陪臣
盧武成が兵を纏めて沃周城に戻った時、すでに城は落ちていた。援軍が撃退されたのを知って降伏してきたらしい。城外の野営で楼盾からそのことを聞かされた。
姜子蘭と子狼は、今は沃周城の中にいるとのことである。盧武成にも、允綰を伴ってくるようにとのことであった。ただし、兵を入れてはならぬと厳命されている。
「待て、ならば今、沃周城で我が君の近くにいるのは子狼と西明だけか?」
「いえ、一応、五十ほどの兵はいます」
それでも、護衛としては少なすぎる。兵が少ないといえど、沃周城には五百の兵がいるのだ。そうでなくとも、つい先ほどまで敵地だったところである。顓に思惑があれば、姜子蘭は凶刃に倒れることだろう。
「子狼のやつは止めなかったのか!?」
「特に何も言いませんでした。王子が、いきなり兵を入れては城民も怯えるだろうし、沃周の将兵の反感を買うやもしれないと仰い、子狼どのはそのご厚情を讃嘆なさっておられました」
「あいつは性根が歪んでいて、疑り深いくせに、どうしてたまに阿呆になるのだ!?」
姜子蘭の考えも分かるが、それは一つの間違いで身を滅ぼす胆勇である。とにかくも、盧武成は、まだ痛む体に鞭打って沃周城へ向かった。甚だ不服ではあるが、主命なので、随伴は允綰一人である。
しかし盧武成の憂慮に反して、沃周城の中は穏やかであった。つい先日まで敵将であった盧武成に対しても、多少の好奇を向けられることはあっても、敵意はほとんどなく、城――ここで指すのは、城主の住処の意である――にまでたどり着けたのである。
そこでは、姜子蘭が見知らぬ男と隣り合って座っていた。子狼はその後ろに座っていたのだが、盧武成の顔を見るなり、
「おう武成。一騎打ちで負けたらしいな」
と、歯を見せて笑いつつ、言った。姜子蘭は盧武成を案じたような顔をすると、允綰のほうを見て、
「允綰どの、武成は無理をしてはおりませんか?」
と慇懃に問いかけた。盧武成に直に聞かぬのは、無理をしていても強がりが返ってくるかもしれないと思ったからである。
「王子。私は北狄の老爺で、しがない陪臣です。もう少し粗略に扱っていただかぬと、直臣の方々が不愉快でしょう」
「陪臣だからこそです。人の臣を、自分の臣のように扱うのは無礼でしょう。それで、武成の具合はいかがですかな?」
聞かれた允綰が答えを考えていると、武成が近づいてきた。
「余計なことは言わないでいただきたい、允綰どの。それに、貴方はいつから私の臣になったのですか?」
軍における上下はあるが、盧武成は允綰のことを臣だとは思っていない。心持ちとしては、人生の師か、頼れる上官のように見ているのである。
「ふむ、私はそのつもりだったのですがな。ですが、臣でないならば、虞の王子に虚言を吐く必要もありません。その場合、今の私の主君は子蘭どのということになりましょうからな」
「……では、臣にすると言えば、いらぬことを言わないでいてくださるのですか?」
允綰は頷く。盧武成は目を伏せて嘆息しつつ、ならばと、允綰を自分の臣とすることを認めたのである。
二人がそうして、こそこそと密談しているのを見て、姜子蘭の顔は憂色に満ちていく。そんな姜子蘭を安堵させるように、満悦を顔にたたえた允綰が口を開いた。
「ご案じなさいますな、王子。我が主人は、自分は至って健勝であるのに王子がそのようなことを申すのは、制周の城主を逃がしたことを暗に責めておられるのではないかと、少し疑心を抱いておられたのです」
「そ、そういうわけではないぞ武成。わかった、済まない。この話はもうやめよう」
姜子蘭は顔に汗をかきながら、早口に言った。これで怪我の話はされなくなったが、盧武成としては違う意味で不服である。といって、自分の虚勢に付き合わせている允綰を詰ることも出来なかった。
「まあ、そう恐い顔をするなよ武成。形だけを見れば、此度は俺の策が上首尾に進み、お前は敗れたとなる。しかし、お前にはすでに我が君に対して大功があるのだから、俺があと百城を我が君にもたらしたとしても、お前の勲功第一は揺るぐまい」
そう軽口を叩いたのは子狼である。諧謔めいた言葉であるが、子狼なりに盧武成を激励しているのだと分かった。普段であれば、そうと分かった上で怒りもあるのだが、敗戦の直後のためか、その浮薄な物言いは盧武成の心を少し気楽にした。
「しかし、非を責めるのではなく、お前を破った将については教えてくれ。敵を知るのは戦いの初歩だからな」
「……見た目は四十ほどで大剣を持った、右腕のない剛腕巨躯の男です。名を共羽仞といい、雑兵を自称していました」
盧武成が、覇気に欠ける声で言うと、姜子蘭の横にいる男が、はじめて口を開いた。
齢は、やはり四十から五十の間ほどの日に焼けた男は、名を沙元といい、沃周城の城主である。制周城からの援軍が盧武成によって撃退されたのを知り、一命を以て城民の助命を条件に降伏してきたのであった。
しかし姜子蘭は、沙元をそのまま沃周の城主に置いた。無論、これには打算もある。城主の首を刎ねたとあれば、残る二城は決死で抵抗するだろう。ここは、寛容を示す必要があった。
この沙元は、共羽仞について知っているらしい。一同の視線は沙元に集まった。




