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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
撃鹿血戦

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仕えるということ

 子狼と脩が丸めて焼いた(さん)は、すぐに兵士たちに振る舞われた。

 姜子蘭も木製の平皿に山盛りのせて、子狼、脩と共に歩いていく。おそらく、共羽仞たちがいる場に向かうのであろう。

 楼盾も姜子蘭についていった。あまり気乗りはしなかったのだが、主君に強く誘われたため、断り切れなかったのである。

 もちろん、姜子蘭は盧武成のことも誘った。

 しかしその時、顓遜が、


「少し、盧氏をお借りしてよろしいでしょうか? 子蘭どのご自慢の豪傑と、私もお近づきになりたいと思いまして」


 と言い出したのである。

 盧武成としては、そもそも、飲食を派手に楽しもうという気はあまりないのである。しかし、誘いを断るのも悪いと思い、顓遜と飲むことに決めた。


 ――我が君についていくと、また歌難に遭いそうだからな。


 歌難とは盧武成の造語であり、それの指すものは子狼の歌声に他ならない。子狼の悪声は、十万の敵さえ恐れぬ勇士、盧武成であっても怖れるほどのものなのである。

 盧武成と顓遜は、一礼して姜子蘭を見送ると、酒盃をもらってきて手頃な椅子に腰かけた。ちょうどそこへ、休息にはいった紀黎もやってきて、三人で呑むこととなった。


「そういえば、家宰どのが酒を嗜まれるところは初めて見ますね」


 顓遜にとっての紀黎は、口煩く、しかし厳格な女性である。付き合いはそれなりに長いが、顓遜は紀黎を下戸ではないかと思っていたほどであった。


「軍師どのが酒を呑まれている様は、ありふれていて目新しさに欠けますね」


 冷ややかな声で返されて、顓遜は少し拗ねたような顔をする。


「共羽仞に比べれば良識のあるほうでしょう。あの方は、戦陣の最中でなければ常に酒を呑んでおられますからな」


 盧武成は、真顔でそんなことを言った。そこに一切の他意がなく、ただ思ったままのことを口にしたのだろうと分かるのが、二人にはかえって面白い。


「ところで紀黎どの。失礼ながら、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」


 盧武成は急に、眉一つ動かさずに言った。なんでしょうか、と紀黎が聞く。


「女性が家宰を務められるというのは、顓族ではよかあることなのでしょうか?」


 虞では、家宰に限らず、家臣に女性がいるということはまずない。といって盧武成は、女だてらに、という含みなどはなく、ただただ異文化への知見を広めたいというだけで聞いたのである。


「たまにある、というくらいですね。そもそも私は、元は顓戯済さまの奥方さまの侍女の身でしたので」

「そうなのですか?」

「はい。そうしてずっと面倒を見ているうちに、気がつけば家宰となっておりました」


 顓項は、顓族の長たる顓戯済に背いて流された身であり、周りに人がいないという事情もあった。それ故に、顓項は幼少より知っている紀黎を家宰に据えたのである。


「奇特な経歴という点でいえば、盧氏もでしょう。子狼どのの話だと盧氏は、元は旅人の身でありながら虞の王子の直臣となられたと聞いておりますぞ」

「まあ、そうなりますな」


 いらぬことを言いふらしたなと、盧武成は心の中で子狼を罵った。嘘ではないが、わざわざ吹聴するようなことでもなかろう、というのが盧武成の想いである。


「子狼どのは、盧氏のことをたいそう(ほめ)ておられましたよ。勘当された身を王子のご厚情で拾っていただいた自分などとは大違いだ、と」

「……そうですか」


 子狼の自己への評は、間違いとは言えないが、的確とも言い難いものであった。その裏にある事情をすべて知っている盧武成としては、酒杯を煽ることで渋面をはぐらかすしかない。


「その時の子狼どのはどうも、わざと自分を貶めたような物言いをされておられました。そこに、同僚としての盧氏を立てんとする敬意があったように思います」


 顓遜はそこで、鋭いことを言った。

 子狼が自分を貶めるようなことを言うときは、他者を持ち上げんとする時である。

 子狼は饒舌で、かつ能弁な男であるが、自らのことは平然と悪しざまに語るという悪癖である。


「私は今まで、盧武成どのは虞の臣であると思っておりました」


 驚きの声を発したのは紀黎である。紀黎は盧武成も子狼も、虞の臣として姜子蘭に従っているものと思い込んでいたのであった。


「それはきっと、紀黎どのが顓項どのの家宰になられたのと似たような感覚でしょう。少なくとも私にとっては、気がつけばなっていた、としか申せません」


 ここで多弁にならぬのが、盧武成という男の性情である。そう言われると紀黎と顓遜も、深く詮索することはなかった。


「しかし、盧氏のお気持ちも分かる気はいたします。子蘭どのは……純朴な御仁ですからな」


 やや言い淀んだが、それは顓遜の本心である。


「どうにも子蘭どのは、およそ虞の王子らしからぬ人であるなと感じます。もしや子蘭どのは――」


 顓遜はそこで、何かを言いかけて、やめた。盧武成のほうも、顓遜が何を言おうとしたのかは察した。


「私は王朝に仕えているのでなければ、身分に仕えているわけでもありません。ただただ、姜子蘭という人に仕えているのです。それがすべてであり、その他のことはすべて些事でございます」


 家に仕え、身分に従い、血に傅く。虞における臣というものは、すべてそのようなものである。そういった考えをすべて否定するわけではないが、盧武成として、自分には合わぬ、と思っている。盧武成が姜子蘭を虞の王子として立て、そのように敬意を向けるのは、ただ仕えんと望んだ主君が虞の王子であった、というだけのことなのだ。

 そして顓遜と紀犁も、顓族の長たる顓戯済に叛きながら顓項に仕えているので、本質は盧武成と同じなのである。

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