楼盾
子狼はしっかりと警戒していたのだが、そんな子狼の内心に反して、楼環の頼みというのはとても簡単なものであった。
此度、常山城に同行させていた楼環の末子を姜子蘭の軍に入れて欲しいというものである。
子狼づてにその話を聞いた姜子蘭は頷こうとしたが、その前に盧武成がいちおう口を挟んだ。
「その、楼右司馬の末子というのはどういう男なのだ? 養育に手を焼いて厄介払いをしようと、こちらに押しつけるようなことはあるまいな?」
盧武成から見て、楼環はそのようなことをする人には思えない。しかし、わざわざ頼み込んだ、というところに引っかかりを感じていたのだ。
「まったくないな。楼盾という、今年で十六の男だ。確かに楼右司馬の三人の子の中で一番出来が悪いことは否定しないが、それは単に楼盾の二人の兄の出来が良すぎるだけのことでな。此度が初陣なので将としての才幹は分からぬが、無難な男ではある」
それが子狼の評であった。
となると楼環が姜子蘭への臣従を頼んだというのは、末子として維氏の中では身を立てられぬので、姜子蘭に仕えさせることでいずれ一家を立てられるように、という親心からであろう。姜子蘭はそう受け取り、いずれ顓を破った暁には、楼盾が自分の家を立てられるようにはからうと誓った。
さて、その楼盾であるが、場を整えて正式に姜子蘭への臣従を誓うことになり、そこで姜子蘭は初めて楼盾という青年を見た。
楼盾は、背丈は人並みで、分かりやすく筋骨隆々というわけではないが、引き締まった体つきであり、日に焼けた顔を見ても、そこらの兵士と比べて遜色ない頼もしさがある。
「維少卿が臣、楼右司馬が三子、楼盾にございます。王子にはお初にお目にかかりまするが、これよりは我が身命を賭してその大業の一助に努めまする」
受け答えもしっかりとしており、流石は楼右司馬の子であると盧武成は感心したものだが、子狼は眉を顰めた。
――どうも楼盾は、この話にあまり乗り気ではないようだ。
そういう危殆を感じた。そして、姜子蘭も同じ考えだったのである。
子狼にはそれがいかなる感情から来るものなのか分からなかったが、姜子蘭には思うところがあった。
「おそらく楼盾どのは、父に捨てられた、と感じたのだろう」
「捨てられた、ですか?」
「ああ。子狼のように、親元を離れて飛び立ってゆけと言われて、素直にそれを喜べる者ばかりではないだろうさ」
楼盾の境遇はかつての子狼と似ている。親の命を受けて、住み慣れた地を離れ、それまで縁故のない相手への臣従を強いられた。
子狼はむしろ自分から望んだことなのだが、そこに抵抗のある者もいる。だが子狼には、そういう想像がつかなかった。
「楼右司馬という偉大な父の背を見て育ち、しかも自分が未熟だと知っていれば、その傍にいて多くを学びたいと思うものだろうさ」
「まあ、その心情は分からぬでもありませんが……」
「これは私がまだ若く、至らぬところが多いがための所感かもしれないが、いつまでも偉大な師の弟子でいたいというのも、また人情なんだよ」
これは姜子蘭が末子であり、その傅に巫帰という、宦官なれど博覧強記の人がいたが故の言葉である。他者に教えを請い、何でも学びの糧とすれど、こと軍略に関して天与の大きい子狼には分かり得ぬ感情であった。
しかし、本心がどうあれ、姜子蘭の臣となった楼盾は、日々、精力的に臣下としての責務を果たした。
日中は呉西明と共に盧武成の指導を受けて武を錬磨し、夜は子狼に兵法を学ぶ日々を過ごしたのである。
そして楼盾は、呉西明と馬が合った。
齢の近い二人は競い合うように互いの武を高め合ったのである。
そうして、姜子蘭らが常山城に来てから半月が経った。これ以上の長居は出来ず、いよいよ、姜子蘭らは西へ向かうことになったのである。
この時、東へ返す夏羿族を抜き、新たに常山城で募った兵を入れて、姜子蘭の率いる兵は四千にまで膨れあがっていた。
夏羿族の中では思ったよりも、東に帰る者が少なく、そして維氏の中で姜子蘭の兵募に応じる者が多かったためである。
改めて軍中を見回っている盧武成に、一人の老人が声を掛けてきた。
「随分と若い軍ですな。とりわけ姜どのの臣下では、一番の年長者が子狼どのとは」
左目のところに向こう傷を持つこの人物は、允綰という夏羿族の老将である。今年で齢六十であり、それに相応しい白髪を持つが、武技については未だ衰えるきざしのない剛の者であった。
この老将が言った若いというのは、何も姜子蘭の陣営に限った話ではない。
夏羿族で残った者、維氏の兵の中で姜子蘭の募兵に応えた者の多くは、三十を下回る若者が大半だったのである。
「我らに足りぬ貫禄と経験とは、允綰どのに補ってもらわねばなりません。北風の厳しさと断崖の険しさは堪えるやもしれませんが、お力をお貸しいただきたい」
盧武成は身を正し、恭敬を示した。立場としては盧武成のほうが上であり、軍中では盧武成も呼び捨ててて命令するのだが、この老将に敬意を払っている盧武成は、軍外にあっては敬意を表に出すことにしているのだ。
「ご案じなさるな。まだまだ、若い者には負けませんぞ。それに、いつ死んでもよいと思っていたこの齢になって、ルーペイ・ツーイーのいる軍に従えるのです。老いを嘆く暇があれば、その間に気組みでも練っておきます」
允綰はその言葉に偽りなく、老いを感じさせぬ健壮な声で笑った。先に遼平で戦った時から夏羿族の兵の中にいた人であり、その時から盧武成の副官のような役目をこなしてくれている人である。
流石に、西までは来てくれないかと思っていた。しかし、諸事に疎漏がなく、強く、そして人としても信頼できる允綰に同行してもらいたいと思った盧武成は、ついてきて欲しいと頼み込んだのである。
ちなみにその時、盧武成に頭を下げられた允綰は、
「私は元よりついていくつもりでございましたのに、不要に頭を下げられましたな」
と言って、ほがらかに笑っていた。
盧武成はその時、ならば頭の下げついでにと、姜子蘭に仕えてもらえないかとも頼んだのだが、そちらのほうはすげなく断られてしまったのである。




