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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
暗影蠢動
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方士峯雲

 子狼が、盧武成は過去に外法の術を見たことがあるのではないかと察したのは、李博が呑躯術(どんくじゅつ)を扱う術者に襲われたことを書簡で知らせ、その返信を見た時である。

 子狼は仔細を記しはしたが、それは外法の術を信じない者からすれば荒唐無稽なものでしかない。しかし盧武成は迅速な応対をして、その上で書簡と共に羊、牟という援軍を派遣し、犬笛まで届けてくれたのである。


「まったく、お前もそうだし、どうやら我が君もそういう経験がおありのようだった。俺もまだまだ不見識らしい」

「そう悲嘆するな。俺とてつい最近、我が君と共に鬼哭山でその難に遇ったのだ」

「……なるほど、そういうことか。それで、呑躯術のことを話した時の我が君の落ち着きようにも納得がいったぜ。そいつも呑躯術を使ったのか?」

「いいや、俺たちが見たのは喰魂鴉(じきごんあ)だ。知っているか?」


 盧武成に問われた子狼は、一応は、と返す。その声には力がない。


「だから、お前の書簡を見た時は気が気でなかったぞ。饕朱を駆って我が君の下へ向かうことも考えたさ」

「そうしてくれてもよかったんだぜ。向後のことを考えれば困るが、我が君に万が一があればすべでは覆水だ」

「だがまあ、お前を信頼することにした。下手に動いては、気取られる恐れもあったからな」


 淡々とした物言いであったが、子狼は思わず、手にしていた盃を落としそうになるくらいには驚いていていた。態度にも言葉にも飾り気というものがないからこそ、盧武成という男の言動はそのすべてが純粋な感情から来るものなのである。

 その素直な言葉で、盧武成は子狼を信頼していると言ってくれた。子狼にはそれが嬉しかったのだ。


「お前みたいな豪傑にそう認められるというのは、悪い気はしないな」

「そうか。まあ――我が君に万が一があれば、お前を八つ裂きにして野犬の餌にしていただろうがな」


 これもまた、乾いた声である。盧武成が冗句を口にするような性格でないことを短い付き合いながら知っている子狼は、一転して背筋に悪寒を覚えた。


 ――こいつ、思えば初めて会った時からずっと我が君を一義に生きてるよな。


 子狼にとっては友としては気さくに付き合えるが、同輩としては頼もしくもあり、時に恐ろしくもある男である。


「それで子狼」

「ん、ああ……どうした武成?」


 盧武成はもう次の話題に移ろうとしている。子狼は少しだけ言葉を詰まらせた。


「お前からされたもう一つの頼み事だ。隗不壬どのと士直どのが調べてくれたぞ」

「もう一つっていうと……ああ、薊侯を故事に傾倒させた方士のことだな?」

「ああ。峯雲(ほううん)というらしい。吃游で史氏(しし)と……卜氏(ぼくし)の門弟であり、その後、尤山にて修行したという触れ込みであるらしい」

「ん、待てよ武成。史氏は分かるが、吃游の卜氏ってのはどういう家だ? 俺は畿内のことには疎いのだが、高名な家なのか?」


 子狼に聞かれて盧武成は困った顔をした。盧武成はふと思い立ち、巫氏(ふし)を知っているかと子狼に聞いた。すると子狼は、


「虞の六氏の一家だろ?」


 と、こともなげに返したのである。

 盧武成は当惑しながらも、虞の六氏――虞の伝統技能を司る六つの氏についての話をした。盧武成は養父から礼氏、歌氏、史氏、暦氏、築氏、巫氏と聞いているが、姜子蘭は巫氏については知らず、他の五氏に加えて卜氏があると教えられた――と説明したのである。

 しかし子狼の知識と照会して、虞の六氏というと盧武成が挙げた五つと巫氏なのである。しかも子狼の知識は、かつての虞の都、吃游に遊学していた肥何から学んだとのことであった。

 ちなみに、峯雲について調べた士直も、虞の巫氏と言っていた。


「この話、まだ今度にしねぇか? これはこれで気になるが、今の本筋はこっちじゃないだろ」

「……そうだな」


 子狼の提案に盧武成は頷いた。とにかく、その峯雲なる方士は、経歴だけを見れば立派なものであったらしい。それ故に薊侯――姜仲繪も信用して召し抱えたようである。

 隗不壬らの調べによれば、実際に峯雲は博識であり、また占卜にも長けていたらしい。そして弁舌も巧みであり、姜仲繪にうまく取り入った。やがて姜仲繪は、朝臣が気に留めぬような静けさで史書を読みふけり、表に顕れた時には手遅れとなるほどに故事に耽溺し、その業績に倣うようになったのだという。

 峯雲はそれからも姜仲繪のお気に入りであり続けたが、利幼が太子となった直後にはその消息を絶ったらしい。ここまでが隗不壬と士直からの報告であった。


「お前が気にしていたから調べてもらったが、聞けば聞くほど存在そのものが胡乱な男のようだぞ」


 盧武成がぼやく。それが眼前にある敵であれば、大軍も猛将も、外法の術士でさえも恐れぬ男だが、虚実定まらぬ相手について推察するのは不得手なのだ。


「ちなみに武成よ。その峯雲なる男の暮らし向きは分かるか?」

「裏で何をしていたかまでは分からぬが、表向きは方士らしく質素なものだったとのことだ。薊侯からも、特に国庫に損害を与えるような俸禄を貰っていたことはないらしく、故に薊国の廷臣も当初は気にも留めていなかったのだろう」

「その頃といえば、国政を仕切っていたのは子左丞相だろう。であれば、裏で財の流れがあったとは思えないな。――なるほど、これは思ったよりも悪質だ」


 子狼の見解に盧武成も頷く。

 峯雲が財貨を求めていないとすれば、真に欲していたものは薊国の混乱と戦火ということになる。こういう手合いは、ただ利に聡く貪欲なだけの相手よりもよほど(おぞ)ましい、というのが二人の認識であった。


「そしてそうなると、もう一つ思うことがあるぞ。お前から聞いた、呑躯術を使う術士のことだ」

「ああ。あいつが薊国の二公子や田仲乂の手先で動いていたならまだいい。しかしそうでないとすれば――その峯雲なる方士の(ともがら)ということもあり得るな。薊国から奄国への交誼の使節を狙うということは、薊国の安定を望んでいないということになる」

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