青年一人、王子一人
今日から第二章です!!
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姜子蘭と盧武成は北にある維氏の領を目指した。
二人とも、ほとんど着の身着のままで逃げ出してきたので、姜子蘭が宝石と換えた僅かな路銀がある他には何もない旅である。
当然ながら馬もいないので徒歩の旅となった。
杏邑から維氏の拠点である霊戍まではおよそ四百里(約二百キロ)である。
ちなみに距離の単位で里より長い物には舎というものがあり、一舎は三十里(約十五キロ)である。一舎には軍隊が一日に進軍する距離という意味もあり、大陸において、おおよそ軍に一日に課してよい長さはこれくらいであるという目安でもあった。
しかし実際には、歩兵と戦車の数の比率によってこれらは変わってくる。また、進む道が舗装されているのか、それとも道なき道を切り開くところから始まるのかによっても違ってくる。あくまで指標でしかないのである。
さて、二人の歩む距離は舎に直せばおよそ十四舎ということになり、進軍速度と同じ速さを維持できるのであれば十四日で霊戍までたどり着くことになる。しかし実際には、食料や寝床の確保をせねばならず、そもそも二人とも徒歩であるので実際には少なく見積もってもその倍は要するであろう。
どうにか馬が欲しい、というのが二人の本音であるが、そう都合よくはいかない。
二人は、なるべく口数を減らし、朝は日が昇ってから夕暮れまで、歩ける限り足を動かして少しでも霊戍との距離を縮めることにした。
その頃、杏邑では魏盈が苛立ちを見せていた。
姜子蘭に逃げられたこともそうであるが、その後の行方が杳として知れない。姜子蘭の逃亡から三日が経ったが何の成果も挙がらず、魏盈は口角泡を飛ばして部下たちを罵った。
そして、不貞腐れた顔をして魏仲洪の屋敷に使者を遣った。
この時、魏仲洪は姜子蘭を逃がした不手際を詫び、自ら謹慎させてほしいと申し出ていたのである。魏盈は悪態を吐いてそれを認めたのだが、他の臣下たちを見ていると、
――やはり我が旗下に仲洪を越える者はおらぬ。
と思い直し、謹慎を解くので出仕するようにと命じたのである。
それに応じて魏盈の下に訪れた魏仲洪は、まずは魏盈の前で深々と頭を下げた。
「臣仲洪、恐れ多くも我が君の前に参上いたしました。この度は我が罪をお許しいただき、再び我が君の――」
「そういった堅苦しいことはよい」
儀礼に則って謝辞を述べる魏仲洪を魏盈が遮る。
今はそういう言葉よりも、姜子蘭追捕のための進言のほうが欲しかった。余計なやりとりはせず、
「王子はどこへ逃げたと思う?」
と直截に聞いた。
「私の前に王子を追った者らは、どの方へ向かいましたか?」
「東と西だ。いち早く我が領内を抜けるために東へ走ったか、智氏を頼る、あるいは虢に帰るために西に向かったのではないかと言うのでそちらを重点的に探させている」
「北と南への捜索はどうされておりますか?」
「一応、各邑に人相を伝えて手配はさせている。しかし今のところ何の報告もない」
魏盈は苦々しく言った。
魏仲洪は暫し考えてから、
「では、追捕の兵はすべて北へ向かわせてください」
と、迷いのない声で言った。その言葉はあまりにも極端なので、魏盈は重苦しい声で、それでよいのかと返す。これで何の成果も得られなければその時には謹慎では済まさないという圧力が言外に含まれているが、しかし魏仲洪は怯えを見せることなく堂々としている。
「王子は弱年ながら英邁な人であり、未だ顓を伐つことを諦めてはおられますまい。ならば頼りとなる諸侯に助力を求めるはずでございます。ですが、杏邑以東の諸侯に助力を頼んだところで虢からは遠すぎて頼みにはしないでしょう。ならば、智氏か維氏に助力を頼むしかありません。ですが、智氏には頼らないでしょう」
「何故そう言い切れる?」
「智氏の貪婪は天下が知っており、智氏と維氏が犬猿の仲であることもまた天下が知っております。しかもこの二氏は互いに、自分のほうが強いと思っており、樊伯の和議があるが故に今は表立って争っていないにすぎません。どちらも、何か口実があればいつでも相手を滅ぼしてやりたいと思っているのです」
それは魏盈も察していることである。
そして、何か大義名分があればその両氏を滅ぼしてやりたいと思っているのは魏盈もまた同じなのであった。
「私は、富者に百金を与えれど三日にして忘れ去られ、貧者に百銭を与えれば三世の恩を得る、と聞いております。いざとなれば樊の正卿という地位を振りかざして維氏を滅ぼせる智氏よりも、位の卑しい維氏に勅書を渡して大義名分を与えるほうが得であると王子であれば考えるのではないでしょうか」
なるほど、と頷いて魏盈は北に兵を向けさせた。
魏仲洪には実際に、姜子蘭は北へ向かったという確信がある。しかしそれは魏盈に語ったような理由からではなかった。
――少しでも樊の三卿について知る者であれば、維氏こそがもっとも信が置けると思うはずだ。
それが魏仲洪の考えである。
しかし魏盈の前では口が裂けてもそのようなことは言えなかった。