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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
南愁公路
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長剣と短剣

 子狼は三千の夏羿族の兵を二手に分け、そのうち二千を盧武成に率いさせた。

 そして残りの千の将を姜子蘭として、子狼、呉西明がその陣中にある。ちなみに脩は、後方の輜重部隊にいて、常山城の戦陣の中にはいない。

 姜子蘭の率いる兵が自分よりも少ないことに盧武成は苦言を呈した。だがこれは子狼に考えあってのことである。


「我らは伏兵だ。ならば、兵が少ないほうが、かえって隠れやすい。お前が敵と真っ向から打ち合って斬り伏せる長剣ならば、我が君は息を潜めて背後に回りその喉笛を貫く短剣だ。刺客が潜むのに、持て余す長剣を持てば、かえってその身を危うくするだろう?」


 実際、策として姜子蘭の担う役割は、まず敵に見つからぬことを一義とする。なので子狼の説明を受けて盧武成も納得して頷いた。

 そして――呴衍鶡と鞮武が出陣した日の常山城の攻防は、夕刻に差し掛かった。。

 その間、盧武成は鞮武の軍を策に嵌め、一騎打ちにて勲尭族の副将を討つという大功を立てたが、姜子蘭率いる千騎は一度も戦いに参加することなく、勲尭族の間諜の眼を盗んで、ひたすらに雌伏していた。

 だがその間にも、盧武成が鞮武を討ったことは伝わってきていたのである。


「さて、ここからですな」


 西の地平に消えようとする茜色の輝きを眺めつつ、子狼は小さく呟いた。


「そろそろ、呴衍鶡にも鞮武の討ち死にが伝わるころでしょう」


 呉西明は子狼に小さく耳打ちした。軍中における斥候、間諜の統括は、子狼と呉西明が二人で行っている。羊と牟の二人だけであれば子狼一人で事足りるが、戦となれば多くの偵者を放たなければならない。

 絶え間なく更新される戦況を逐一管理し、常に最新の情報を得るためには助けがいると思い、呉西明がその役を担うことになったのである。

 もたらされる報告に対する処理や、偵者たちへの指示の細やかさを見た子狼は、


「西明は、杏邑で家業の補佐をしていてもしっかりと大成したんじゃないか?」


 と、素直な称賛を口にした。呉西明が家業を嫌っていたのは、荒事が好きだったというのもあるが、それ以上に、後に生まれたからというだけで兄に仕えなければならないと決められていることが嫌だったのである。

 むしろその苛立ちが、呉西明を武芸に走らせたといってよい。もし呉西明に悌心があり、呉氏の次子として商人となり兄を補佐していればどうなっていたか、それは今となっては誰にも分からないことである。


「ここから呴衍鶡がどう動くか、か。子狼の読みでは――兵を返す、とのことであったな?」


 姜子蘭に問われて、子狼は頷く。

 子狼は戦に挑むにあたって勲尭族の神皇と副将――呴衍鶡と鞮武について調べさせた。武勇については、ただひたすらに強いということしか分からなかったが、呴衍鶡は鞮武以外の将に、二千を越える兵の指揮を任せない、という話が出てきた。

 勲尭族は、満を持して南進してきたといえど、その軍勢は一万である。さらに多部族を糾合してきたため、将も数多いる。呴衍鶡の意志に関わらず、それらの将に軍功を上げる機会を与えなければ兵――というよりも、各部族の者たちが不服を漏らすのだ。

 そんな中で二千を越える兵を任せられるということは、呴衍鶡の信頼が絶大であり、勲尭族と、糾合された部族たちに認められているということの証左に他ならない。


 ――まず狙うべきはこちらだ。


 策略で勝ったという話を聞かない勲尭族において、地位の高さはそのまま武の強さということになろう。その中で、討てば一定の成果が見込め、且つ多少なりとも与しやすいのは鞮武である。それが子狼の考えであった。

 子狼は、もし盧武成の武が鞮武を下回ろうとも勝てる廟算でいた。しかし密偵からの話では、盧武成は真っ向から勝負を挑み、一撃の下に斬り伏せたと聞いて、子狼と呉西明はわずかに声を震わせつつ頷き合った。


「師匠は……まあ、流石ですね」

「俺はあいつといると時折、せこせこと小細工や悪知恵に精を出している自分がやたらと女々しく思えてならないぜ」


 卑下するようなことを口にする子狼だったが、姜子蘭は、子狼がどうして気弱になっているのかが分からなかった。


「武成にない知略を持っているのが子狼ではないか。武成に出来ることは子狼には出来ないかもしれないが、武成の不得手は子狼の得手だろう?」


 姜子蘭の言葉に、臣下を持ち上げようという下心はない。他意のない激励を受けて子狼は明朗になった。

 実際に、子狼の策はここまでは順調である。

 盧武成の武に頼るところが多くはあるのだが、勲尭族の副将を討つという戦果を得ているのだ。

 そして――その報せを聞いた呴衍鶡は、ひとまず常山城の牙城に攻めるのをやめると、子狼は見ている。

 実際に、密偵の報告では、呴衍鶡はそう決めたらしい。

 子狼が悪辣な笑みを浮かべる。先ほどまでの悲嘆などはよそに、己の立てた策略が軌道に乗り始めたのを確信したのである。


「我が君の仰るとおりでございます。これよりは我が本分をお見せいたしましょう。単騎で一軍を打ち倒す武成であれどなし得ぬ、虚実の妙をご覧あれ」

「虚実、とはなんだ?」

「一言で申せば、無きところに有るが如く、有るところに無きが如く――でございます」

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