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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
南愁公路
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楼環との再会

 毒草の煙によって潰走した勲尭族の兵を襲ったのは、姜子蘭率いる夏羿族である。

 既に日は暮れており、松明を馬首に括りつけての襲撃であったため、その様は無数の星が一斉に降ってくるような光景であった。

 朝から続く連戦の果てに、偉大なる副将の討ち死にと、毒草の計による困憊(こんぱい)。そこからの奇襲である。勲尭族には、もはや抗う気力さえ残っていなかった。

 勇猛を誇る勲尭族は無惨に狩られるばかりである。

 呴衍鶡でさえも立ち向かうことは出来ず、ただ血眼になって遁走した。だがそれでも、辛うじて逃げきることは出来たのである。ただし、常山城を去り、白代川までやってきた時には、従う者は二百騎に満たないという有様であった。




 奇襲から一夜明けた日。常山の頂上にある牙城にて、維氏の宿将、楼環と姜子蘭ら一行は再会を果たした。突如として現れた正体不明の援軍が、実は東に向かったはずの姜子蘭たちだったと知って、始めのうちこそ驚いたが、すぐに歓待の色を見せたのである。


「旅の道中、たまたま常山城が攻められているのを見て、余計なこととは承知の上で兵を出させていただきました。無用の助力をして楼右司馬の戦を妨げたことを、どうかお許しいただきた」


 しかも姜子蘭は、恩着せがましくせずに謝罪から入ったので、楼環としては恐縮してしまった。


「そのように仰せなさいますな。恥ずかしながら、主命に耐えかね、勲尭の馬賊に圧されていたところに王子が参られましたのは、天佑でございましょう」


 楼環は恭しくそう返した。姜子蘭への感謝は本心であるが、この時にこの場に現れたことは、子狼の立策であろうとすぐに察した。維氏の将であった子狼の考えは、かつての上官であり軍事の師たる楼環にはすぐに分かるのである。


「此度の敗戦を受け、勲尭族は当面、立ち直れぬでしょう。幾年かかるか知れなかった勲尭との戦いが、まさかこれほどにまで早くの決着を見るとは思いませなんだ」

「なれど、神皇の首を取れなかったことは、長龍を逸したと申すより他にありますまい」


 楼環の言葉に、子狼は進み出て苦言を吐いた。この苦言は楼環に向けたというよりも、自らの不手際を詫びたような形である。

 長龍を逸するというのは、大きな獲物を逃したという意味である。主に北地、東地で使われる表現であり、姜子蘭には馴染みのない言葉であったが、文脈で意味を理解した。


「まったくその通りですな。なれど、この大戦果を前にすれば些細なことでございましょう」


 楼環は気遣いと本音とを交えて言った。楼環にも、呴衍鶡を討てなかったことの口惜しさはある。しかし、将兵は勲尭族を退けた歓喜に沸いており、今はその結果をもって善しとすることに否はなかった。


「それで我らは、此度の王子の援軍に対し、いかなる返礼を以てすればよろしいのでしょうか?」


 姜子蘭に――というよりも、子狼に打算があってのことだろうと察した楼環は、その深意を察して先に礼のことを口にした。姜子蘭は困ったような顔をしたので、子狼と楼環は同時に噴き出した。

 その反応に、子狼と共に姜子蘭の後ろに控えていた盧武成が眦を険しくする。それは主に子狼に向けられたものであるのだが、楼環のほうが、先に弁明するように口を開いた。


「王子は、変わらず純朴であらせられますな。どうかその感情を大事になさってください。人の上に立つ上でやむを得ず呑まなければならぬ汚濁は、そこにおられる臣下どのが呑んでくださるでしょう」


 子狼と楼環とは旧知の仲であるのだが、今の子狼は維弓から勘当された身である。そのことを、他の誰よりも子狼が重く受け止め、維氏の縁者であったことをおくびにも出そうとしない。あくまでも姜子蘭の一臣下と振る舞っているので、楼環もその姿勢を尊重して言葉を返したのだ。


「では、我が君の汚れ役として申しましょう。恩義の押し売りであることは承知なれど、恩は恩であります。楼右司馬には、兵糧を差し出すことで我が君の義心に報いていただきたく存じます」


 子狼が主君の意を無視して臆面もなくそう口にしたので、姜子蘭は少し困惑の色を浮かべた。

 だがやがて、少しの落ち着きを取り戻すと、楼環を見て言った。


「どうかお願いいたします、楼右司馬」


 その請願を楼環は快諾した。

 そこからは数日にわたって、分けてもらう兵糧についてなど姜子蘭、楼環、子狼の三人で話し合うことになった。

 子狼は楼環にもう一つ、頼みごとをした。維氏の兵のうち、一家を継ぐ必要のない次子、三子らの中から共に西を目指す兵士の志願を募りたいということである。ここまで連れてきた夏羿族の兵も、一家の長や、いずれその立場となるものは東へ返す約束になっており、欠けた兵力を補いたいのだ。

 維氏の兵を減らすこととなる要求であるが、楼環はこちらも許可を出した。あまりにもすんなりと話が通ったので、子狼は少しだけ気まずそうな顔をした。


「そういう遠慮が顔に出るあたり、子狼どのは謀臣としてまだまだ青うございますな」

「楼右司馬は、変わらず、手厳しいですな」


 不肖の弟子を叱るような態度をされて、子狼は拗ねるように小さく口を曲げた。


「楼右司馬に何かたくらみがあって認めていただいたのであれば、私としてもすまし顔でその腹を探ります。ですが、そういう利己の匂いがせぬので、このような顔をしました」


 言い訳じみたことを口にする。事実ではあるが、手厳しい師への小さな抗弁でもあった。


「我が君であればきっとこうなされると思いましたので、許したまでです。まして――これより先、王子が征かれる道を思えば、少しでもその手助けをせねばなりますまい」

「それは有り難い。維少卿と楼右司馬の恩は、決して忘れませぬ」

「そう言ってくれるのであれば、さっそく恩を返してもらいましょう。一つ、頼まれてもらえませぬかな?」


 穏やかな声であり、好々爺のような柔和な貌を見せてはいるが、声は歴戦の宿老のそれであった。


「軍資と兵の恩返しですか。恐ろしくて寒気がしますな」

「そう難しい話ではございませんので、構えずとも大丈夫ですよ」


 だがその声は、依然として鋭いままであった。

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