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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
王子漂泊
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両者譲らず

 范玄は姜子蘭の素性に対して多少疑いの眼差しを向けた。

 しかし盧武成の言い分を信じて、それ以上を聞くことはしなかった。信じたというよりも、何か事情があると察して余計な詮索をしなかったというほうが正しい。范玄とはそういう気遣いの出来る人であった。


 ――さすが、これだけの大店を如才なく運営している御仁だ。


 盧武成はそう密かに感服していた。


「それで、お二方はこれからどうなされるおつもりですか」

杏邑(あんゆう)へ向かうつもりです」


 盧武成は、ここは偽らずに答える。


「急がれる旅でなければ、暫く我が家にお泊りください。孟申から武庸への旅でさぞお疲れでしょう」


 范玄は好意を示した。

 盧武成は一瞬、後ろにいる姜子蘭を見る。姜子蘭の目には焦りが浮かんでいた。その表情を隠すために、敢えて顔を伏せた。


「一番お疲れなのは兄上でございましょう。どうなさるかはお任せいたします」


 一日一刻でも早く杏邑に行きたい、というのが姜子蘭の本心である。しかしその血気を呑み込んで、決定を盧武成に委ねた。


「ならば、范どののお気持ちだけいただいて先を急ぐことにしよう。そういうわけですので、我らはこれで。均のことをよろしくお頼みします」

「では、その代わりと申してはなんですが、私から礼をさせていただきたい」

「ならばこちらの銀をいただきたい」


 そう言って盧武成は懐から布袋を取り出す。それは范旦が隠していた銀粒であった。道中で多少使いはしたが、馬も車も顓の兵士から奪い、野宿することが多かったので半分以上は優に残っている。


「それは無論、差し上げましょう。ですがそれだけでは足りません」

「過分すぎるくらいでしょう。目方ではありますが、この銀を変えれば四千銭にはなりましょう。我ら二人が半年は遊んで過ごせる額です」

「そうですな。ですが、それでは足りません」


 范玄はもう一度、はっきりと言った。


「貴方がおられなければ私は父の死を知ることが出来ませんでした。そのことに謝意を示すのに、そればかりの銀では足りません。それにそもそも、それは父のものですので、父から貴方への礼としてお受け取りください。私は私で、貴方に礼をしたいのです」

「いりませぬ」


 盧武成もはっきりと断った。

 盧武成からすれば、范旦に頼まれて均を武庸に届けるまでが己の受けた依頼である。范玄から礼をもらおうという気持ちは微塵もなかったし、そのような心算で来たと思われたくないという気持ちもあった。


「まあ、そのようなことを言わずに」


 范玄も、言葉こそ柔らかいが頑なである。柔和な笑みを浮かべてはいるが引きさがる気はなかった。


「先ほども申しました通り、父は貧困から身を立てた人物でございます。父母……つまり、私の祖父母に対して弔いらしいことをせず、せめてもの葬儀が出せるだけの蓄えを商いにつぎ込みました」


 范玄は急にそんな話をし始めた。

 意図が分からなかったが、盧武成は黙って聞くことにした。


「そういう父でございますので、武庸を出る際にも、自分の死を知ることがあっても弔いは不要。そういう余財があるならば生きている者のために使うようにと言われております。父母の葬儀を出さなかった者が我が子に弔いをされると、黄泉(こうせん)で父母に(まみ)えて立つ瀬がないと」


 親の弔いをしないというのは、子にとって大きな不孝である。

 しかし、王侯貴族ならばまだしも、貧困にあえぐ者にとっては死んだ者よりも自分たちの目先の生活のほうが大事だということもまた盧武成は分かっている。


「ですので、父の葬儀を出したと思って貴方がたに礼をさせていただきたいのです」

「言いたいことは分かりました。ですが、生者のために使えと御尊父がおっしゃったのであれば、家人に分け与えるなり、均の養育に使うなり、その財を元手に新たな商売をなさったほうがよろしかろう。むしろ范どのはそういうおつもりで言われたのではありませんかな?」


 盧武成と范玄は強情の張り合いをしている。

 姜子蘭は不思議な顔をして二人を眺めていた。

 商人というものは利に聡いものだと姜子蘭は思っている。それが、二度も断られたというのにまだ諦める様子がない。盧武成にしても、こうまで相手が貰ってくれというのであれば素直に受け取ればいいではないか、という気持ちがある。

 しかし今の姜子蘭は、盧子蘭という盧武成の弟である。二人の会話に口を挟むことは憚るべきだと思い、もどかしさを抱えたまま二人の意地の張り合いを見ていなければならなかった。


 ――早くどちらかが折れてくれぬものかな。


 姜子蘭には旅の疲れもあり、早く休みたいという気持ちもあった。

 そう思っていたところに、これまで部屋の端に置物のように座っていた老家宰が進み出てきた。


「主人も、盧どのも。そのあたりになさってはいかがですかな。特に、盧どののご令弟は旅の疲れが出ておられる様子です」


 そう言われて、盧武成と范玄は姜子蘭のほうを見る。

 二人に視線を向けられて、慌てて姜子蘭は背筋を伸ばし顔をこわばらせた。


「ふむ、子蘭どのも気丈な方だ。善き弟御ですな。彼を早く休ませてあげるためにも、この辺りで折れるのが兄の務めではありませんか?」

「我が弟のことを案じていただけるのであれば、范どのこそ諦めてくだされ。私はこういう性分ですので」


 それでも二人は、まだ諦めるつもりがないようだった。


「ならば私から、折衷案を出させていただきたい」


 老家宰はそう言った。

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