南愁公路
刃のように鋭く吹きすさぶ朔風が、ほのかな熱を帯びはじめた。
仲春の晦日、姜子蘭と夏羿族の三千は西を目指して進軍を始めた。
兵たちは、怨敵たる勲尭を倒すのだという決意で胸中を燃やしているが、姜子蘭としても心に晴れやかなものがある。
虞の都、虢を出てから今日まで、姜子蘭が足先を前に踏み出すたびに、その身は虞王から遠のくばかりであった。しかし今は、虞王を目指して進むことが出来る。まだ閑散として色彩に欠ける山中の、ふと見上げた枝に芽吹きかけたつぼみを見つけた時に、
――今の私は、あのつぼみのようだ。長い冬を越えて今、ようやく花が開こうとしている。
ふと、そんなことを思った。
これから目指し、戦う相手は顓ではなく勲尭である。まだまだ公路は長く、為すべき大願を思うと迂遠な道のりである。だがそのことが、姜子蘭の心を昏くすることはない。
むしろ、維弓に受けた恩を少しでも返せるかもしれないと思うと、喜ばしくさえあった。
かつて、その傅たる巫帰から、『君子、施恩可忘也、受恩不可忘也。不知雪仇』と教わった。君子は、自分が施した恩は忘れなければならないが、受けた恩を忘れてはならない。そして受けた怨みを晴らすことはしないというのである。
教えはさらに、『凡夫、報恩報仇。知仇而忘受恩、匹夫之道也。劣獣蛮』と続く。凡人は恩にも仇にも相応に返す。だが、受けた怨みは晴らせども恩を知らぬのは匹夫であり、その振る舞いは獣の如き蛮族にも劣る、というものであった。
これは虞の礼制の経典たる『蒼家礼訓』と呼ばれる書の言葉である。その中でも特に有名な節の一つであり、姜子蘭の胸にも深く刻み込まれていた。
――私は君子として在りたいと思うが、それが無理でも、せめて凡夫でありたい。
虞王を救う前に、維弓に受けた恩を返すこと。それは姜子蘭にとっても大きな意味を持つ。
霊戍での歓待、迅馬という駿馬、路銀、そして――子狼という稀代の軍師。そのすべてがあって、今の姜子蘭がある。だからこそ、ここで維弓を助けることで、姜子蘭の宿願が天へと通るのではないかと思っているのである。
そして――旅路の中で姜子蘭が受けた大恩はもう一つある。
朔風に圧されるようにして、姜子蘭は南へと頭を向けた。蒼い双眸には、無数の山岳を越えた先にある水上の城郭がある。魏氏の居城、杏邑だ。
――彼の地で助けられた恩に報いることが出来る日は、いつか来るであろうか?
感傷が、甘い棘のように姜子蘭の胸を突く。忘れてはならず、しかし思い起こすと、決意で覆われた心の内に棲む、軟弱を呼び起こすような優婉な日々のことを、姜子蘭はまだ呑み込めずにいるのだった。
「懊悩がおありのようですな、我が君」
感傷的になっていた姜子蘭の横に、子狼が馬を並べてくる。
「まあ、そんなところだ。ところで子狼、野鼠の醢はあるか? あれこれと考えていると小腹が減ってしまった」
杏邑でのことは、臣に話すことではないと思った姜子蘭は、貌から悲愴の色を消して笑う。子狼は、目を細めて主君の尊顔を見るという不敬をはたらいた。
「私一人のことであれば、食断ちでもなんでも致しますが、そのように臣下の手落ちを婉曲に当てこするのは、あまりよい振る舞いとは申せませんな」
「はは、別にそんなつもりはないさ。この味は嫌いではないというだけのことだ」
「山野の獣でさえ、燕雀をもって粗食とするのです。我が君は虞の王子にあらせられますので、もう少しましなものをお好みください」
子狼がそう苦言を呈した時、さらにその後ろから武骨な諫言が覆いかぶさってきた。
「まったく此奴の申すとおりですぞ、我が君。蛮声で耳を清め、鼠食で舌を喜ばせるというのはいかがなものかと思います?」
その言葉を発したのは、燃えるような赤馬に跨った黒鎧の男、盧武成である。
「鼠食は分かるが、蛮声とは何のことだ武成よ?」
「どうやらお前の耳には、その苦痛が伝わらぬらしい。その耳を一つ俺にも分けてもらいたいものだな。そうすれば、事あるごとに受ける不快も半分に減るだろう」
断言こそしなかったが、自分の歌について非難されているということは子狼にも分かる。
しかし子狼からすれば、虞の王子たる主君に激賛されたという自負があるため、盧武成の言葉に愠怒を示した。
実は、子狼の歌を好む姜子蘭を非難する盧武成の思いと、鼠肉を好む姜子蘭を窘める子狼の感情は同じ類のものなのだが、子狼はそのことに気づかない。主君や軍の利害が絡まないところでは、子狼も、自分に対して俯瞰的になれない場合もあるのだ。
「まあ二人とも、そう喧嘩をするな。そういう振る舞いが求められる時には、私もそのように振る舞うとも。そのあたりのことは、傅から教わっているさ」
姜子蘭は鷹揚さを見せた。実際に、姜子蘭は維弓や利幼など、王子としての挙作が求められる場で瑕疵を見せたことはないので、そのように言われると二人としても言葉に詰まってしまった。主君とはいえ、まだ十四の若さであることを思うと、いつでもどこでも威儀を正せとは言えないくらいには、二人とも主君に対して甘いのである。




