表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
南愁公路
141/168

勲尭

 勲尭(くんぎょう)(とう)族、夏羿(かげい)族といった、虞から見た北地の民よりもさらに北に棲む族であることは前にも述べた。

 維氏の領や薊国の北には、北狄と呼ばれる民が住む山と岩に囲まれた地がある。しかしその荒涼な地を越えた先には、清風が吹き抜け、青々とした草原が果てしなく広がる大地が存在し、その地で遊牧を営んでいるのが勲尭であった。

 勲尭もまた、遊牧と掠奪を生業としている。そして何よりも、強かった。

 草原に敵はなく、民族としての結束も堅い勲尭は、やがてその視線を南に向けるようになったのである。

 大陸にあって王侯などと称している者らを蹂躙すべく動き出した。その先兵とすべく、陶族や夏羿族に目を付けたのである。

 陶族はすぐに勲尭と融和したのだが、夏羿族は勲尭に首を垂れることを嫌い、反抗した。そして散々に打ち破られてしまったのである。

 勲尭は、今は維氏に目を向けているが、その南にある薊国にも兵を進めることを考えている。そうなれば夏羿族の住む地を通ることになるのだが、そうなると、一度歯向かった夏羿族は捕らえられ、奴隷として薊国攻めの先兵として使われるか、過酷な労役を強いられるだろう。

 夏羿族としては、自分たちの目的があって戦をすることは厭わぬが、力で抑圧され、他者に命じられて戦うのは嫌だという矜持がある。

 子狼が目を付けたのはそこであった。

 盧武成が子狼に言われて夏羿族に説いた条件とはこうである。


『これから我らと共に、西で維氏と戦っている勲尭を攻めにいこう。これを打ち破ることが出来れば、勲尭には薊国を劫掠するゆとりがなくなり、お前たちに矛先が向くこともない。お前たちはその間に力をつければいい』


 勲尭の族長は代々、神皇(しんおう)と呼ばれる。基本的には世襲であるが、その代の神皇が弱ければ、より強き者にその地位を奪われることもあった。

 そして勲尭の掟として、彼らが一万を超える兵を動かす時には、必ず神皇が総帥として兵を率いるというものがある。そして此度、維氏を攻めるためにも、やはり一万を超える兵を動員しているということを子狼は知っていた。

 当代の神皇は歴代の中でも特に豪勇を誇り、そして野心家であった。

 この神皇を討つことが出来れば、勲尭の南進を食い止めることが出来る。何よりも、かつて敗れた雪辱を晴らせるため、夏羿族は盧武成の提案を聞いて心を震わせた。

 だが盧武成に――その主君たる姜子蘭にとっての敵は勲尭ではない。盧武成は勲尭と戦うことを示した後に、その対価を求めた。


『その代わり、勲尭に勝てばその後は、一家を継ぐ必要のない者には兵として我が君に従い、さらに西を目指して顓族と戦ってもらいたい』


 盧武成は悪びれもせず告げた。そして、それを聞いた夏羿族からも反発はない。

 夏羿族にしても、陶族にしても、厳しい自然の地に住む者たちの拠り所、そして行動指針とは至って単純である。強き者に従うということだ。先に盧武成は敵として、そして将として夏羿族に武勇を示した。

 その類まれなる豪勇を持つ盧武成が将であれば、そこに兵として従軍することを厭いはしないのである。




 かくして、望諸を出た姜子蘭たちは、長城の北側十里(約五キロ)のところにある盆地に結集した夏羿族と合流した。色彩に欠けた、ただ枯れ木と岩石に囲まれただけのこの地に、騎乗し弓を背負った、三千の勁悍な男たちがひしめいている。

 彼らの前に姜子蘭と盧武成が進み出た時、三千の口が同時に開き、巨大な歓声を生んだ。

 この叫びは虞の王子たる姜子蘭に向けられたものではない。夏羿族の神話において無双の怪物とされる多胴多腕の怪物、ルーペイ・ツーイーの化身と崇められる盧武成に向けられたものである。

 姜子蘭は、自分はまだ夏羿族に対して何も与えていないのだから当然であると、さして気にしていない。だが盧武成にとっては、主君を差し置いて自分だけが称揚を受けているというのは居心地の悪いものであった。


「そう困った顔をするな、武成」

「は。ですが……」


 落ち着きのない顔を見せる盧武成に、姜子蘭は微笑を向ける。


「ここから先の旅路は長く、寒さも相まって過酷なものとなるだろう。その道のりを越え、勲尭と戦う時には、彼らの歓声の中に少しでも私を支持するものがあればいいと思う。そうあるように努めたいと思っている。だから、今はこれでいいのだ」

「よい心意気でございますぞ、我が君。だから武成よ、お前も今は堂々としていろ。お前が物憂げな顔をしていると士気に関わる」


 姜子蘭の言葉にかぶせるように、子狼が言った。

 建前としては姜子蘭の軍ということになるが、実質的に夏羿族三千は盧武成の軍といって差し支えないのだ。少なくとも夏羿族はそのように考えている。

 後々にはその認識を正す必要もあるのだが、今のうちはそうしておいたほうがよい。

 さて、どうあれ三千の兵を手にしたわけだが、すぐに軍を西に進めるわけではない。冬の季節が去るのを待たなければ、兵は敵と戈矛を交えるより先に、雪や寒さと戦わなければならなくなる。

 姜子蘭たちはこの一帯に陣を張り、練兵を行うことにした。

 子狼は同時に、羊や牟、他にも動きが機敏で隠密に長けた者を選出して、維氏や勲尭の動きを探らせることにしたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ