表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
南愁公路
142/168

練兵

 雪解けを待つおよそ三か月の間、夏羿族の兵は盧武成と子狼の指図の通りに練兵を行った。

 子狼は軍としての一体性を持たせるために、合図を決め、軍令に従わせることを徹底させた。

 しかし最初のうちは、夏羿族は不服を顔に露わに出した。彼らからすれば、兵が強ければ戦に勝てると思っているので、細々とした策や連携などは小賢しいと軽視しているのだ。

 その理屈にも、子狼は一応の理解はある。

 大軍に兵略なし、という言葉もある通り、兵の数と強さを頼むということは、必ずしも悪いことではないのだ。しかし夏羿族がこれから挑む勲尭は、数においても強さにおいても夏羿族を凌駕している。そしてその差は、盧武成の豪勇だけで埋められるものではない。

 といって、子狼の考えをそのまま口にしてしまえば夏羿族の反感を買う。

 そこで子狼は、模擬戦を行うことにした。

 百人の兵を二組作り、日中の山間で競わせるのである。武器は木剣か棒、弓を得手とする者には先端に鏃を抜いて布を巻いた矢を用いての戦いである。

 一方は夏羿族の将が率い、もう一方は子狼と、策略という者に少しでも興味を持った兵で編成した。

 結果は子狼とその隊の圧勝である。

 この模擬戦における子狼の巧みなところは、策のみで勝たなかったことである。夏羿族の道理――強い者が最後に勝つという考え方を否定はせず、その強さをより有効に用いることに重点を置いた用兵を行ったのである。

 強き兵をより強く。強き将をより強く。同数の敵を翻弄し、精鋭がその真価を発揮できる場を整えること。それを意識して兵を動かしたのだ。

 子狼がまず重視したのは、自分の指揮する部隊に気持ちよく勝たせること。それでいて、自分の下知に従えば勝てると兵に思わせることであった。

 子狼はこの模擬戦を毎日続けた。そして十五日後には、すべての兵が模擬戦を終えたのである。

 結果は、すべて子狼の部隊の快勝である。二日目以降は、子狼に対して懐疑的な者もいたが、その策に従うと勝てるとあれば、段々と策や連携というものに対しても理解を示すようになっていった。

 そして、模擬戦に参加しない兵はというと、盧武成の下で馬術、槍術を学んでいたのである。

 既に夏羿族の中で盧武成の驍名は鳴り響いており、こちらは盧武成が何を言わずとも、皆が意欲的に取り組んでいた。

 さて、姜子蘭の二人の直臣が夏羿族の練兵に心血を注いでいるその時。彼らの主君たる姜子蘭、そしてもう一人の臣下である呉西明はというと――夏羿族の練兵に、一兵卒として参加していた。

 これは姜子蘭が言い出したことである。

 当然ながら、盧武成は反対した。

 しかし姜子蘭は、


『虞の命運は今や夏羿族に託されたことになる。しかし彼らには、虞を敬う理由など一つとしてない。いずれはそのような者らの陣頭に立たねばならぬのなら、まずは彼らの中に入って、自分の出自など何の役にも立たないということを自覚する必要があると思うのだ』


 と強情を見せ、最後には盧武成に対し、主君の強権を振るって、練兵の間は自分を末端の兵として扱うようにと命じたのである。この、あまりにも珍奇な命令に、傍で聞いていた子狼は、喉から響く山鳥のいびきのような笑い声を隠せなかった。

 一兵卒として、夏羿族の中にその身を置いた姜子蘭がまず直面したのは、言語の壁である。

 夏羿族の中には、大陸の言葉を解する者もいるが、分からない者のほうが多い。盧武成は、両方の言葉に精通した者を従者としてつけると言ったのだが、姜子蘭はそれも拒んだ。そのような者がいれば、心に甘えが生まれると考えたからである。

 そして、主君たる姜子蘭がそのような過酷な状況に身を置いて自分を追い詰めているとなると、新参で、しかもかつて姜子蘭に凶刃を向けた呉西明としても、それに倣うしかなかった。

 呉西明としては、馬術さえ拙い。元が水上の商人の家で育ち、車にしか乗ったことがない身の呉西明は、これまで馬に跨るという行為そのものを蔑む気持ちがあった。しかし、遼平の戦いで盧武成が巧みに馬を操るのを見て、侮蔑は手のひらを反すように憧憬へと転じたのである。


 ――戦場で馬を駆るというのは、こうまでも躍動に満ち、勇ましいものなのか。


 そう感じると、自分を敢えて逆境に置いて高めるということに意欲的になったのである。




 練兵を終えたある日の夜。

 盧武成は、焚火を挟んで子狼と酒を呑んでいた。


「しかしまあ、我が君にしろお前の直弟子にしろ、苦難を好む気質のようだな」


 揶揄うようで、しかし子狼からすれば他意のない称賛を受けて、盧武成は不機嫌をあらわにした。


「それも、お前の言うところの、我が君の大徳の一端なのであろうさ」

「まあな。しかし、我が君に関しては、あのようになられたのはお前の功でもあるんだぜ?」

「……なんだと?」


 飢えた虎のように物騒な盧武成の顔が、その目に白刃の鋭さを纏う。こういう脅しは利かぬと分かっていても、盧武成は子狼にからかわれると自然とこのような顔になってしまうのであった。


「虚王の罪を贖いたくば、苦痛も恥辱も受け入れろと、かつてお前は我が君に言ったのだろう? 我が君はその教えを実践なさっているのだ。お前にとっては、実に聞き分けのよい子弟ということになる」


 それは確かに、盧武成がまだ姜子蘭に臣従するよりも前に、姜子蘭に語った言葉である。そう言われては盧武成としても返す言葉がなかった。

 その気まずさを誤魔化すように、盧武成は無理やりに話題を変える。


「……そう言えばお前は、夏羿族の言葉が分かるのだな?」


 そう聞かれて子狼は、


「ああ、それか」


 と、軽い調子で、こともなげに返した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ