肥何との再会
子狼たちからの報告を受け、姜子蘭は兵を率いて制周城へと向かった。
兵はすべて連れて行き、沃周城については、姜子蘭が来る前とほとんど同じ状態となっている。ただし、楼盾だけは五十ほどの兵と共に残り、代わりに、沃周城の主たる沙元と、その部将二十名が加わった。これは戦力というよりも、沃周城が背いた時の人質である。
姜子蘭は難色を示したが、子狼は強弁した。
「かつての敵に厚情を向けられるのは徳でございます。なれど、沃周城は将兵が心血を注いで得たものであることをお忘れなきように」
そう言われると、姜子蘭は頷くしかない。
しかし、人質を取る他には何もしていないので、降った城の将兵への待遇としては過分である。常であれば、降った城の将兵は、奴に落とされるか、前線に立たされても文句は言えぬのだ。
そう分かっている沙元は、姜子蘭の厚遇に感謝した。しかも姜子蘭は、つい先日までは主君であった顓項に戈矛を向けるのは心苦しかろうと、沙元らを後陣に留め置くことにしたのである。
「よいのか、子狼。兵糧の問題もあろうが、ここで兵を増やしておかねば、やがて虢に進軍した時に我らは苦戦を強いられるぞ」
盧武成は、子狼にそう耳打ちした。制周城には呉西明だけを残して、子狼は一度、姜子蘭の下へ復命するために戻ってきていたのである。
「今、それをしても意味がないからな。沙元どのを始め、沃周城は進退維れ谷まりてやむを得ず降ったのだ。そんな兵が、使えるものかよ」
「ならばお前は何故、三連城を攻めさせた? 兵や軍資の補給のためでないのなら、我らの強み、騎馬の快足を以て虢を奇襲したほうがよかったのではないか?」
「そのあたりのことは、まあ――今にわかるさ」
こういう言い方をすれば、どれだけ目で威されても口を開こうとしないのが子狼という軍師である。それが分かっているだけに、やたらと目が疲れるだけと分かってはいても、子狼の人を食ったような振る舞いを前にすると、つい睨みつけてしまうのだ。
ただしこの時の子狼は、少しだけ言葉を漏らした。
「まあ、俺の狙うところが何であるか、それだけは我が君のお許しを得ている。策の過程は秘しているがな」
子狼は、盧武成にだけ聞こえる声でそう言った。
制周城に着いた姜子蘭軍を迎えたのは、趙白杵と肥何、そして、体のあちこちに青あざをつくっていた呉西明であった。
呉西明のことも気になったが、当の呉西明が、大したことではないと言うので、姜子蘭は趙白杵と肥何に挨拶をした。とりわけ肥何は姜子蘭との再会を喜び、拝跪しようとしたのだが、姜子蘭がとめた。
「我らはこれから友軍となるのです。趙氏の軍師である貴方が、私に膝をついてはいけません」
そう言われると、肥何としてはやめるしかない。
「そうですぞ、肥翁。私への随従は辞されたというのに、白杵には従って制周まで来られたのですから、我が君よりも白杵を立てるべきでしょう」
子狼は孺子のように拗ねている。子狼は肥何を師として敬仰しているからこそ、共に来てほしいと頼んだのであり、親に次ぐ孝心を向けているからこそ、霊戍に骨を埋めたいという思いを尊重したのである。
もう会うことはなかろうと思っていただけに、再会出来たことは望外の喜びである。しかし、いざ顔を合わせると、つい意地の悪いことを言ってしまったのだ。
「そのことについては、申し訳なく思っております。なれど、子狼どのは既に一人の丈夫ですので憂慮はありませんが……お嬢様は、目を離すのが、とても臓腑に悪うございますので」
趙白杵は手が焼ける、とはっきり言われてしまった形になる。しかし、実際にここまで山賊の頭目をするにあたって肥何の智謀に大いに助けられてきた趙白杵は、その言葉を咎めなかった。
そうやって、子狼たちが久闊を叙している間に、盧武成は呉西明にあざの理由を聞いた。趙白杵と棒術の手合わせをして散々に負けたとのことである。
相手が女性なので手を抜いたのかとも思ったが、そういうわけでもないらしい。
呉西明の腕前は盧武成も承知しているので、それを難なく倒したとあって、趙白杵にはそれなりの実力があることは分かった。
制周城の執務室で、軍議が行なわれることとなった。場にいるのは、姜子蘭、盧武成、子狼、趙白杵、肥何である。
目下の標的は、顓項が逃げ込んだ穎段城の攻略である。ここにいる城兵は三千ほどである。それに対して、姜子蘭の兵と恒華山の山賊たちを併せて、四千五百ほどであり、兵力に大きな開きはない。
であれば、城壁に籠もって城を守るほうが有利である。制周城で肥何が用いた策ももう使えないであろう。
加えて、姜子蘭の兵も山賊たちも、騎兵が主である。故に、城攻めは不得手であった。
ちなみに恒華山の山賊たちが騎乗出来るのは、戦車を用意することが出来ず、しかし顓族とやりあうために趙白杵と肥何が馬術を教え込んだものである。
「とりあえず、攻めてみよう」
というのが趙白杵の主張である。当然のように、却下された。
「ここは敢えて穎段城を無視して南進してはどうでしょうか? あちらには虢の堰堤となる使命がある以上、看過は出来ぬでしょう」
盧武成の意見は、趙白杵に比べれば真っ当である。姜子蘭も色々と考えたが、盧武成と同じ意見であった。
この二人は、自分たちの強みを活かせるのは野戦であり、不得手な城攻めをどう行うかよりも、いかにして敵を城外に誘引するかを考えている。
盧武成は、戦術は苦手だが、武人としては卓越している。軍を個人に置き換え、戦を一騎打ちと捉えることで、敵の長所を潰し、自分の有利を活かすことが勝ちに繋がるのだと分かっていた。
姜子蘭がそういう考え方が出来ているのは、盧武成と子狼という、二人の師の教導があったればこそである。
「我が君も、しっかりと将としての思考が出来るようになられましたな」
「私は、武成の意見に追従したに過ぎないさ」
子狼に褒められたが、姜子蘭は謙遜した。
「ですが、我が君と武成の策は、悪手ではありません。しかし妙手とも言えません」
「まあ、そうだろうな」
子狼に策を否定されても、盧武成は特に慍色を見せることはなかった。悔しくいことではあるが、それはそれとして、子狼に軍略で勝るとは思っていないからである。
「次に我らが採るべき策の仕込みは、既に肥翁がされておられます」
と、子狼は言った。肥何は好々爺然とした柔らかな笑貌を浮かべつつ、
「平野、城郭だけが戦場ではございません」
とだけ言った。




