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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
王子漂泊
35/114

無人の城を行くが如し

 魏氏の兵士の中をかき分けて進み、盧武成は姜子蘭を庇うようにその前に立った。


「――奇遇だな、子蘭」

「……武成?」


 どういう状況であるのか、邪魔をされた魏仲洪も、味方が増えたはずの姜子蘭もすぐには呑み込めなかった。

 しかし盧武成は明らかに自分からこの危地に飛び込んできたのであり、奇遇という言葉を使うのはおかしい。それは、武骨で不愛想なこの男の照れ隠しであった。表情には気まずさも恐れも見えないが、どう声を掛けていいかが分からなかったのである。


「……貴殿は、何者かな?」


 魏仲洪は戸惑いながらも誰何した。たとえ姜子蘭に味方が一人増えたところで、魏仲洪の有利は変わらない。だからこそ魏仲洪は落ち着いていた。


「旅の者で盧武成という」

「ほう、そうか。ならばこの国のことをご存じはあるまい。貴殿には我らが大人げなくも兵卒、戦車を以て少年一人を脅かしているように見えるかもしれない。しかしそれは故あってのことである」


 魏仲洪は冷静に、しかし盧武成を宥めるように言った。

 姜子蘭と違って盧武成は、厄介ならば殺してしまっても構わないような相手である。即座にそれを命じなかったのは、魏仲洪の直感からくるものであった。この素性も知れぬ旅人に、迂闊に挑んではいけないという危殆を感じたのである。

 しかし盧武成はそのようなことなど気にせず、落ち着きながらも敵意を剥き出しにして魏仲洪を睨んだ。


「なるほど。虞王の臣たる樊伯を翼佐する魏氏が虞王の子息を脅かすか。どうやら魏中卿には叛心がおありのようだ」

「――やれ。男のほうは殺してよい」


 事情を知られているのであればこれ以上の問答は無用である。魏仲洪は即座に兵らに命じた。

 しかしその時には、盧武成は小脇に姜子蘭を抱えて魏仲洪の乗る戦車に飛び乗っていたのである。戦車には魏仲洪の他に御者と二人の兵士がいる。しかし盧武成はそれらの者には目もくれず、腰の剣を抜いて魏仲洪の首筋に突き付けた。

 こうなると周りの兵士たちは何も出来ない。盧武成は猛禽のような鋭い眼差しで兵士たちを睨みつけた。


「御者以外は降りろ。お前らの主人がどうなってもいいのか?」


 兵士らは戸惑いながら魏仲洪の顔を見る。しかし魏仲洪は毅然とした声で叫んだ。


「そなたらは我が臣ではない。魏中卿の兵士であろう。私が死のうとも君命を全うせよ!!」


 しかしそう言われても兵士たちはすぐには動けない。

 すると魏仲洪は、突き付けられた白刃に自らの喉元を近づけにいった。自分が死ねば兵士らの懸念もなくなるだろうと考えたのである。しかし盧武成はその瞬間に剣を返し、腹の部分で首筋を殴りつけた。

 鈍い一撃を受けて魏仲洪の体はどさりと戦車の上に倒れこんだ。


「流石は魏中卿の右腕ということか。その気骨に敬意を払い、命を取るのはやめておこう」


 そう言うと盧武成は、次の瞬間には兵士二人を殴り飛ばし、御者を戦車から蹴り落とした。目にも止まらぬ早業である。そして手綱を取り、表通りに向かって戦車を走らせる。

 魏仲洪はああ言ったが、囚われの人となってしまった魏仲洪が盧武成たちと共にいる。追いかけることは追いかけたが、迂闊なことは出来なかった。

 そうして、路地を封鎖している兵士たちのところへ着く。

 兵士たちは路地の中から戦車がやってきたので、任務が首尾よく終わったのかと思った。しかしそこには御者と少年しかおらず、しかも速さを殺す気配もなく突進してくる。兵士らは恐怖に駆られて逃げ出してしまった。

 そこから盧武成は、まっすぐ東に向けて戦車を走らせる。


「な、なあ武成――」


 姜子蘭は話しかけた。しかし盧武成は答えない。何度か呼びかけたが、そのうちに、


「話はあとだ。今は生きて杏邑を脱することだけを考えておけ」

「……わかった」


 そう言われたので、姜子蘭は真剣な顔をして現状に向き合うことにした。

 やがて東門に着いた。といってもそこには水門があり、その左右に城壁が聳え立っている。当然ながら水門は封鎖されており、城壁に登るための階段へと続く道には兵士が立ち並んでいた。

 盧武成は戦車から降りると、腰に佩いた郭門の剣を引き抜く。


「悪いが道を開けてもらおう」


 盧武成は凄んで言った。しかし兵士らからすれば、相手は男が一人と少年が一人である。脅しに屈する理由などなかった。

 そう、つい先ほどまでは。

 盧武成は狭い階段を、姜子蘭を小脇に抱えたままに突き進んでいった。それも、立ちはだかる兵士を物ともせずにである。階段の幅は狭く、一度に大勢で攻めることは出来ない。だがそれを差し引いても、兵士らは上段の有利を取っており、数で圧倒している。

 何よりも盧武成は、左脇に姜子蘭を抱えていて右手一本で剣を振るっているのだ。対して兵士たちは矛や槍などの長柄の武器を手にしている。

 兵士たちは盧武成を、まるで人の形をした化け物のような目で見つめた。

 そして、一人の兵士が叫んだ。


「こ、こうなれば城壁の上で迎え撃とう。そこならば数の有利が活かせる」


 その言葉を皮切りに兵士らは一斉に城壁の上へと向かった。

 彼らの判断は間違ってはいない。狭い階段で攻防を行うよりは開けた場所で四方から囲むほうが戦いやすいし、城壁の上には逃げ場もない。あるのは空と黄河だけである。

 兵士らが城壁に登って暫くしてから、盧武成も城壁の上に出た。そして二人を取り込もうとする。

 だが盧武成は剣を懐にしまうと、姜子蘭に囁いた。


「固く口を閉じていろ。舌を噛むぞ」

「え……?」


 そしてそのまま、兵士の囲みを突破して――城壁の上から、夜の黄河へと身を投げた。

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