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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
北岐烈風
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霹靂轟声

 顓項が出陣を決めたのは、頭では、沃周城の臣民を見捨てられないというまっとうな、城主らしい考えからであった。

 しかし心の底には、まだ若い顓項には、戦いが起きながら自分だけ遠地で安穏として、誰かが戦っているのを座して見ていることに耐えられないという心境があったのである。

 戦については素人である紀犁にはそういった顓項の気持ちは分からなかったが、一応、兵法をかじった顓遜には理解出来た。出来た上で、諫めることをせず、顓項に従軍したのである。

 季父上と呼ばれながら、顓遜とてまだ十八であり、しかも先だっての初陣で山賊に打ち負かされたばかりなのだ。その疲れと屈辱も癒えぬままに、休む間もなく新たな戦に向かっている。


 ――真面目に労働もせず、軍師などを気取っていたことの報いかな。


 心の中で小さく自嘲すると、それきり頭を切り替え、顓遜は思考を巡らせる。

 制周城から沃周城まではおよそ百里(約五十キロ)である。馬を飛ばせば一日でつく距離であるが、顓遜は敢えて行軍を遅らせた。一つは、先の山賊との戦い、そして潁段城から制周城への行軍で疲弊している兵士を気遣ってのことである。

 二つ目は、この間に斥候を放って沃周城と、それを囲む敵についての情報を集めるため。

 そしてもう一つは、敵の伏兵に備えるためであった。

 先に敗戦の味を知ったこともあり、顓遜は慎重を期していた。顓項がそれを咎めなかったことが、顓遜には有り難かった。

 顓族は生来、勇猛を好み、小賢しい策を好む。もし顓遜が顓戯済の軍中にあれば、一度の敗北で惰弱に堕ちた小心者としか思われなかっただろう。

 しかし顓項は、顓遜の意を尊重して、軍の足並みを緩めることを了承してくれた。

 一日目の夜営の日。顓項と顓遜は帷幄にあって、斥候のもたらした情報を聞いていた。これも、間に人を挟まず、斥候に走った者たちから直接に話を聞く形である。

 集めた情報を統合すると、沃周城を囲んだ敵は、騎兵を用いずに移動式の櫓を前衛に立たせて城壁を脅かす構えを取ったらしい。しかし沃周城は矢を雨のように浴びせ続けたために、移動式櫓は城壁に近づけなかったとのことである。

 とりあえず沃周城がすぐには落ちそうにないと分かった顓項は安堵で胸を撫でおろしたが、顓遜は顔を青白くした。

 そして、


「顓項――いいや、城主どの。今より、夜を徹して沃周城へ急ぎましょう!!」


 と進言したのである。


「ど、どうした季父上? 敵は攻めあぐねているのだろう? ここで我らが無理な夜行をすることはないと思うが?」


 顓遜の豹変に顓項は目を白黒とさせた。しかし顓遜は目を血走らせ、舌鋒に熱を込める。


「城主はお忘れですか? 沃周には、大した軍備はないのです。それが、一日中、ひたすら矢を射続けることがどうなるか、分からぬではないでしょう?」


 そう言われて顓項ははっとなった。

 これは沃周に限らず、三連城すべてに共通することなのだが、軍備の中でも矢はとりわけ少ないのだ。

 第一に、主な三城の資源調達先たる北岐山には木が少なく、木を取るのは主に薪にするためであり、それで矢を作るという発想にならない。籠城戦においても、楯を装備して敵を守ることはしても、迫りくる敵に対しては石を投げたり熱湯を流すという手段を多様するため、矢というものを軽視しているのだった。

 第二には、三連城の部将の多くは顓族であり、彼らは野戦――とりわけ、騎兵による白兵戦を好む。しかしそれがために、弓を得意とするものが少ないのだ。無論、人並みに扱えはするのだが、生来の気質としては白刃を好み、弓矢を軽視してきた。そのため、三連城にもそれほどの矢を配備していないのである。


「だ、だが……。矢がなくとも、城を守ることは出来るだろう?」

「……それがですな。城主は、姜梧晟(きょうごせい)の記した、“北岐三連城の守戦指北”を読まれたことは?」

「……ないな。(かま)けていた」


 顓遜の挙げた書は、三連城における守戦の方策を記した物である。


「その書曰く、『北狄、弓術を旨とす。攻めよすれば則ち、兵と兵の間に藁の人形を並べよ。夜になれば人形に刺さりし矢を集め、以て矢玉の補給をすべし』とあります……」

「それはつまり、敵も矢を射てくることが、矢を切らさぬ前提であるというのか?」


 もっとも、北岐山脈を越えてきた北狄が攻城兵器を擁して攻めてくるなどとは、姜梧晟はおろか、顓項らでさえ想像だにしなかったことなので、数百年前の、一度の実践も経なかった書の不備を問うのは愚かとも言える。


「だが、矢が尽きたからといって、沃周がすぐに落ちるものか?」

「そこは……賭け、ですな。つまりは、奴らが有している攻城兵器の真贋次第です」


 顓遜は渋い顔をした。

 斥候の報告によれば、件の移動式櫓はこれまで一度も、城壁には届いていないのである。それを、沃周城の守りに阻まれたと取るか――肉薄すれば、実は兵器としての機能を有さぬ偽装であることが露見するので、敢えて近づかなかったと見るかで、顓項らの向後の手段は大きく変わってくる。

 顓項は逡巡し、顓遜も、自分から懸念を切り出しておきながらどうすべきか進言出来なかった。

 その時、急に帷幕の外が騒がしくなった。何事かと二人が外に出ると、東の方角に黒煙が登り、夜空が赤く染め上げられていたのである。


「……季父上。これは、猶予などないのではありますまいか?」

「……そのようですな。まだ城が落ちておらぬと信じ、兵を飛ばすしかありますまい」


 二人はそう言って、すぐに兵に支度をさせて東に急いだ。

 しかし一刻(二時間)ほど兵を進めた時である。制周城の兵一千は広漠とした平野を進んでいたのだが、今までは星明かりしかなかった場所が、急に真昼の如き明るさになったのである。将兵が空を見上げるとそこには、まるで星が降り注いだかのように、無数の火矢が雨のごとく迫ってきていた。


「落ち着け!! 火矢は従来の矢よりも遅い!! 火を畏れるな!!」


 顓遜が咄嗟に叫ぶ。その声が聞こえた兵らは、腰の剣を抜き放ち、燃え盛る先端を避けて矢を斬り落とした。しかし灼熱の恐怖に呑まれて動けなかった数十人の兵士は火矢が衣服に当たると、そこから全身に燃え移った炎によって全身を黒く染め、二度と息をすることはなかった。


「――敵襲が来るぞ、備えよ!!」


 顓遜に指示されることなくそう叫んだのは、顓項の直感であった。

 そしてその通りに、眼前には数百の騎兵が出現する。その先陣に立つ将らしき男は、先ほどの火矢の雨よりもさらに煌々と輝く赤毛の馬に跨り、夜の闇よりも濃い黒鎧を身に纏っていた。

 そして、手にした武器――長柄の先に三日月状の刃と、刺突のための穂先を備えたそれ――戟を顓項らに向け、夜の闇を引き裂いて叫ぶ。


「我が名は盧武成(ろぶせい)!! 虞の第四王子、姜子蘭の直臣なり!! 顓戎どもよ、勇あらば我が首を取って武勲とせよ!! 我が戟を畏れるならば、馬を下りて降るがいい!!」


 それは沃野を呑み込む嵐のような、あるいは、蒼天を(つんざく)く雷鳴のような――人の喉から発せられたとは信じがたいほどの轟音であった。

 今章「北岐烈風」編はこれで終わりとなります。元から短めの章にする予定でしたので。

 顓項くんたちの物語はここで少し止め、いかにして東方、薊国にいたはずの盧武成、ひいては姜子蘭くんたちが兵を率いてこの場に現れたのか、について語る新章「南愁公路」編が始まります。明日以降もよろしくお願いします。

 何かあれば、短くとも感想などをいただけましたら励みになります。よろしくお願いします。

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