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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
三秧連衡
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多腕と隻腕

 多腕の怪物に(なぞら)えられた男と、隻腕の男が、朝焼けを待つ山中で激しく武器を撃ち交わしている。優勢は、隻腕の男――共羽仞に傾いていた。

 多腕の怪物に准えられた男――盧武成は、これまで数多の敵を打ち倒してきたが、自分が強いなどと己惚れたことはない。どの戦いも真剣であり、間違えば負けるのは自分であると思い、全力で戟を振るってきた。

 だが今は、その時の自分を振り返ってみると、全力ではあったが、決死の覚悟はなかったのだと気づいた。別にそれが慢心や倨傲というわけではなく、乱戦の最中でも冷静であり、それが勝利に結びついていたということでもある。

 しかし今は、共羽仞の猛攻は盧武成に少しのゆとりも与えず、盧武成は目に血光を浮かべ、全霊を注ぎ込んで敢闘している。それでもなお、共羽仞に対して勝てる気がしないのだ。


「この年寄りが隻腕の不利をおして戦っているというのに、四肢が満足にあり、若く壮健なお前のほうが先に息が上がるとは情けないぞ?」

「貴殿は、それくらいの枷があって、ちょうどよいくらいでしょう……」


 盧武成は、皮肉を込めて言った。二人の力量の差を鑑みれば、それでもまだ足りぬくらいである。

 といって、弱音を吐くことなど出来ない。戦場で自分よりも強い者に遇うなど珍しいことでもなく、これから先、盧武成が姜子蘭の臣としてある限り、そのようなことは幾度となく起こるだろう。そういった巡り合わせの悪さを嘆くことなく、死力を尽くして打ち勝つか、勝てぬのであれば、少しでも兵を損なわぬ方策を考えなければならないのだ。

 そしてこの場では、せめて共羽仞を、馬から引き摺りおろすくらいはしなければ、兵を退かせることさえ危うい。そのために盧武成に出来ることは、ただただ、力戦するより他にはなかった。


 ――子狼がいれば、智慧が足らぬと厭味を言われそうだ。しかし俺には、それしか出来ん。


 戟と大剣が激しく火花を散らす。共羽仞のほうにはまだまだ余裕があるが、


 ――これだけ打ち合っても戟を折れず、落馬もせぬか。若いのに大したものだ。


 と、盧武成に対して一目置いてはいた。といって、無論、負けてやるつもりなどない。むしろ、強敵であると認めたからこそ、さらに剣撃を鋭くした。剣戟の戛然(かつぜん)とした音が、いっそう荒立っていく。

 いよいよ盧武成は、受けきることさえ難しくなってきた。手にした戟の柄が軋むのが、握っていてわかるのである。あと十合も打ち合えば折られてしまうことだろう。

 そうなる前に、盧武成は勝負に出た。

 一度、共羽仞から距離を取ると、戟を投げた。それと同時、馬腹を蹴って前方に走り出たのである。

 といって、いかに盧武成が強肩であろうとも、たかだが人が投げた程度のものなど、剣で払うことは造作なかった。しかし、剣を振るった後に前を見れば、赤馬の馬上に盧武成の姿はない。共羽仞が戟に意識を向けている間隙をついて飛び降りたのである。


 ――右か。


 腕のないほうを狙ってくると思い、見たが、そこに盧武成の姿はない。

 それもそのはずで、盧武成は敢えて、左に回り込んだのだ。盧武成の剣が鞘走る。稲妻のような鋭い突きが、共羽仞の胸めがけて放たれた。その剣は無銘なれど名剣であり、当たれば胸甲を貫いて共羽仞を黄泉へと誘うだろう。

 だが、


「いい胆力だ」


 そう言い捨てて、共羽仞は大剣を返す。凄烈なる大剣の一振りは、盧武成の刺突よりも(はや)く進み、その胸に当たった。盧武成の長躯が、石くれのように飛ばされる。

 だが、共羽仞もただでは済まなかった。

 その体に傷はないが、盧武成は右手で剣柄を握ると同時、左手で鞘を抜き放ち、大剣で打ち据えられながらも共羽仞の乗馬の馬首を殴打したのである。嘶きが響き、前足が高くあがった。手綱を握るには大剣を手放さなければならぬため、共羽仞はやむを得ず馬から飛び降りる。

 そして、吹き飛ばした盧武成のほうを見た。

 振り下ろした大剣は、確かに盧武成の甲鎧を砕きはしたが、盧武成が直前で剣を体の前で構えたため、絶命には至っていない。


「なるほど、敢えて腕がある左を狙うことでこちらの心の虚を突き、しかも本当の狙いは俺の馬とは――」


 共羽仞がそう称賛した時には、盧武成はもう立ち上がっている。死なずとも、あばら骨の数本は間違いなく折った感触があったのだが、しかし盧武成は微塵の痛痒も感じていないかのような顔をしていた。


「その剣も大したものだ。お前が今生きていること、その佩剣に感謝するのだな」

「……ええ、しておりますとも」


 そう言いながら盧武成は、左手で背後の兵に指示した。弓に矢を番え、いつでも放てるようにさせたのである。共羽仞が馬上になくば、数で押し切れると判断したのだ。

 しかしその時、共羽仞の背後で太鼓の音が響いた。


「退却か。まあ、仕方あるまい。三騎、俺の近くで楯を持て」


 そう命ぜられて、楯を持った騎兵が共羽仞のもとへやってくる。夏羿族からの矢に備えつつ、大剣を杖がわりとして器用に馬に飛び乗ると、盧武成たちに背を向けて颯爽と退いていった。


「どうなさいます、追いますか?」


 允綰がそう聞いたが、盧武成は首を横に振った。虚勢を張っていたが、実は今の盧武成は立っているのがやっとなのである。兵の手前、軟弱を面に出すことはしないが、しかし允綰には見抜かれていた。


「これ以上の深追いはならん。敵が完全に退いたのを確かめて、こちらも沃周城を囲んでいる我が君の下へ帰るぞ」

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