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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
北岐烈風
133/167

制周城の軍師

 顓戯済には五人の男子がいる。そのうち、顓項は庶子であり末子であった。

 他の四人の兄は、顓族の有力者の娘であるのだが、顓項の母は虞の大夫の娘である。そして、虢の地で生まれ、顓の民でありながら、一度も西方の地を踏んだことがなかった。だからこそ、


 ――顓の民として散々、奪いつくしたのだ。この上は手に入れた莫大な宝物を土産として西に帰ればよいものを。


 と思っていた。畿内の人を母に持ち、虢で育ちながら、その地に少しの思い入れもなく、自分の先祖が営みを過ごした西域で、交易をして暮らす日々を望んだのである。

 しかし顓戯済と四人の兄は、虢での豪奢な暮らしを好み、虞王を恫喝して権勢の座を(ほしいまま)にする道を選んだ。顓の民は長年、虞やその諸侯国から蛮族と蔑まれてきたため、怒りとともに、畿内の煌びやかな暮らしへの憧憬があった。

 虞王や廷臣がそうするように、華やかな礼服に身を包み、髪を伸ばして束ね、冠を被る。そして朝議の真似事をし、夜になると、色白の肌と濡れ羽色の黒髪を誇る美女を侍らせて美酒で喉を潤すのである。

 これらはすべて、顓項からすれば、


 ――いったい、何が楽しいのやら。


 としか思えない。

 顓項は堅苦しい礼服よりも動きやすい平服、胡服を好み、髪もざんばらにしている。好みの女はと言えば、やはり髪は肩にかかる程度の長さで、日に焼けた赤褐色の肌を持っていることであった。これで、二つ三つほど年上であればさらによい。

 これは顓項の好みというよりも、顓族としてはこういう人が佳い女とされているのである。顓の民は伝統的に、妻には年上を選ぶ傾向があり、日に焼けるほど外で活動できる健康的な女性こそが、遊牧と交易を生業とする彼らからすれば、望んで妻にしたい相手なのだ。

 だがこういった価値観は、畿内の感覚とは異なる。そして、これまで野蛮と蔑視されてきた顓族の気風を好むようなことばかり口にしていたために、父や兄からは疎まれていた。

 しかし顓から来た兵たちの中には、当然ながら郷愁を口にする者たちもいる。

 顓項がそういった者たちの旗頭となることを恐れた四人の兄たちは顓戯済に中傷をしたために、顓項は北端の制周城に追放されてしまったのだ。

 それは二年前のことであり、制周城に来てからの顓項は、城主としての務めの半分ほどを紀犁に任せ、あとはのんびりと北岐山脈を眺めるだけの春秋を過ごしている。

 本当は顓項としては、すべてを紀犁に任せてしまいたいのだ。しかし紀犁はそれを許さず、大事な報告や決定については必ず顓項に回すようにしていた。

 そして今日も、一刻(二時間)ほどしてようやく職務を終えたところに、もう一人、顓項を訪ねて来たものがいた。


「いよう、項。そろそろ仕事が終わった頃合いだろうと思ったからきたぞ。六博でもどうだ?」


 間の抜けた顔で底抜けに明るく、無遠慮な態度で接してくる青年である。彼は顓遜(せんそん)と言う。その手には、片方には木製の平板を持ち、もう片方の手にはおそらく酒が入っているであろう瓢箪が握られていた。

 この地の特産は主には鉄だが、もう一つ、酒造も盛んであった。顓遜はその酒がいたく気に入っているのである。


「気楽そうですね。甥たる私が寸暇を惜しんで務めを果たしているというのに、貴方は昼間から酒ですか」


 顓遜は顓戯済の弟である。しかし、顓戯済とは親子ほどの年の開きがあり、顓項とはたった五つしか変わらない十八歳の季父(おじ)であった。顓項と同様に、顓戯済らに嫌われて制周城に流されてきた人物である。


「お前は城主で、私は軍師だ。戦になれば策を練るが、平時の雑務などはお呼びじゃないよ」


 顓での立場は顓項よりも低く、それがために制周城の城主という閑職さえ与えられなかったのが顓遜である。それを良いことに軍師を自称し、顓項よりもさらに悠々とした日々を過ごしているのだった。賭け事や卓遊、そして酒を好む、教育に悪い季父である。


「そんなことを言ってると、朽ちるまで何もすることがありませんよ」

「ならば酒と六博に興じるまでだ。どうせ、私もお前も、余生を過ごしているようなものだろう?」


 顓遜は冷めた声で、酒臭い息を吐きながら、顓項の前に座り込む。そして六博と呼ばれる卓遊の盤面を二人の間に置いた。顓項は諦めの嘆息を零しつつ、相手をすることに決めた。こうなると相手にしないで放置しているほうが面倒なのである。


「季父上がどのようなお心持ちでも構いませんが、私まで同じにしないでいただきたい。流石にまだ、人生を儚むような気にはなれませんよ」

「ふん、日がな一日、代わり映えのしない山並みを眺めるような爺くさい趣味の男がよく言うぜ。今に女を知るようになれば、山の見えるところで初めてを向かえるつもりじゃあるまいな?」


 顓遜は言葉とともに、瓢箪の中で水音を鳴らした。うっすらと頬を朱に染め、しかもこのような下卑た話題を口にしながら、しかし六博では顓遜のほうが優勢なのである。

 顓遜が次々とくだらぬ話を振って、顓項がそれを素っ気なく切り捨てている間に――顓項は勝負に敗れていた。


「ん、まあ少しは強くなったか?」

「……そうなのですか?」


 顓項は不服そうな顔をしている。これまで顓項は、一度も顓遜に六博で勝ったことがないのだ。それだけでなく顓遜は、どうやら一方的にならぬようにほどほどに手心を加えているのだ。

 それでも、勝ちを譲るようなことは一度もなかったため、顓項としては、強くなったと言われても困り顔を返すしかないのである。

 当作品世界観では特に飲酒に年齢制限はありませんが、本作は決して未成年飲酒を推奨するものではありません。

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