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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
王子漂泊
29/111

鄭水の花

 一方その頃。

 杏邑の魏氏の邸の一室を与えられていた姜子蘭も不穏な気配を感じ取っていた。

 ひと月が経つが、魏盈が兵を出す気配はない。それ自体は構わないと思っていた。軍事には疎いが、今日命を受けて明日には出陣できるような単純なものではないだろうと考えているからである。

 しかし魏盈とは、勅書を渡して以来、目通りもさせてもらえず、魏仲洪が時たまやってくるくらいだ。

 その魏仲洪にしても、顓のことはいっさい語らず、珍しい菓子が手に入ったからと土産を持って来ては、機嫌はどうかとか些細なことを聞いて退出していくだけである。

 日頃の姜子蘭の行動についても、部屋の前には常に兵士が立っており、どこに行くにも必ず三人の兵士が護衛としてついてくる。始めはそれを魏盈の好意と受け取り、頼もしいと思っていた。しかしあまりにもそれが厳格なので、段々と、この兵士らは自分を守っているのではなく見張っているのではないかと感じるようになった。

 しかも、あれこれと理由をつけて姜子蘭の行動は制限されている。姜子蘭に許されているのは邸の庭に出ることくらいであり、外出さえさせてもらえなかった。


 ――これは、もしや軟禁というのではないか?


 世間知らずの姜子蘭でさえ、ひと月も経てば否が応にもそれを自覚した。

 といって、姜子蘭にはどうすることも出来ない。

 姜子蘭にとって武器と呼べるものは木剣一本しかなく、これでは兵士一人とさえ戦いにならない。魏盈か魏仲洪を言いくるめて逃げ出すような弁舌も持ち合わせていない。どうすべきかと考えていた時に、魏仲洪がやってきた。

 姜子蘭はつとめて恭しく魏仲洪を迎えた。

 現状をどうにかしなければいけない。そのためには、魏仲洪に警戒心を与えてはならない。誰の目にも軟禁されていることは明らかであるが、今の待遇を、王子であるがゆえに歓迎されていると勘違いしている世間知らずを演じなければと姜子蘭は自分に言い聞かせた。

 そして、魏仲洪のほうを見る。

 普段は侍女を何人か連れて土産の品を持参しているのだが、今日は魏仲洪一人であった。何か特別に話があるのかもしれない。そう思いつつ、平静を保って魏仲洪と話していた。

 はじめのうちは魏仲洪は他愛のない世話話などをしていたが、やがて真剣な顔をして姜子蘭を見た。


「ところで、子蘭王子に折り入って話があるのですが、よろしいですかな?」

「なんでしょうか?」

「王子には妃か、許嫁などはおられますかな?」


 唐突な話題の転換だと思いつつも、子蘭は首を横に振った。


「左様ですか。いえ、我らの不手際とはいえ、王子には何かと窮屈で、かつもどかしい思いをさせております。そこで兄と話したのですが、我が兄の子女を娶られるおつもりはございませんか? 王子とも齢が近く、仲父(おじ)である私から見ても若いながらに美しい娘ですが」

「それは、急な話でございますな……」


 どう答えるべきか姜子蘭は悩んだ。そして、


「お会いしたこともない人なので何とも言えません。一度、会わせていただくことは出来ますかな?」


 と返した。




 その翌日。魏盈の屋敷の庭で姜子蘭は魏盈の娘――魏香蘭(ぎこうらん)(まみ)えた。

 魏仲洪が褒めるだけあって、確かに魏香蘭は美しい女性であった。齢は姜子蘭と近いと言っていたが、厳密には一つだけ魏香蘭のほうが上である。しかしとてもそうとは思えぬほどに、落ち着きがあり大人びていて、そして奇麗だった。

 濡れ羽色の鮮やかな黒髪に、透き通るような肌。目は大きくて整った顔立ちの美女である。


「魏中卿が子女、香蘭にございます。子蘭王子にはお初にお目にかかります」

「……虞王の第四子、姜子蘭です」


 身分としては姜子蘭のほうが上なのだが、姜子蘭は緊張して敬語で話してしまった。どうしていいか分からない姜子蘭の手を柔らかな感触が掴みこむ。姜子蘭は魏香蘭に手を引かれながら庭を見て回った。

 流石に今は護衛の兵士も近くにいない。もちろん、遠巻きには控えているが二人の会話が聞こえる距離にはいない。

 魏香蘭は庭を案内しながら、植えてある花や植物の話をしてくれた。杏邑には黄河を伝って東西から様々な物品が集まる。魏盈の屋敷の庭園は杏邑の商人に命じて各地から集めた植物があり、鮮やかに屋敷を彩っていた。

 庭園へは出入りを許されていたので姜子蘭もそれらを見知ってはいたが、名前やどこの地域のものかということまでは知らなかった。護衛の兵士に聞いても、彼らは職務に必要なことしか口を利いてはならないと言いつけられているようで、答えてくれなかった。

 そういう疑問に魏香蘭は逐一答えてくれた。

 魏香蘭はその中で、一つの花を指さした。赤く、四枚の花弁からなる花がいくつも連なった美しい花である。


「あれは蘭という花でございます。西方の鄭水(ていすい)という地の花であり、その香りは老若男女を問わず魅了し、その美しさは木石であっても頬を赤らめるほどに美しいと言われています」

「なるほど。そう言われるのも頷けるほどの美しさだ」


 二人は手をつなぎながら、庭園に咲く蘭の美しさに見惚れて、気が付けば夕暮れまで蘭を眺めていた。

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