旅立ち
未来がジェイコブに連れ去られた日の夜――。
青ノ島の村役場の応接間は、重苦しい空気が漂っていた。
机を挟んで向かい合うのは、村長の谷中正芳、金子医師、蒼井武流、そして海斗だった。
武流が吸う煙草の煙が静かに揺れる。
「……やつらは、どこから来たんだ?」
沈黙を破り、武流が村長に質問する。
「たぶん、横田基地だな……」
腕を組んで考え込むように村長が答える。
「横田基地? 東京にある米軍の基地じゃないか。水没してなかったのか!」
武流が驚いたように顔を上げた。
「福生は高台にあるからな。東京のほとんどは水没したが、横田基地は無事だったんだろう」
金子医師が冷静に説明する。
「しかも、米軍は世界連合軍に編入されている。もう横田はアメリカの基地ではないんだろうな」
「じゃあ、世界のどこかで、まだ戦争が続いてるのか……」
武流が煙草を灰皿に押し付けながら呟いた。
海斗は拳を握りしめ、村長に質問した。
「……なんで未来は連れて行かれたんです?」
村長はため息をつき、椅子の背にもたれかかった。
「あのジェイコブって男は"軍事機密だから教えられない"と言っていた。あの子は何か重要な秘密を握っていたんだろうな……」
「秘密って何だ? 超能力でも持ってたのか!」
武流の発言に、村長は首を横に振る。
「わからん……ただ、言えることは、この島以外にも人間は生き残っていて、世界はまだ動いているということだ」
その言葉に、海斗の心がざわめいた。
世界は終わったわけじゃない。まだ人が生き残っていて、何かが動いている。
――なら、自分はここでじっとしていていいのか?
海斗は突然、立ち上がった。
「ボクが未来を助けに行く!」
その場にいた全員が驚いて海斗を見た。
「おい、ちょっと待て、落ち着け!」
武流が慌てて息子の肩を掴み、椅子に座らせる。
「 ここは海に囲まれた絶海の孤島なんだぞ。連絡船もヘリもないのに、どうやって東京まで行くつもりなんだ? まさか、漁船で行く気か?」
「じゃあ、未来を見捨てるのかよ!」
海斗の言葉に、武流は息を詰まらせた。
「……海斗、気持ちはわかるが、相手は軍隊だぞ」
村長が低く諭すような声で言う。
「お前が一人でどうにかできるような相手じゃない」
海斗は悔しそうに唇を噛みしめた。
「もう少し時間をくれ。皆で対策を考えよう」
村長の言葉に海斗は目を閉じて、ゆっくりと頷いた――。
翌日――。
朝の光が海を照らし、波が静かに揺れていた。
漁船は沖へ向かって、ゆっくりと進んでいた。
船の舳先に腰掛け、海斗はぼんやりと水平線を見つめていた。
潮風を受けながら、彼の心は暗く沈んでいる。
武流は船の舵を握りながら煙草を吸っていた。
「おい、海斗!」
「……うーん」
力なく返事をする海斗に、武流は少し笑って言った。
「未来ちゃんは、良い子だったよな」
海斗は小さく頷いた。
「ああ……」
「実はな、村長から頼まれてたんだよ。あの子をお前の家で預かってくれないか?ってさ」
「えっ、そうだったんだ……」
海斗は驚いて武流を見た。
「お前の妹として育てるのもいいかなって、ちょっと考えてたんだよな」
「妹か……」
海斗は少し複雑な気持ちになった。
「何だよ、妹じゃ嫌なのか?」
武流がニヤリと笑う。
「いや、別に……」
海斗は言葉を濁す。
武流はそれを見て、愉快そうに笑った。
「ハハハ……」
「何が可笑しいんだよ」
「お前、あの子に惚れちまったんだな」
「そ、そんなんじゃないよ!」
海斗が慌てて否定すると、武流はさらに笑いながら煙を吐いた。
「お前はわかりやすいなあ……」
武流は思い切り煙草の煙を口から吐き出した。
「……助けに行ってこいよ」
「えっ?」
海斗は耳を疑った。
「俺はな、大洪水の時、母さんを失った」
武流はゆっくりと水平線を見つめながら言った。
「今でも、どうにかできなかったのかって後悔してるんだ」
その横顔には、かつての無念が刻まれていた。
「お前があの子を助けたいんだったら、行けばいい。後悔するくらいならな」
海斗は武流をじっと見つめた。
「……父ちゃん……」
「親としては、止めるべきなんだろうがな……」
武流はふっと笑い、頭をかいた。
「俺も男だから、お前の気持ちはわかる」
「でも、村長は反対するんじゃないの?」
海斗が不安そうに聞くと、武流は軽く肩をすくめた。
「まあ、村長には黙って行けばいいさ」
そして、海斗の肩をポンと叩いた。
「観光客用のボートが空いてるから、それを使え」
「ボートで東京まで行けるの?」
「まあ、途中の島で給油しながら行くしかないな。島に生き残りがいればの話だが」
海斗は目を閉じ、しばらくの沈黙の後――。
「……行くよ!」
力強く、決意を込めて言った。
武流は満足そうに頷いた。
「しょうがねえな……でも、一つだけ約束しろ」
「約束……何?」
武流は海斗の肩を掴み、真っ直ぐに目を見つめた。
「未来を助けて、必ず生きて帰ってこい」
その目には、父親としての強い願いが込められていた。
海斗も、まっすぐに武流を見つめ――。
「うん……きっと生きて帰ってくるよ」
武流は黙って海斗を引き寄せ、力強く抱きしめた。
「……約束だ」
出発日の朝――。
港で、30フィートクラスの中型プレジャーボートに武流と海斗が荷物が積み込んでいた。
武流は額の汗を拭いながら、荷物を整理する。
「とりあえず、一週間分の食料と水を積んでおいた。これで何とかなるだろう」
「ありがとう、父ちゃん」
海斗はペットボトルの水を飲んで、一気に喉を潤す。
「あと、これも持っていけ」
そう言って、武流は防毒マスクを海斗に手渡した。
「東京じゃバグがうようよいるかもしれない。ウィルスには十分気をつけろ」
「そうだね……気をつけるよ」
海斗は防毒マスクを被ってみる。
「アハハハ、なかなかサマになってるじゃねえか」
武流は煙草をくわえたまま笑った。
その時――。
エンジン音を響かせながら、一台のワゴンが港へと近づいてきた。
「……あっ! ヤバい、村長だ!」
海斗は慌てて身を隠そうとする。
だが、武流は落ち着けと合図を送った。
「大丈夫だ。もう村長には話をつけてる」
「えっ……そうなの?」
戸惑う海斗をよそに、ワゴンのドアが開き、谷中村長と金子医師が降りてくる。
「いよいよ、行くのか」
村長の声に、海斗はぎこちない笑みを浮かべながら頷いた。
「はい!」
村長は懐から三通の手紙を取り出し、海斗に手渡す。
「……これは?」
「これは?」
「この手紙を補給で立ち寄る島の村長に渡して欲しいんだ」
「村長に?」
「他の島でも生き残っている人々がいるはずだ。だが、今のところ通信は途絶え、安否は不明のままだ。このまま孤立し続ければ、我々は生き残ることすら難しくなる。それでも、手を取り合えば道は開けるはずだ」
海斗は手紙をじっと見つめた。
「……わかりました」
「頼んだぞ、海斗」
村長は海斗の肩を叩いた。
「これを持っていきなさい」
金子が救急箱を海斗に手渡した。
「道中、何があるかわからないからな。必要な医薬品は入れてある」
「ありがとうございます!」
金子は微笑みながら頷いた。
海斗はボートに乗り込んでエンジンをかける。
「海斗、気をつけろよ!」
武流が目を細めて手を振る。
「ありがとう、父ちゃん……村長、先生、行ってきます!」
村長と金子も笑顔で手を振る。
低く唸る音とともにボートが動き出す。
ボートはゆっくりと港を離れ、波を切りながら進んでいく。
村長と武流は岸から手を振りながら、遠ざかる海斗のボートを見送った。
青ノ島を離れ、未来を救い出すため旅が始まる。