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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
王子漂泊
28/115

三氏対立

 杏邑が戦に巻き込まれるかもしれない、と呉展可は言う。

 今の樊は事実上、智、魏、維の三氏に分かれている。魏氏は表向きは智氏と和平をしているがかつては争った中であり、維氏とは同盟を結んで智氏に対抗しておきながら独断で智氏と和睦したことからその関係はよくない。

 また一方で魏氏の領は北に(えん)、南に(かん)という国がある。このうち魏氏は奄との関係はよくなく、管とは親しくしている。なので、奄との戦いという可能性もあり得た。しかし盧武成は詳しい事情を知らず、推測の域を出ない。


「詳しい話をお聞きしてもよろしいですかな」


 その問いかけに呉展可は、もちろん、と顔つきを険しくして言った。


「まだ噂の段階ではございますが、魏中卿が虞王から密勅を得た、との話があります」


 呉展可は声を潜めた。

 噂、とは言うがそれが真実であることを盧武成は知っていた。密勅を携えた使者――姜子蘭を杏邑まで連れて来たのは他ならぬ盧武成だからである。しかし盧武成は素知らぬ顔をした。


「なるほど。では魏中卿は、虞王をお助けするために虢にはびこる顓戎を()つということですか?」

「そうなりましょう。ですが盧氏は、魏氏の兵だけで顓に勝つことがお思いかな?」

「厳しいでしょうな。魏正卿は六卿時代には中将であったとは言え、かつて樊の六卿のうち四氏が出兵し、さらに畿内の諸国と連合しても勝てなかった相手です。戦うのであればせめて智正卿と連合せねばなりますまい」


 そういう分析を口にしてから、盧武成は違和感を覚えた。

 姜子蘭は何故、智嚢ではなく魏盈に密勅を届けたのか、ということである。といっても、姜子蘭は命令を忠実に行ったに過ぎないだろうから、この場合は虢にいる虞王の思惑に不思議なものを感じたのである。

 官位の序列からすれば智嚢にこそ密勅を送るべきである。そうでなければ樊伯だ。

 今までは姜子蘭の密命について敢えて考えないようにしていたのだが、向き合ってみるとおかしな話であると感じた。


 ――撃鹿(げきろく)の戦いの後の智氏の行動がある故、智氏を警戒しているのか?


 撃鹿の戦いとは樊の荘公が畿内の諸国を率い、敗れた戦いのことを言う。虢の北東にある撃鹿という平原で起きたのでこう呼ばれていた。

 その撃鹿の戦いに智嚢は参陣し、帰国後に戦死した樊の三氏の裏切りを喧伝してその氏族を滅ぼしたのである。しかし三氏の裏切りについて明らかな証拠は今のところない。ただ智嚢の証言があるのみだ。

 ともすれば虞王は撃鹿の戦いで何が起こったのかを知っているのかもしれない。智嚢の言葉が嘘であるという確証があるのであれば、智嚢を避けて魏盈に密勅を送ったことにも一応は頷ける。


「では盧氏は、智正卿と魏中卿が組むことはあるとお思いですかな?」

「それは私のような旅の者よりも、呉氏のほうがお詳しいでしょう」


 呉展可の問いに盧武成はそう返すしかなかった。盧武成はこれまでの旅で畿内に立ち寄ったことはなく、樊の三卿については知識はあれど詳しい人柄などは何も知らないのである。それよりは杏邑の豪商である呉展可のほうがよほど精通しているはずだと思った。

 聞かれて呉展可は顎に手をあてた。


「まあ、組まぬでしょうな。そもそも今、樊の三卿はとても複雑な情勢にあります。これは三氏の関係ということだけに留まらず、軍事において突出しているものがいないということもあります」

「北の維氏はどうですか? 当代の維少卿は名将だと聞いておりますが」

「ですが杏邑を落とすことは出来ません。私は軍事に精通しているわけではありませんが、これは断言できます」


 その見解は盧武成も同じであった。

 維氏は樊の北方にあり、独自の軍制改革を行い北に領土を伸張していった。その改革の内容とは騎兵の導入である。樊の北方は山間が多く、相対するのは遊牧民族や山間民族であるため騎兵の軍を編成することは有効であった。

 しかし杏邑という水塞を攻めるには明らかに不向きである。

 一方の智嚢は三卿の中で戦車の保有数が最も多い氏であった。しかし戦車は平地では強いが、山林や水戦には不向きである。しかし智嚢の領地には開けた野が多く、これを攻めるとなれば魏盈、維弓は戦車部隊の大軍を相手取らなければならない。

 故に三氏は互いに対立しながらも、たまに領境で小競り合いを起こす程度で、真っ向から対立することがなかった。


「ならば魏中卿は維少卿と組みますかな?」

「以前ならばなかったでしょう。ですが、魏中卿が密勅を手にしているというのが真実ならばわかりません。維少卿は熱心な尊王家とのことですからな」

「ほう、そうなのですか?」


 その話は盧武成も知らないことであった。しかし呉展可にしても、そういう風説を聞いたというくらいであり、詳しくは知らないらしい。


 ――やれやれ。顓を倒して虞を再興するどころか、樊の卿同士の争いがいよいよ表に現れる結果になるとはな。子蘭の奴も報われまい。


 しかしそんなことはどこまでも他人事である。これはただ、短いながらも旅を共にしたが故に沸いた情からくる些細な憐憫なのだと、誰にともなく盧武成は心の中で言い訳をした。

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