祁寒山岳之営、礼徳無
兵糧不足が噴出してから、夏羿族の兵は一日一食という食事を強いられることとなった。
だが、思ったよりは不平の声は上がっていない。勲尭に敗れてからの夏羿族は、部族によっては大きく困窮しており、明日はおろか、今日の夜に腹を満たす算段さえもつかぬような惨状を経験した者も多い。
その暮らしに比べれば、一食とは言え確たる食事の算段があることは有り難いことだった。
だが一人だけ、不満を腹蔵なくした者がいた。盧武成である。
しかもその内容というのが、粗食に対するものではなかった。というのも、夏羿族の兵らは、狩りで獲物を得るとまずは盧武成に献じ、時にはわずかにあった酒すらも盧武成の下に持ってくるのである。
それだけであればまだよいのだが、近くでは主君たる姜子蘭が、子狼とともに野鼠の羹や木皮の炙りを食べているのである。子狼はともかく、姜子蘭がそのような粗食に耐えている横で、自分だけが飽食で腹を満たすことなど、盧武成には耐えられなかった。
「私のことは気にするな武成」
「そうだぜ武成。お前にはそれを食す責務がある。この軍においては、満腹を拒むことは悪徳だぞ」
姜子蘭は武成の心をほぐすような口調であったが、子狼は不思議なことを言った。
盧武成だけでなく、姜子蘭も子狼の言葉の真意が分からなかったのである。
「これは夏羿族に限らず、北地に住む者に共通する習わしでしてな。虞の孝悌の序は、親を敬い老人に手厚くすることを善しとします。ですが北地では、若く、壮健で、強き者が暖衣飽食を許され、老いた者や女などは、暮らしにゆとりがなくば寒さで手を赤く染め、飢えを爪皮でしのがねばならないのです」
飢えを爪皮でしのぐ、というのは、ひもじさを自分の爪や皮膚をかじることで耐えるということである。壮絶な言葉であるが、木皮を炙って咀嚼している姜子蘭にとっては、いずれは直面するかもしれない状況である。
「それはまた、なんとも奇怪な習俗だな」
盧武成は苛立ちをあらわにしたが、姜子蘭は腑に落ちたような顔をしている。
「私はそうは思わないぞ。私や子狼が痩せるよりも、盧武成が空腹で目を回すほうが、この軍にとっては痛手ではないか?」
姜子蘭は夏羿族や、北地の民の習俗などは何も知らない。だが何気なしに放ったその言葉は、彼らに子狼が語ったような風習が存在する本質を突いていたのである。
「我が君の仰るとおりでございます。祁寒、山岳の営みには礼徳の入る余地はありません。狩りをし、時に敵から部族を守るための戦士こそが尊重され、故に剣弓を取って戦える者を最も重んじるのです。だからこそ、戦えぬ者は戦う者に多くを譲らねばならず――逆に、若く強壮でありながら謙譲を示す者は、強者の責務を果たす気がないと見なされるのです」
「……理屈は分かるが、居心地が悪いことには違いないな」
盧武成は飢えが苦になるとは思わないし、姜子蘭や子狼のように野鼠を食うことさえ厭いはしない。かつての旅の中では、生きるために泥水を啜ったことさえあるのだ。しかしこの地にいる三千の兵はそれを許してはくれぬらしい。
しかたなく、盧武成はこの軍において、常に誰よりも飢えと無縁でいることとなった。腹が満ちる代わりに、胸の下あたりが鉄鎖で締め付けられるような圧を受けながら大食し続けたのである。
そしてもう一人、夏羿族の中で食事を優先的に勧められる者がいた。脩である。
脩の弓術は、弓を好む者が多い夏羿族の中にあってもなお卓越したものであり、脩に教えを乞う兵は多かったのである。
そして脩は、特に姜子蘭や子狼に気兼ねすることなく、食べてよいと言われれば出されたものをそのまま、腹が膨れるまで腹に収めていたのだった。
「子蘭と子狼はずいぶんと不味いものを食べてるもんだね。ま、お腹を壊さないように火はしっかり通しなよ。生焼けで呑み込むと、金色の蛇に髭で絡めとられるからね」
そういう忠告が出来るのは、脩も野鼠の肉の味を知っているからであった。鬼哭山で脩が父に先立たれた時、脩はまだ弓の腕が未熟であり、二日の間、一匹の獣も射ることが出来ず、飢えに耐えかねて便所にいた野鼠を捕まえて齧ったことがあるのだ。
その結果は、脩曰く、金色の蛇に髭で絡めとられるという――腹から襲い来る嗚咽と下痢の苦しみで、生死の境をさまよったのであった。
後に脩は、焼けば鼠肉でも安全に食べられることは学んだが、それでも、美味しいとは思えなかった。脩が父と暮らしていた時にはどれだけ粗末でも夕餉には兎肉があり、その味を知っていれば鼠肉ははるかに劣るのである。
子狼も、自分の詰めの甘さが招いた結果とは自覚しつつも、顔には出さないが辟易していた。
それでも矜持があり、子狼の後に兵糧の管理を任された呉西明から、少しだけ食事を回そうかと言われても拒んでいた。
ちなみに呉西明は姜子蘭にもその打診をしていた。子狼は、ここで姜子蘭が誘惑に負けても看過しようと思っていたのだが、姜子蘭のほうは涼しい顔をして、
「いいや、これはこれで赴きがある。子狼は善き獣師のようだ」
と言ってのけた。獣師とは肉を調理する料理人のことである。獣を獲るために武具を使うのを禁じられた子狼が得てくる肉といえば野鼠ばかりであるが、子狼はこれを、時には焼き物に、時には羹にして姜子蘭に供したのである。
呉西明はその言葉を、臣下を庇うがための言葉であると受け取った。
しかし屈託のないその言葉に、
――あるいは、我が君は本心で申しておられるのではないだろうか?
という疑念を拭えなかった。




