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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
王子漂泊
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范玄

前回のあとがきでも書きましたが、今日からとりあえずひと月間、毎日投稿を行います。来月以降はストックと相談して続けるか、これまで通りの奇数日投稿にするかまた考えます。

 店の奥から出てきたのは若い男であった。外見の年齢は盧武成よりも少し上、というくらいである。

 愛想のよい、痩身長躯であった。その男が現れると家人たちはいっせいに姿勢を正した。


「どうした、剣やら壺やらを持ち上げて物騒だな。それに(たん)も、何があったかは知らないがお客人に失礼だろう」


 泣いていて少年を、その男は誕と呼んだ。

 そして盧武成たちのことを客と呼んで恭しく頭を下げたのである。


「こちらの少年が失礼しました。さて、当家に何をお求めですかな?」


 そう言われて盧武成は、その落ち着きにわずかに圧された。

 言葉を丁寧にして、頭を下げているのに堂々とした態度でいる。おそらくこの男こそがこの大店の主であろう、と盧武成は見た。


「失礼ですが、貴殿が范玄どのでございますか?」

「いかにも」


 盧武成の見立ては当たった。

 盧武成は懐から范旦の牘を取り出して范玄に見せた。父親が持っているはずのそれを見知らぬ男が持っていたので、流石に范玄も訝し気な顔をした。


「私は盧武成という者で、御尊父の遺髪を持参しました。どうか話を聞いていただきたい」


 盧武成は直截に言う。

 范玄は天を仰いでから、姿勢を正した。そして、家人に客間を用意するように命じた。

 商店は外から見るよりも実際に入ってみると中はさらに大きい。范家の家宰と名乗った老人に案内されながら、均はそわそわとしていた。

 しかし盧武成は平然と歩いている。

 そして案内された広い部屋には、既に范玄が座っており、その向かい側には三つの机が並べてある。范玄は手を差し出して三人に着席を促した。

 三人が座ったのを見ると、案内してきた家宰は部屋の端に座る。

 全員が座ったのを確認すると范玄は厳かな顔つきになって、


「父は、死んだのですか」


 と盧武成に聞いた。

 そう尋ねながらも范玄は落ち着いている。それは父の死を覚悟した顔であり、同時にその死を既に受け入れている顔であった。


「はい。范旦どのは、虞王に殉ず、と書き残されて自死なされました。お亡くなりになる前の夜に私は范旦どのとお話ししたのですが、最後まで范旦どのの下に残ったこちらの均という家人のことを気にかけており、武庸におられる范玄どのをこうして訪ねて参ったのです」

「そうですか。まあ、そのようなことだろうと思っていましたよ」


 范玄の顔に悲しみはない。しかし父への孝心がないわけではなく、悼む気持ちはあるようで、眼前の盧武成に向かって口を開いた。


「父は商人らしからぬ人間でした。貧村に生まれ、やがて故郷を捨てて商売を始めました。旅をしながらその土地の珍品を仕入れ、別の地で売って歩くという生活を続け、一代で今の身代(しんだい)を築き上げた人です。そのような身の上でありながら、事あるごとに虞王への敬仰を口にし、虞王に少しでも批判のようなことを申せば、客であっても我が子であっても烈火のごとく怒るほどに虞王のことを想っていました」


 それほどまでだったとは、と盧武成は驚いた。

 無論、遂には一命を虞王に奉じたほどの人物である。その精神が昨日今日で培われたとは思っていなかったが、息子である范玄から生い立ちを聞かされるといっそう范旦という人が不思議に思えた。

 虞王朝は特に商人を優遇していたわけではない。そして、范旦は虞王朝の王族や大夫に得意先がいたわけではないということも均から聞いている。ならば范旦という人の虞王朝への敬意はどこから来るのであろうかと思った。

 そしてその疑念は范玄も抱いているようである。范旦のことを語る范玄は不思議そうな顔をしており、そしてついに范旦はそれを我が子にすら明かさずに死んでしまったのだ。


「そのような父でございましたので、父が虞王を慕って孟申に行くと申した時も私は止めませんでした。薄情な息子とお思いかもしれませんが、好きなように生き、虞王に少しでも近いところで死ぬことこそが父の幸福だろうと思ったのです」


 盧武成は愠色を顔に出した。


 ――答えにくい言葉を投げかけてくる。


 そんな盧武成の顔を見て、范玄は頭を下げる。

 范玄にとってこの言葉は、盧武成に聞かせた独り言のつもりであり、何か言葉を返してほしいわけではなかった。

 盧武成は話題を変えることにした。


「それで、范玄どの。こちらの均のことをお頼みできますかな?」

「それはもちろん。我が父の最後の頼みでございますれば。どうかお任せください」


 范玄は微笑を均に向けた。均はこういった時にどういう応対をすればいいのか分からず、両手をついて深々と頭を下げた。


「ところで盧様。そちらの少年はどなたでしょう? 盧様のご従者でございましょうか?」


 范玄が姜子蘭を指して聞く。

 今の姜子蘭は、身分を隠すために襤褸を着ており、均と同じか、それ以上に卑しい身分のようである。

 しかし姜子蘭はこの場でも堂々としており、しかも居住まいに上品さがある。范玄はそれを不思議に思ったのである。

 そして、そう問われた姜子蘭は明らかな動揺を見せた。

 しかし盧武成は動じることなく、


「こちらは私の弟で、盧子蘭と申します」


 と臆面もなく虚言を吐いた。


「ほう。盧どのは普通の旅人のような恰好をしておられるのに、何故弟どのはそのような粗衣を着ておられる?」

「我らが生まれた地では、まだ元服に至らぬ男児には粗衣粗食で養うことで強靭な勇者になれるという願掛けがございましてな」

「ほう、そのような風習があるとは知りませんでした。ちなみに盧どのは、どちらの生まれなのですか?」

「窮国、尤山の(ふもと)でございます」


 盧武成はよどみなくそう言った。

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