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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
北岐烈風
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北岐山の風

 屹立と並ぶ灰色の稜線から、暑すぎず冷すぎぬ、生暖かい風が吹きつけてくる。鉱石の産地でもあるその山から降りる風には、ほんのりと鉄の香りもまじっていた。ここは採掘が大きな生業となっている地であり、そこから吹き付ける風を受けるたびに彼は、


 ――この山が、我らを生かしてくれている。


 と感傷めいたものを覚えるのである。目に見えない大きなものに生かされていることの尊さが、胸の中に渦巻く懊悩を晴らしてくれるのだ。

 季節は季夏。そろそろ酷暑が本腰を入れて攻め寄せてこようかという時候である。この年――虞の史書では成王十九年と記される年に、一人の少年が、一年を通してまるで変わり映えのしない連山を眺めていた。

 少年の名は顓項(せんこう)という。顓は氏であり、項は(あざな)である。その氏が示す通り、少年は今まさに虞王朝を壟断している顓公――顓戯済(せんぎさい)の子だ。

 腰に剣こそ佩いているが、平服を身に纏っているのみでこれといった装飾もつけていないので、傍目には身分があるようには見えない。

 城壁の上に座りこみながら、狐のように吊り上がった目の中に輝く蒼い瞳で、茫洋と広がる光景を眺めている。その手には川水で冷やした、果水の入った瓢箪を手にもち、喉が渇きを訴えると、舐める程度に口に含んで鎮めてやる。その他には何もしないままに、もう朝から二刻(四時間)もこうしているのであった。

 一応、顓項はこの城――制周(せいしゅう)城の城主であるのだが、今の彼を見ると、何一つ城主らしいことはしていなかった。


「主様は相も変わらず、北岐山(ほくぎざん)がお好きですね」


 柔らかい声がして、今日はじめて、城壁の内側に目を遣った。そこには、少し齢のいった女性が立っている。顓項のかつての乳母であり、今は家宰も務めている紀犁(きれい)という人であった。横には書簡が数冊積まれた小型の台車が置いてある。


「好きではないが、他にやることもないからな。佳い女もおらぬし、遊びにいく友もおらぬ。酒を呑むことは口うるさい家宰に禁じられている。この上、眺望まで駄目だと言われれば、いよいよ俺は退屈で死んでしまいそうだ」


 顓項は拗ねたように口を曲げる。だが皮肉を言われても紀犁は変わらず、にこやかな笑みを浮かべていた。


「では、口うるさいついでに、もう一つお小言を言わせていただきましょうか。こちらの書簡に目をお通しください」


 紀犁はそう言って台車の上の書簡を顓項に手渡す。ここでよければ、と言って顓項は渋々とそれを受け取った。

 自室に戻ればよいのにと紀犁は言ったが、ここでなければ読まぬと、顓項は頑なである。

 城主としての職務を行うのは吝かではないが、せめて北風に当たっていたいのだ。

 制周城の北に広がる、無数の岩盤が積み重なって出来た東西に走る連山――北岐山脈(ほくぎさんみゃく)。その眺めと、そこからもたらされる、四季折々に変化する風を受けることが顓項の数少ない楽しみであった。

 制周城は虞王の領内である。といっても、今の虞は顓に支配されているので、顓の領土と言っても差し支えない。だからこそ顓項が城主となっているのだ。

 制周城はその領内において最北の城であり、沃周(よくしゅう)城、潁段(えいだん)城という二つの支城を以て北狄の侵入を阻む虞の防衛線であった。

 最も、制周城の北に走る北岐山脈の険しい山嶺が天然の長城とも言うべき役割を果たしており、虞の有史以来、一度も攻められたことがない城でもある。そのため、制周城と二つの支城がありながら、実質的な虞の北の守り手は樊の維氏である。

 この三城は虞の武王の庶子、姜梧晟(きょうごせい)がこの地を与えられ、築城を務めた。このために制周、沃周、潁段の三城は“梧晟(ごせい)の三連城”、または“北岐三連城”と呼ばれることもある。

 しかし虞における重要性がないと分かると、段々と流刑地のような扱いをされるようになり、制周城の城主を命じられるということは、虞に必要のない人物を放逐すると同義となったのである。

 つまり――今、その城主を務めている顓項もまた、放逐されたに等しいのである。

 ここで顓についてより詳しく説明しておかなければならない。

 顓は元は、虞の遠く西方で遊牧と交易を営む種族であった。交易というと穏やかであるが、その道中には獣も出れば賊も出る。数多の脅威から積み荷を守りつつ、各地を往復しなければならないので、自然と顓は強き武力を有するようになった。

 顓の交易区域の西端は秦である。虞の西方の諸侯であり、虚王の后を出した国である。

 時に秦の君主、嬴斉(えいせい)は、虚王が自分の娘を廃して夏娰という美女を后とし、その子を立太子したのを怒り、虞を攻めた。この時に、交易があった顓を傭兵として雇ったのである。

 顓の兵は猛威を振るい、果敢に東進した。そして、ついに虞の首都、吃游を攻め落としたのである。

 ここまでは嬴斉の思惑通りであった。しかしここで問題が起きる。秦と顓が対立したのだ。

 秦は自分の孫である虚王の子、孟発を新たな虞王にする算段であった。しかし時の顓の族長、顓峯烈(せんほうれつ)は、戦勝に乗じて虞を乗っ取ることを画策し、嬴斉と孟発を謀殺したのである。

 そして吃游に兵を留め、三年後には東遷した先の虞の新都、虢を攻めて虞の支配者として君臨した。

 顓峯烈はその後、義兵を挙げた樊の荘公率いる畿内諸国と撃鹿(げきろく)の地で戦って勝ち、虢に凱旋してから半年ほどで病没した。

 そして跡を継いだのが、その子、顓戯済である。

 顓戯済はその後も虢に留まって虞の支配者を続けた。その在位の間に、虞王を恫喝して公爵位を得て、西方に兵を出して秦を滅ぼしてもいる。

 しかし顓は、虞領の統治者でありながら、政治というものをほとんどしない。

 ただ虞が定めた通りの税を取るのみであり、それを民に還元することを怠っていたのである。姜子蘭が顓を戎と呼び、これを倒さんとしているのはそれが故であった。

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