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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
撃鹿血戦

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鬼神の迎え

 撃鹿での敗戦から五日後の(ひる)ごろになって、顓謙鄀はどうにか生きて虢の地を踏んだ。髪は乱れ、やつれているが、五体は無事である。その時にはすでに、顓彰期、沙屹らの兵や、鵡涯の軍も虢に戻っていた。

 しかし、鵡涯は既に将としての任を解かれていたのである。

 城内にある自らの邸宅で、体を清めている最中にそのことを仄聞した顓謙鄀は、湯を浴びながら、全身を震わせた。肌は小さく泡立っている。


 ――私は、どう処されるであろうか。


 顓謙鄀は畏れた。父である族長たる顓戯済からは、旅塵を落としおえればすぐに来るように、と言われている。その場は父子の再会を祝う場ではなく、撃鹿敗戦の責を断罪する法廷となるに違いない。

 顓戯済は、我が子に対して情というものがないわけではないが、父であるよりもまず顓族の長である、と考える人である。やおら将兵を死なせ、しかも無様に遁走してきた顓謙鄀に厚情をかけることはないであろう。

 逃げてしまうか、とも考えた。しかし邸の門前にはすでに迎えの車馬と護衛の兵士が来ている。

 少しでもおかしなことをしようものならば、即座に首を刎ねられることさえあり得るのであった。

 ちなみに車というのは普通、天蓋のついた開けたものであるが、顓戯済が遣したそれは、匣に車輪をつけたようなものであり、動く(へや)のようである。ただの車ではなく、囚車であった。

 すでに顓謙鄀は罪人と見なされている。そのことに戦慄しながら、しかし、それが斬首場に続く血塗られた道へ自らを運ぶ鬼神の迎えと知りつつも、身を正して乗り込むしかないのである。


 ――そういえば、無卹はどうなったのであろうか。


 ふと、弟のことが顓謙鄀の頭をよぎった。

 顓彰期は戦死したと聞いたが、顓項によると、逃げたとの話である。しかし、虢に帰参してはいない。処罰を恐れて逃げたか、あるいは、敗走の最中に山賊などの手にかかって落命したか、というところであろう。


 ――そういえば、前に無卹のやつも、顓獄に負けて滎倉に逃げてきたことがあった。今の私は、あの時の無卹と同じではないか。


 小さく自虐して、誰も陪乗することのない薄暗がりの中で力なく嗤う。小窓さえついていない囚車は、今どこを進んでいるのかさえ分からない。どれだけ揺られていたかも定かでなく、ようやく止まり、扉が開かれたと思うと、そこは顓戯済の邸の前であった。既に夕刻となっており、茜色に染まる空を、(からす)の群れが飛んでいる。

 今や虞王の宮殿の門戸よりも高い荘厳な門を、顓謙鄀はゆっくりと見上げた。

 これまで、何度となくこの門をくぐったが、その時には、いつも心穏やかであった。それが今では、前に踏み出す足に力が入らない。左右の兵士に促されながら少しずつ進んでいくが、まるで足枷をつけられているような歩みの遅さであった。

 しかも兵士たちは顓謙鄀を、邸内でなく、庭先のほうへと誘っていく。剪定された木々と、白砂とで彩られた美しい庭園の上に(むしろ)を敷いて、顓謙鄀は座らされた。やがてそこへ、邸内から顔を出した老人がいる。顓族の長、顓戯済であった。


「――来たか、謙鄀」

「……お呼びとのことでしたので、参りました」


 顔には深い皺の刻まれ、白髪髭を蓄えた老人。鋭い眼光は蛇のように、見る者を威圧する。

 この老人こそが顓族の長であり、今や虞王朝を壟断している顓公――顓戯済、その人であった。


「よく、おめおめと参れたものだ」


 しわがれた、重苦しい声が顓謙鄀を責める。顓謙鄀は顔を青ざめさせながら、


(はじ)を忍んで、参りました」


 と、小さな声で言った。


(はじ)る心があるのであれば、自裁して首だけで参ればよいものを」

「……申し訳ございません」

「謝るしか能がないのか。お前はもう少し利巧と思っていたが、親の欲目であったようだな」


 厳しい言葉であるが、実際に、四万という大軍を率いて一万ほどの三秧軍に負けた後では、言葉を返すことが出来ない。その咎を以って死を命じられることを、顓謙鄀は覚悟した。


「彰期は死に、無卹は帰らず。項は叛いた。私の男子の中で、残っているのはお前と阿坤(あこん)のみか」


 阿坤というのは、顓戯済の四男である。齢は二十五であり、今は南にある阜関(ふかん)を守っていた。顓阿坤は顓戯済の正室の子では一番若く、父から最も愛されていた。


 ――私を殺し、阿坤を嗣子として立てるおつもりか。


 ここでわざとらしく阿坤の名を挙げたということは、そうであろうと顓謙鄀は見た。

 顓謙鄀にとって、季子(まっし)たる顓阿坤は、穏やかで人懐っこいが、族長としては頼りない、という認識である。そういう弟が顓族を継げば、その後、顓族はどうなるのであろう。

 そう考えつつ、顓謙鄀は不意に、この思考そのものが愚かしく思えた。


 ――間もなく死ぬというのに、このようなことを考えても仕方がないな。


 顓戯済が死を口にするより先に、すでに顓謙鄀は、下されるであろう断罪の刃を受け入れていた。

 その時である。顓戯済の家臣の一人が、息を切らして場に割って入った。火急の報せ、とのことである。


「なんだ。謙鄀を破った虞の王子の軍が、西から向かってきているのか?」

「いいえ、違います。西ではなく、南で変事が起きました!!」


 慮外の報告に、顓戯済は眉をひそめる。


「――顓阿坤さまの守られる阜関(ふかん)が、茨子(しし)の軍によって攻め落とされたとの由にございます!!」

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