南方の大国
茨子の軍とは何か。まずは、茨子という語について語らなければならない。
茨というのは、南方の大国である。子というのは虞における爵位のことであり、下から二番目となる子爵を有していることを指す。茨子というのは、茨国の君主のことであった。
さて、では茨国とはどういう国か、という話をしよう。
国姓は羋であり、元は極南の小国であった。国祖のことさえ分からず、そもそも、虞としても認識さえしていなかったほどである。
しかし、やがて武力を伸ばして躍進をはじめ、二百年ほど前に財物と珍品とを収め、虞の列国の一つとなった。子爵は、その時に得たものである。
その後も茨国は伸張を続け、やがて、五十年ほど前に武公という英主が現れた。
武公は富国強兵に努め、虚王十年には、かつてに十倍する財貨を進物として持参し、爵位を上げるよう求めたのである。しかし虚王は、所詮は南蛮にすぎぬ茨国に子爵以上を与えるわけにはいかぬと、聴許しなかった。
そもそも虞の爵位というものは、建朝の功績によって与えられたものであり、与えられた爵位が上がった国というのはない。また、金品によって爵位を得た国も茨国のみである。それだけでも格別であり、この上さらに、建国に大功のある諸国と同列、あるいはその上に置くわけにはいかなかった。
しかし茨国にも、虞の諸侯国よりも自国のほうが強いという自負があり、また、独力で為しあがったという矜持がある。爵位において、他の国の風下に置かれているということは耐えられなかったのである。
ただしこの時、来朝した武公には敖賈という臣が随従していた。
この時の虚王は、ちょうど、夏娰という美女を手に入れたころであった。ただし、まだ傾倒して政務を滞らせることはしていなかった頃である。しかし敖賈は、
『虞はいずれ滅びるでしょう。敢えて爵位を求めることはありません』
と、本願を果たせなかった武公に言ったのである。
敖賈という人は令尹という、茨国における執政の長であった。怜悧明晰な人であり、虞の落魄の兆しを既に見て取っていたのである。
武公は敖賈の言葉を聞き入れ、やがて虞の爵位を求めず、そして虞を憚らずに南方で国土拡大に努めるようになったのである。その中で、虞の諸侯国を滅ぼしたこともあった。流石に、表だって虞と対立することはしていないが、少なくとも、尊王の気風を抱く国ではなかった。
その茨国が今、大挙して北進してきたというのである。
「仔細を話せ。茨国の軍容はどのようなものだ?」
顓戯済の鋭い皺枯れ声に促され、家臣は、つとめて冷静さを保ちつつ、告げた。
「……兵数は二万。阜関を囲んで半日で落とし、そのまま北へ進軍しているとのことでございます」
顓戯済が阜関に配備していた兵は、五千である。それなりの城墻を有する関であり、虞を南蛮より守る三つの要関の一つではあるが、四倍の兵差でもって攻められれば、凌ぎきれるものではなかった。
しかも、阜関を落としてなお北進しているのであれば、虢を目指していると見るべきであろう。領土拡張のためでなく顓族と雌雄を決するための出陣であると、顓戯済は考えた。
「阿坤はどうなった?」
「わずかな兵を率いて、脱出なさったとのことでございます」
そう聞いた顓戯済は、小さく嘆息した。そして、一度だけ首をひねって顓謙鄀を見ると、
「その男は、牢に入れておけ」
と、家臣たちに命じた。
顓戯済としては、不服な処置である。しかし、今や二人しか消息が分からぬ男子のうち、二人ともが敗走したとなっては、片方だけを罰することも、また、二人ともを処断することも出来ない。
不肖の子を持った、と苦渋を浮かべながらの決断であった。
家臣に連れられ、やがて視界から消えた顓謙鄀をもう見ることはなく、誰もいなくなった場で顓戯済は一人、顎に手をやり、舌打ちをした。
「……茨国の孺子め。今更になって攻めてくるとは、血迷ったか?」
その苛立ちは、誰の耳に届くこともなく、夜の風に融けて消えた。
三秧軍は、滎倉を落とすと休息し、翌々日に兵を西へと発進させた。
その軍旅は、速さを一義とする進軍である。通常、滎倉から虢までは、どれだけ急いでも五日はかかる。しかし三秧軍は、昼夜兼行し、三日で、虢から二十里(約十キロ)のところまで迫ったのである。そして、温という地に陣を張った。
「なんとも、緩急の激しい行軍だな」
盧武成は、自らの愚痴ではなく、兵を慮って、その献策をした軍師、子狼にこぼした。しかし子狼は、
「北地縦断に比べれば、なんということはなかろう」
と、一笑に付した。
無論、子狼がこのような行軍を強いたのには、理由がある。
撃鹿の地で三秧軍は大勝を収めた。しかし、滎倉という大兵廠を得たが、兵は増えず、むしろ減っている。それに対し顓軍は、敗れたりといえど、未だ三秧軍に数倍する兵を有しているのだ。
ならば、三秧軍には勝利、顓軍には敗北の記憶がまだ新しいうちに、決戦に挑まなければならない。子狼が軍議の場で進言した言葉を用いるのであれば、
『戦に勝つための要訣とは、実は、兵の強弱でもなければ軍資の多寡でもなく、まして、将や軍師の優劣でもございません。大勢がどちらに傾いているか、にございます』
とのことであった。もちろん、子狼が述べた諸々のことが勢いという名の秤を傾けるための重石となることには違いないのだが、それらは勝敗の本質ではない、というのが子狼の考えなのである。
これは肥何や楼環の教えではなく、その言説を聞いた時には、肥何も驚いていた。ただし、自軍に破竹の勢いがあるならば、停滞によってその潮流を断つべきではないという考えには賛同し、子狼の献策を推したのである。
こうした経緯で、三秧軍は、電掣の進軍を敢行した。
そして、いよいよ虢に手が届こうというところまで来た時に、三秧軍もまた、茨国の動向を知ることとなったのである。
第八章「撃鹿血戦」編は今回で終了です。明日より第九章「天子救出」編が始まります。
そして、『春秋異聞』は次章までで第一部という括りとして考えております。一部があれば二部もあり、まだまだ物語は続くのですが、一つの節目を迎える次章「天子救出」編、よろしくお願いします!!




