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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
撃鹿血戦

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酔客の進言

 軽い心持ちで肴の追加を貰いに来た、脩曰く、姜子蘭の不良兄貴こと子狼は、場の奇妙な顔ぶれと状況に、思わず首をかしげてしまった。

 姜子蘭と顓遜は獣臭を帯び、血で衣服を汚して地に座り込んでいる。そして場には、解体された肉塊が並べられているのだ。


「我が君と顓遜どのは、いったいどうされたのですか?」

「お前たちが呑んだくれている間に、将兵のために手ずから肉を捌いておられたのだ」


 それは、と子狼は驚きの声をあげる。なにせ子狼は、姜子蘭がここにいることを、今の今まで知らなかったのである。途中まで盧武成と一緒にいたことは知っていたので、より詳細にどこで何をしているかなど気にも留めていなかったのだ。


「勤勉なのは結構なことですが、将兵が綱紀を緩めて酒肉を楽しもうという場で、主君がいそいそと働いておられますと、下の者もどこか心休まらず、かえって窮屈するものでございます」


 その上で子狼は姜子蘭を称道することなく、諫めるように、そう言った。


「現に、この軍中において特に大功ある将の一人である武成は、我が君を気遣って、未だ酒の一杯も口にしていないではありませんか」


 子狼に説かれて、姜子蘭は顔に焦りを見せた。事実、盧武成は主君たる姜子蘭を憚って、未だ食事も酒も摂っていないのである。


「無論、酒はともかく食事は無から出てくるものではありませんので、誰も彼もを休ませるということは出来ません。ですが、そのために糧官、包人たちがいるのです。軍にはそれぞれの者に与えられた職分があるのですから、何でもかんでも上の者が手を出すというのは、いかがなものかと」


 それはまったくの正論であり、姜子蘭は、浅慮であったと恥じ入った。

 ただし盧武成としては、子狼の言い分には確かに理を感じはしたが、


「それが素面の口から出たものであれば、賢臣の箴言であるのだろうさ。だが、今のお前が言うと、酒飲みの詭弁にしか聞こえんぞ?」


 と、口に出さずにはいられない。よく回る舌と、なまじ筋の通った流暢な弁舌で、何も知らずに盃を傾けていた後ろめたさを払おうとしているように映ってしまうのである。


「まったく、盧氏の仰るとおりですとも。このような男には、酒肴の代わりに苦草(にがくさ)の汁と鼠の腐肉でも与えておけばよろしいのです」


 子狼のことが嫌いな楼盾は、ここぞとばかりに盧武成に追随し、辛辣な言葉で子狼を攻め立てた。

 しかし、酔って気が大きくなっている今の子狼にとっては、蛙の顔に水をかけるようなものであり、少しも堪える様子はない。


「おう、気分転換にそういう珍味もいいかもしれんな。それで酔いが消えれば、また新たな心地で酒が呑めるというものだ」

「おお、久しぶりに野鼠の(しおから)でも食べるか? それならば、私にも一つくれ」


 しかも、強気な子狼の言葉に姜子蘭がおかしな反応を示してしまったために、楼盾は困ったような顔を盧武成に向け、顔を近づけて、聞いた。


「……あの、盧氏。その、野鼠の醢とは? 何故、我が君がそんな、蛮風ただよう料理を嬉々として口にしておられるのですか?」

「……薊国の地から常山に向かうまでに兵糧不足があってな。それで、そのようなものを口になさることがあったのだが、どうも我が君は、珍味として気に入ってしまわれたようなのだ」

「そういうと我が君は、確か……軍師どのの、彼の悪名高き歌声についてもいたく称賛なされたと聞いていますが、虞の王室の方というのは、そういう感性をお持ちなのでしょうか?」


 維氏の領に住んでいれば知らぬ者はおらぬほどに、子狼の悪声は有名なのである。そういう、姜子蘭の常人離れした趣向を仄聞すると、楼盾は悪気なしにそんなことを口にしてしまった。

 そして、当然ながら、姜子蘭の他には虞の王族など知らぬ盧武成は、知らぬ、と返すしかない。


「……そういう好悪の情は、良き君主の素質とは関わりなかろうさ」


 思うところはあれど、あまり姜子蘭を悪く言いたくない盧武成としては、そう言葉を濁すしかなかった。


「しかし我が君、せっかくここに上質の虎肉があるというのに、わざわざ野鼠などを食す必要はございますまい。それに、見たところ糯米(もちごめ)があるようですので、(さん)にしてはいかがですか?」

「糝、とはなんだ?」

「肉を細切れにし、糯米と混ぜ合わせて炙る、肉餅の一種でございます。私の故郷では犬や兎で作るのが主でございましたが、虎で作っても美味でしょう」


 そう言うと子狼は、手を酒で洗うと、糯米を釜によそって(ふか)しはじめた。その間に、姜子蘭と顓遜が解体した虎肉を細かく刻み、麹と醤とで下味をつける。そして釜の中の、白く泡立っているようにも見える糯米が段々と熱に溶けだすと、味付けした虎肉を入れた。そして、小型の(きね)で衝くようにして混ぜだしたのである。

 すると段々、肉と糯米とは混ざり合い、やがて、茶色い餅となった。


「あとは、食べやすいくらいの大きさに丸めて分ければ完成です。脩、悪いが桶に水を汲んできてくれ。さすがに、手を冷やさずに触るとやけどするからな」


 頼まれると、脩は近くの井戸から水を汲んできた。そして子狼と脩は、二人で、釜いっぱいの肉餅を濡れた手で丸め始めたのである。

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