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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
天子救出

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茨子からの使者

 突如として現れた色白の男は、自らを茨国の令尹(れいいん)と名乗った。令尹とは茨国における宰相のことである。

 盧武成をひとまず制した子狼であるが、怪訝さは消せない。その警戒を表には出そうとせず、愛想のよい顔と朗らかな声を発した。


「令尹どのということは、茨子の出師に従ってこられたということですかな?」

「はい。そして今は、主命を帯びて、虞の第四王子の下へ向かわんとしている最中です。貴殿らが王子の臣であるのであれば、案内していただけないでしょうか?」


 敖虎(ごうこ)と名乗った男は、畿内の言葉で話している。それも、言葉に訛りや淀みがない。

 畿内の人か、その言葉を学んだ人であろう。茨国の人というのも虚言とは思えない。ただし子狼のこの推測は、そういう嘘をついて利になる者がいない、という消去法からくるものであった。


 ――しかも、率いているのはわずかな従者のみ。車騎ではなく乗馬で来たというのは、速さを重んじてのことであろう。


 冷静で豪胆。温和にして、しかし付け入る隙が見えない。令尹であるという名乗りの真偽は別にして、傑物であることには違いない。


 ――卒がなさすぎて、かえって構えちまうな。可愛げがない。


 そう思いはしたが、当然のこと、口には出さない。そして、友好的な相好もそのままである。


「確かに、我らは王子に仕える者にございます。なれど慮外の使者でございますので、ひとまず私が先に走り、我が君の意を確かめて参ります。どうか敖氏は、こちらにいる強面(こわもて)の男と歓談しながら、ゆるりと来られませ」

「――確かに、こちらは不意の来訪でした。警戒なさるは当然のことにございます。ですが、私は決して王子を害さんとして参ったのではございません。その意は、お伝えいただきたい」

「承りました。では盧氏よ、敖氏の歓待はお任せしましたぞ」


 そう言い残すと、子狼は風のような速さで馬首を返し、走り去った。

 残された強面の男、盧武成は、苦言の一つも言えぬままに走り去った同僚の背から目線を切って敖虎に一揖する。


「……では、不肖この盧武成が、敖氏の道中の歓待と護衛を務めさせていただきましょう。生来の武骨者にて、愛想無しの口下手ではございますが、そちらには目を瞑っていただきたい」

「いえ、頼もしい限りでございます。私は見ての通り文弱の徒でございますので、貴殿のような豪傑に護られるのであれば、道中に不安を抱える必要がございません」


 素直な称賛と敬意の言葉であると、盧武成にはそう思えた。しかし、丁寧な言葉と柔和な笑貌は、本心を隠すための仮面のようにも思えてしまう。

 どう受け取るべきか悩んでいると、敖虎が急に噴き出した。


「ああいや、これは失礼いたしました。どうにも盧氏が、私の友人に似ていたものですので、つい」


 敖虎はすぐに口元を抑えると、まだ頬の緩んだ顔で盧武成に詫びた。


「敖氏のご友人、ですか?」

「はい。武一辺倒の豪傑なのですが、まっすぐ過ぎて不器用に生きている男でございます。察するに、盧氏もそういう御仁かと思いまして」

「……先ほどまでいた、あの幇間(ほうかん)のような男には、同じような評をされました」


 幇間のようだ、という盧武成の喩えを聞いて、敖虎はまた笑った。


「僚将をそのように喩えるとは、盧氏は人に悪態を吐くにも手心がありませんな。しかし私も、先に話したその友から、女衒(ぜげん)のような奴めと面罵されたことがございます」

「……そう、なのですか?」


 盧武成は返しに困ってしまった。少なくとも盧武成から見て、敖虎はそのような人には思えない。

 しかし、子狼という稀代の悪友を持つ身として、振る舞いや言動はまるで違うのに、何故だか子狼と敖虎という二人には近しい性質があるように感じたのである。

 そして、続く言葉が巧く出てこない。困った盧武成は、話題を変えることとした。


「ところで、茨国で敖氏といいますと、貴殿は先の令尹たる敖賈(ごうか)どのの縁者なのでしょうか?」

「はい。敖賈は私の祖父です」


 前にも少し書いたが、敖賈は弱年にして茨国の令尹となった人である。しかも、今の茨子が即位した時には、一時的に執政の座を務めた人でもあった。敖虎が若くして令尹の顕職にあるのも、血筋だけを見ればそうおかしな話でもない。

 しかも、今の茨子は即位に際して二度の内訌を経験している。既に要職にあった老練な臣よりも、しがらみのない若い賢才を擢登したのであろうかと盧武成は考えた。


祖父君(おじいさま)の声名は、遠く虞の地にも届いております。また、私はかつて貴国を旅したことがございますが、茨人に敖令尹の話を聞いて、一つの悪評も耳にしたことがございません。しかるに知らぬことも多くございますので、どうか敖氏の立場から見た祖父君についてお聞かせ願えないでしょうか」


 盧武成は拝手してそう頼みこんだ。茨国の内情について知っておきたいという打算もあるが、敖賈という人について知りたいというのも、また本心である。

 真面目な顔で頭を下げる盧武成を見て、敖虎はまた笑った。


「盧氏は実に、話していて爽快な人ですね。言葉に腹蔵がなく、話し運びに計算がない」

「そういったことは、我が友の領分でございますので」


 柔らかさのない言葉である。しかし敖虎は、その武骨を好ましく思った。

 そして、盧武成に請われた通りに、祖父のことを話し始めたのである。

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