴉が三羽、斬り殺されていた。
その鴉は、脩の影の中から現れたように姜子蘭には見えた。