茨子
即位してより暫くの間、聴政を行わないということは、君主として珍しいことではない。むしろ、先君の喪に服し、その間のことを執政に委ねることこそが正しい虞の列国の在り方とさえ言える。
しかし、服喪というからには、身を清め、贅沢を切り離し、死者を悼むためのものである。それを、後宮に籠って豪奢に耽るというのは言語道断であった。
「ですが、一たび朝廷に姿を出すと、賢臣を擢登し、佞臣を廃したそうでございます。その放蕩の間に、独自の知見をもって廷臣のことを調べていたとのことですが……。私も、知りうることは、このくらいでして」
「つまり茨子は、愚昧を装っていたということですか?」
「……おそらくは。私としても、茨国の朝廷に知己がいるわけではなく、どこまでも噂として知っていることを申しあげただけですので」
盧武成の問いに、沙元は申し訳なさそうにそう語る。
「まあ、どうにも茨子というのは、油断ならぬ人のようですな。沙元どのに聞いた限りでも、軍政ともに成熟した人との印象を受けます」
「ですが茨子は、確か……今年で十八だったと記憶しております」
子狼としては、どれだけ若くとも二十の後半は越えていると思っていたが、沙元の言葉によってその推察は、瞬く間に間違いであると分かった。そうなると、茨子は姜子蘭とほとんど変わらぬ齢で兄を弑して君位についたということになる。
ともかく、この場でこれ以上、茨国と茨子において知ることは出来なさそうであったので、ここまで出た話を総括することにした。
茨国とは、民の気性は激しく、兵は強い。
そして当代の君主は、若くとも、兄を弑した貪婪な人であり、しかも、阿呆を装いながらも冷静に人を見ている抜け目ない人であるかもしれぬ、というところであった。
「とにもかくにも、我らが今すべきは、向後の方針を定めることではありませんか? そうせねば、ここまで無理な行軍を重ねた将兵の苦労が無に帰します」
そう進言したのは顓遜である。その言は最もなものであった。
「そうですな。敵のことを詳らかにせんとして、その虚影に怖れ慄いていては意味がございません」
子狼は、こともなげに笑う。それが虚勢からくるものだと、肥何と盧武成、そして顓遜だけは分かった。
「茨国の思惑はどうあれ、今もっとも苦境に立たされているのは虢の顓公です。なにせ、東と南の二方面から攻められているわけですからな。しかも、先に撃鹿で敗れたばかりなので、心安らかではないでしょう」
「顓公はどう出るだろう? 籠城するであろうか?」
姜子蘭が子狼に聞いた。しかし子狼は、おそらくそうはしないと見ている。
「そもそも、虢は守戦に向きません。故にこの地に逃れられた天子は、あっさりと顓公に敗れたのです。虢の地は要衝でありますが、その本来の役目は吃游と滎倉を繋ぐことであり、城塞として敵兵を防ぐことではありません」
そう話しながら、子狼は自らの言葉に違和感を覚えた。
語ったことに間違いはない。虢は堅牢な守城でなく、虞の東西の公路として作られた城である。そして、顓族が攻め入ってより今日まで、増築されたという話は聞かない。
しかしそれは、とてもおかしなことである。
――守りに向かぬ城、枯れた地に幾年も留まり、しかもさらに東進することもなく奢侈に耽るのみ。顓戯済とは、それほどまでに魯鈍か?
顓族が幾年も虢に留まり、天子を傀儡として虞王朝を壟断する。故に我らは、顓族を打破して天子を解放しなければならない。
その前提となる顓族の行動に、ここにきて違和感を覚えたのである。
しかしそれは、実際に今もなお虢を占領している顓族のことを考えれば些事である。子狼は、頭に湧いた疑念を押しのけて言葉を続けた。
「ならば我らは、茨国と連携するように動けばよいのです。両軍が相争うのを見計らい、快速にて虢を攻めましょう」
「理想はそうであろうが、そう巧くいくものか? 茨国とて我らのことは把握しているだろう。事と次第によっては、兵を出してこちらを牽制してくるのではないか?」
子狼の問いに、姜子蘭は懸念を口にした。しかし子狼に言わせてみれば、そうなることはほとんどないと見ている。
茨国の軍は二万であり、この全軍を当てなければ、顓族と戦うのは厳しいだろう。他に伏兵、隠れた軍がいることも考慮してはいるが、三秧軍に多くの兵を割くことは難しいと見ていた。というよりも、大軍をわざわざ複数に分けるのであれば、挙軍一致して顓族を迅速に打ち破り、三秧軍に先んじるほうが有効なのである。
つまりこれは、三秧軍と茨国の速さの勝負なのだ。
その上で子狼は、改まった顔をして、姜子蘭に聞いた。
「さて、我が君にお聞きしたい。虢には、その城市へ繋がる脱出路がありますな」
子狼は断定するような言い方をした。それについて姜子蘭は、やや声を震わせながら、頷いたのである。




