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春秋異聞  作者: ペンギンの下僕
暗影蠢動
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月下の凶行

 呉西明の率いる、田仲乂が派遣した暗殺集団の前に現れた李博は、そのたくらみを助けてやると口にした。

 無論、この李博はとうに利幼の臣ではなく、その外見と立場を奪い取った外法の術士である。だが、そのようなことを知らない彼らはその言葉に警戒した。とりわけ呉西明は、憤慨を見せたのである。


「お前は、主人を敵に売って利を得ようとするのか!! この卑劣者め!! 犬畜生にも劣るやつだな!!」

「これは異なことを言う。そもそもお前たちだって、日の光と人の目を掻い潜って俺の主人を殺しに来たのだろうが?」


 李博に言い返されると呉西明は黙り込んだ。まったくその通りであり、返す言葉がなかったからだ。


「それにな、俺とて忠義でお前たちに話を持ち掛けている。私の主人からすれば、利幼の孺子(こぞう)と奄男に仲良くされると都合が悪いのだ。お前たちの主人とてそれは同じであろう。ならば我らは手を組めると思うのだがね?」


 そう言われても呉西明は釈然としないものを感じていた。その姿を見て臆したと見た一人の若者が進み出て、呉西明の代わりに李博と話をする。他の者にも異論などあるはずはなく、この瞬間、十一人の暗殺者たちは敵の事情に精通し、しかも兵の配置を差配出来る最高の協力者を得たのであった。

 李博の話によると、正使の子伯異は十二刻(二十四時)までは眠らないらしい。これはこれまでの宿営の時もそうであり、奄国について調べた書簡を読んだり、時には副使である姜子蘭とともに奄男との会談についての打ち合わせをしているようである。

 姜子蘭はというと、子伯異と話していない日には早めに寝ることもあるが、その横には常に子狼が剣を佩き、横にならずに姜子蘭の牀にもたれ掛かって異変に備えながら寝ているとのことである。


「この子狼という男は実に勘が鋭くてな。先に一度、その帷幕の外に立って剣を構えただけで目を覚ました。狙うのであれば副使は後に回して、先に子伯異を殺すがよかろうさ」

「そうか。ならばこちらは二手に分かれるというのはどうだ? 先に子伯異を殺して屋敷に火をかけ、その混乱の虚を突いて姜子蘭を殺す」


 そう提言したのは、先ほど呉西明に代わって李博と話した男である。田宜でんぎという二十の青年であり、田仲乂の甥でもある。田仲乂の兄の子であるのだが妾腹であり、生家で疎まれていたところを田仲乂に拾われたのだ。

 無論、田仲乂とて善心からそうしたわけではなく、何かあった時に使えるかもしれないという打算があったに過ぎない。そして、こうして陰黠な企みを率先して行ってくれているのだから、その目論見は当たったと言えるだろう。

 呉西明はほとんど言葉を発さず、暗殺計画は李博と田宜の二人で着々と進められていく。

 内容としては、日付が変わる頃に二手に分かれて忍び込む。その時に李博が子伯異の部屋へ続く兵士の見張りを下がらせ、子伯異を殺したら屋敷に火を放つ。そして、姜子蘭らが逃げ出すか、子伯異の安否を確かめに来るであろうからそこを急襲するというものである。ほとんど田宜の進言した通りの内容となった。

 そして呉西明は、姜子蘭を殺すほうの部隊に入ることになったのである。




 季冬の冷ややかな空気が、夜空に煌々と輝く半月の光をいっそう明るく研ぎ澄ましていく。

 その月光を嫌うように建物の影から影を飛び移る黒衣の男たちがいた。

 隠密には向かぬ夜ではあるが、今宵を逃しては薊国の使節団を襲う好機はない。明日になれば使節団は奄男と会談を行うだろう。そしてもし首尾悪く両国の友誼がなれば、奄男は兵を率いて薊国の使節を国境まで護衛させるに違いない。

 そうなってしまえばもう田仲乂にはなすすべなく、そもそもその時には身柄が自由であるかさえ分からないのだ。


 ――だが、李博が現れたということは、天はまだ伯父上を見放していないということであろう。


 子伯異を狙う側の部隊に入り、五人の部下を率いる田宜は夜道を走りながら口元を歪めて笑った。

 そしてそれは、田宜の前途をも明るくすることとなる。田仲乂は首尾よくいけば田宜に仕官の道を与えると約束してくれたのである。だからこそこの密命は田宜にとって、伯父から受けた恩ではなく利己のために成功させねばならないのであった。

 やがて約束の刻限となった。自分たちの悪事をさらけ出そうとする月の光を、疎むように見上げてその位置を確かめると、六人の刺客は静かに小殷の宿舎に忍び込んだ。

 手筈通りであれば、李博が兵を下がらせているはずである。だが田宜は一応、李博が詐妄を用いた可能性を考慮して慎重に進んだ。しかし間違いなく、彼らの進む道には歩哨はおろか猫の子一匹いなかった。

 田宜はさらに部隊を二手に分け、三人を子伯異の部屋の窓側に向かわせる。逃げ出された時に対処させるためである。

 そして残る二人を率い、誰も守る者がいない子伯異の部屋へなだれ込んだ。そこではやせこけた老人が明かりを灯して机に向かい、書簡を読んでいる。闖入者に驚くこともなく、落ち着いた挙措で田宜たちのほうを見やった。


「……何者だ?」

「知る必要はあるまいよ。お前はこれから死ぬのだからな」


 田宜は子伯異の冷静を鼻哂して懐から短剣を取り出す。後ろの二人も同様に刃物を取り出した。短剣には毒が塗られており、少しでもその刃先が肌を掠めれば死ぬほどの劇薬である。


「なるほどな。さしずめ貴様らは黄泉からの使者というところか。まあ、既に使い古した首ではあるし、未練もない。老いて道に惑い、薊国にいらぬ混乱をもたらす一助をしてしまったことを、父祖に詫びに行かねばならぬとも思っていたところだ」

「そうか。ならばその望みを叶えてやろうじゃないか」


 田宜らが静かに子伯異に近寄る。三つの死が、足音を殺して迫ってきていた。


「しかしそれは今ではない。既に不孝者の身ではあるが、この上、主命を受けながら全う出来なんだ不忠者の汚名まで背負うことは出来ぬのでな」

「ふん、助かると思って――!?」


 田宜らがそう言って前に進んだ時である。不意に、三人の刺客の体が沈んだ。暗くて見えなかったが、子伯異は予め床板を外しておいたのである。しかも落ちたその先には油が大量に撒かれていた。

 田宜は油で動きがままならぬまま、叫ぶ。窓のほうに配置した部下に突入させようとしたのだ。しかしいつまでたっても窓から刺客がやってくる気配はなかった。


「外におる者らは、今ごろあの気に食わぬ悪童の手下によって倒されているころであろう」


 子伯異は明かりを灯した燭台を手に、地面に落ちた三人を見降ろした。田宜は悔しそうにもがくが、体中にこびりついた油のせいで立ち上がることさえままらない。子伯異はそんな彼らから視線を外さず、そして聞こえないように呟いた。


「さて、あちらは上手くやっているかどうか?」

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