胡服騎射
これまでにも何度か述べたが、維弓は独自に軍制改革を行い、騎兵部隊を導入した人物である。
維氏は嬴姓の者であり、嬴という姓の先祖はかつて焱朝に臣従していたとされている。故に虞王の天下では肩身の狭い思いをしていた。樊の中でも維氏は少将、少丞よりも高位についてはならぬという決まりがあり、霊戍という山城を拠点としていた。
霊戍は樊の最北端の地であり、北方の騎馬民族や山間民族――狄、または北狄と称される蛮族の侵攻から畿内を守る前線防衛拠点でもあった。
維氏は代々、北辺の守りを担ってきた。
撃鹿の戦いに際して維氏が荘公に同行しなかった理由には、北狄に不穏な動きがあったから、という事情もある。
維氏は過酷な地の守りを負わされ、しかも樊で高位を得ることは出来ない立場であった。しかし当代の維弓は樊伯に対して忠誠を持ち、故に魏盈と智嚢による樊の壟断を苦々しく思っていたのである。
その時、楼環という臣が維弓に進言した。
「我が君はどうして南ばかりに目を向けられるのですか。もし我が君が北を望まれましたら、この大陸にはまだ虞王にも樊にも属さず、しかも正義を以て所有することの出来る大地があるではありませんか」
そう言われた維弓はその日から、北地開発に乗り出した。
部下には騎乗の練兵をさせ、北の諸民族に、味方にするものは礼遇すると触れ回った。時にはその下に参列した部族から将を招いて自軍の兵を鍛えさせた。そうして、智嚢と魏盈の和睦からわずか二年で騎兵軍団を作り上げ、瞬く間に北方の雄にまでのし上がったのである。
維弓の築き上げた版図は、智嚢、魏盈に劣るものではなかった。
その威勢を恐れた智嚢は、樊伯姜夷皐に奏上して三氏の和睦がなるように頼んだ。忠臣である維弓は樊伯に矢面に立たれると弱く、和睦を受け入れた。こうして成立したのが樊の三卿である。
そのため今の樊は、実質的に対立こそしているがあくまで建前としては三卿の合議によって樊を運営しているという体裁を取っていた。
「維氏は樊の卿としての本分を貫いたままに力を得た。他人の苦境に付け込んで強くなった智氏、魏氏よりも、自らがおかれた逆境に敢えて挑んで大きくなった維氏のほうが信頼がおけるだろう。それに当代の維少卿は尊王家だと聞いている。ここは北を目指したほうがいいと思うがどうだ?」
姜子蘭は盧武成の言葉に即答しなかった。
盧武成の言葉を鵜呑みにせず、本当にそれでよいのかと考えているのである。しかしやがて、結論を出した。
「よし、決めたぞ。北に行く。樊の維少卿を頼ろう」
そう叫んでから姜子蘭は、おどおどとした様子で盧武成のほうを見た。盧武成は大きく息を吐いてから、
「そんな目で見るな。霊戍までついて行ってやるさ」
とそっけない声で言った。
その言葉に姜子蘭は顔を明るくしたが、すぐにまた困ったような顔をした。
「し、しかし……。今の私には、その労に報いてやれるものがない」
「なんだ、そんなことか。前にもらったあの剣で十分だとも。孟申から杏邑までの護衛の対価としては高すぎたくらいだからな」
言い訳のような返事をしてから、盧武成はしまった、という顔をした。
その腰に佩いているのは范旦の形見分けで貰った郭門の剣であり、姜子蘭からもらった剣は呉氏の屋敷においてある。普段使いには向かぬ宝剣であるので、呉展可に頼んで保管を頼んでいたのだ。
――今さら取りに戻ることも出来んな。
仕方があるまい、と盧武成は心の中で嘆息した。
その頃、呉展可は息子である呉西明から事の次第を聞いていた。
盧武成が魏氏の兵の中に飛び込んでいき、戦車を奪って杏邑から逃げ出した。その経緯をよく調べてみると、魏仲洪が追っていたのは虞の王子であるということが分かったのである。
無論、魏氏がそのようなことを公表したわけではない。しかし商人には独自の情報網というのがあり、世の中で起きていることの裏の事情というものに精通しているものである。とりわけ呉西明は師匠たる盧武成の身を案じて、あちこちの伝手を頼って事情を探った。
「なるほど。虞の王子に、か」
呉展可はあごを撫でながら笑っている。子蘭という名前――正確には字なのだが――は范玄からの書簡にもあった。その書簡では盧子蘭とあり盧武成の弟ということになっているが、身分を隠すために兄弟ということにしていたことは容易に想像できた。
しかし、特に呉西明にとって分からないのはその後のことである。
「師匠は――盧武成どのは、虞の臣下だったのでしょうか?」
どうもそういう感じではない。それならば、姜子蘭と別れて呉展可の下に逗留しているわけはない。
しかし、ならば盧武成は何故姜子蘭を助けたのか、というところが呉西明には不思議なのである。
「さてな。しかし、盧武成どのにとっては、我らのような者のところで食客や用心棒などをやっているよりも、流浪の王子の横にあって艱難辛苦に挑んでいるほうが向いているであろう。賢明なる鳥は巣を選んで住み、駿馬は英邁なる主を選んでその車を曳くというからな」
そう言われると呉西明も納得した。
いつまでも盧武成に教えを受けていたかった、という気持ちはある。しかし呉展可の言う通り、盧武成という豪傑を商人の家や港の自警団で終わらせるのは才能の損失であるし、どれだけ自分や呉展可が頼んだところで、いずれ盧武成は杏邑を去っていただろうという予感もあった。
「まあ、いずれあの人が天下に驍名を馳せれば、あの御仁を客にしたことが我が家の誉れになるだろうさ」
呉展可は豪気に笑った。
その時である。家人の一人が部屋に入って来た。その手には白銀の鞘を持つ剣を手にしている。