方士
姜子蘭は、利幼が姜仲繪に迫って太子となった経緯については一切関与していない。
これは子狼から利幼らへの容喙や献策もという意味である。
子狼は初めから、あるいは姜仲繪は素直に利幼を太子とは認めず、再び三公子を争わせることをするかもしれないとも考えていた。姜子蘭にそう進言した子狼に対して姜子蘭は、
『その時にどうなされるかは利幼公子の決断に委ねることとしよう』
と、迷いなく言い切ったのである。
盧武成も子狼もこれには素直に賛同した。というよりも子狼は初めからそのつもりだったのである。
しかし姜子蘭がどういう考えでそう口にしたのかを確かめた。主君への問いかけというよりも、時に姜子蘭の師傅でもある子狼から弟子への試問である。
『これは利幼公子が決めるべきことだと思う』
『まあ、それはそうでしょう。なれど我らとしては薊国は通り道であり、我が君の大業の過程に過ぎません。もし利幼公子が上辺だけの言葉に流されて乱が長引けば、我が君にとってもご都合が悪うございますぞ』
子狼は意地の悪い言い方をした。しかし姜子蘭も少しずつ子狼という師に慣れてきている。
このように敢えてひねくれた物言いをする時は、言い分は正しいが言葉が足りないと暗に諭しているのだ。
『ああ、分かっている。しかし、向後のことは考えずにただ利幼公子を一義とせよと言ったのは子狼だろう? 私はここまでそうしてきたつもりであり、それは子狼もそうであろう。ならば、ここで我欲を出してはならないと思う』
『ええ、確かにそれは私が進言したことでございます。しかし人の世とは、先ほどまで正しかったことが今となっては間違いになっていることもある、千変のものでございますぞ』
『それは分かっているさ。しかし、変わらぬもの、変えてはならぬものもあるだろう。他者の苦境を助けて見返りを得るのと、他者の弱みにつけ入り自らの利とするのは違うし、そこを曲げなければ為せぬのが我が大願であるというのなら――もしそれで虞王朝を救うことが出来ても、再び罪が報いとなって虞王に降りかかることだろう』
姜子蘭は毅然とした態度でそう答えたので子狼は破顔した。
しかし後に退出した後、盧武成は子狼に話しかけた。
『お前がああ進言した本当の意図は、我が君に、謀反を助けたという汚名を背負わせたくないからであろう』
それは詰問ではなく確認である。そして盧武成はまさに、そういった理由から姜子蘭の言葉に賛意を示していたのだ。
その問いかけに子狼は、わずかに肩をすくめるだけで言葉を返さなかった。
そして、まったく関係のない話題を唐突に振ったのである。
『それよりも少し気になることがあってな』
露骨にはぐらかされたが、盧武成は諦めてその、気になることとやらを聞くことにした。問い詰める労力が無駄だと思ったのと――雑談や世話話とは思えないような、他者の耳を憚るような低い声がしたからである。
『これはまた聞きということになるのだが――薊侯は、昔はああまで故事好きをする君主ではなかったらしいのだ』
子狼がまた聞きと言ったのは、子狼は辛明から聞き、辛明は前任の利幼の家宰から聞いた話だからだ。
今の薊侯、姜仲繪の在位は長く、即位した時にはまだ虞では虚王――姜子蘭の祖父が健在であった。そしてその頃の姜仲繪は、悪く言えば凡庸だが、大過なく君主としての政治や祭事をこなし、酒色に溺れることもなく放蕩をすることもない人であったらしい。
それが、撃鹿の戦い――樊が畿内の諸侯を率いて顓と戦い敗れた戦いが起きたころから、やたらと史書を好み、故事に傾倒するようになったのだという。
そして、その時期に姜仲繪に気に入られた方士がいるのだという。
方士は修験者と言いかえてもよく、つまりは山に籠もって修行をしたり、巫祝や占術などを得意とする者のことである。ただし方士と呼ばれる者は国家や朝廷の卜官よりも位が低く、下賤の者と扱われる。
国君や貴族がこういう者を召し抱えることはたまにある。芸人をお抱えにしたり妓女を自分の踊子にするような、道楽としての意味合いが強い。
要するに、高貴な身分の人にとって、巷間の芸というのは物珍しいのだ。
なのでその頃は、方士一人のことなど、薊国の廷臣は誰も。気にさえしていなかった。
しかしここまで薊国が乱れた後に振り返ってみると、その方士を召し抱えた時から姜仲繪はおかしくなったのではないかと辛明は思ったらしい。
『なるほどな。それで、そうだったとしてだからどうした? その方士を捕らえて殺し、君主を惑わしたとして見せしめにするつもりか?』
乱を経て君主となった者が、自らを正当化し挙国一致を図るために、乱の元凶を仕立てて殺すことはよくある話である。
盧武成からすれば愚かしい話であり、いかに方士の言説が巧みであろうとも、その言葉を聞いて国を惑わせたのは姜仲繪なのである。この乱の責を負わせて処刑するなら他に誰がいよう、と心の中では思っているのだ。
しかし盧武成はそれを口にすることもしない。そんなことをすればかえって薊国の国人からの反感を買い、新たな乱の種を生むということも分かっているからだ。
そして、子狼がこのことを盧武成に話したのは、どうやらそういう話ではないらしい。




