囮作戦
アジトの地下二階。かつて倉庫だった空間に、幾つものスチール棚が設置され、棚には昆虫の繁殖用に改良されたアクリルケースが整然と並んでいた。
海斗はスチール棚の上に登り、手にしたスピーカーの角度を調整していた。
「これで……よし。ドクター、これでいいですか?」
棚の下からドクターと未来が見上げている。
「ああ、そのまま少し下へ向けてくれ。角度が重要なんだ」
「了解!」
海斗は手早く角度を調整し、慎重に下へ降りてきた。
「お父さん、これで何をするの?」
未来が不思議そうに尋ねる。
「これはね、トラップだよ」
「トラップ?……罠のこと?」
「そうだよ。昆虫採集する時はトラップを仕掛けて捕まえるだろ。これは人間を捕まえるためのトラップなのさ」
「音で捕まえるの?」
「これはLRADという高指向性スピーカーだ。一定の周波数帯で、人間にとって非常に不快な音をピンポイントで届けられる。戦意を削ぎ、判断力を鈍らせる効果がある」
「へぇー……そんなことができるなんて」
未来の目が好奇心に輝いた。
「設置完了しました」
海斗がハシゴを降りてくる。
「じゃあ、テストしてみようか」
ドクターが奥の制御装置のスイッチを入れ、ゆっくりとボリュームを上げていく。
ブィイイイイインッッッッ!!!
突如として部屋に響き渡る異様な高周波に、海斗と未来は同時に耳を塞いだ。顔を歪め、呻くように、今にも嘔吐しそうな様子だった。
「うわあっ……気持ち悪い!」
「吐きそう……!」
二人の反応にドクターは満足そうにボリュームを絞った。
「効果は十分のようだな」
そのとき、鉄の扉が音を立てて開いた。薄暗い部屋に差し込んだ光の中から、ひとりの少女が姿を現す。
黒く長い髪に、白いワンピース。華奢な足取りでゆっくりと歩み寄るその姿に、海斗は思わず目を細めた。
「……誰?」
その声に、少女はクスッと笑った。
「あたしだよ、あたし」
「……沙羅さん!?」
海斗の声が裏返った。ドクターと未来も目を丸くしていた。
「どう?マネキンからカツラとワンピースを拝借してきたんだよ。それっぽいでしょ?」
「沙羅さん、かわいいです」
未来が無邪気に微笑む。
「ありがと!」
沙羅は照れ笑いしながら、両手でスカートの裾を持ち上げ、くるりと一回転して見せた。
「見違えるように清楚な感じに見えるよ。……喋らなければね」
ドクターが冗談交じりに言う。
「言ったな、ジジイ」
そこへタイミングよく村上が部屋に入ってきた。目に映る二人の少女の姿に、一瞬足を止める。
「ん?未来ちゃんが二人いる……」
沙羅の眉がピクリと動いた。
「何が“未来ちゃん”だ、コラァ!」
沙羅の蹴りが村上の腹部を捉えた。
「うおっ……って、ええっ!?沙羅だったの!?」
村上は驚愕の表情で沙羅を見つめた。
「すげー、可愛くなってる……」
「気持ち悪いんだよ!エロ猿!」
「エェー!褒めただけなのにーっ!」
そんな二人のやり取りを見て、海斗と未来は思わず笑ってしまった。
アジトの屋上では、月明かりの下に灰色の煙がゆるやかに流れていた。
三浦船長が煙草をふかしながら、肩肘をついてしゃがみ込んでいる。その傍らに、狂介が腕を組んで立っていた。
「囮作戦だと……?」
「沙羅のアイデアだ。未来のICチップを利用して、敵の目を欺くのさ」
「敵に位置を教えてまで、外に出るのか? かなりのリスクだぞ」
「わかってる。だが、このまま攻め込まれるより、戦力を分散させられるだろう」
三浦は眉をしかめ、しばらく黙ったまま煙草を灰にした。
「……まあ、そうだけどな。覚悟はできてるんだな」
「もちろんさ。海斗のこと、頼んだぜ」
「ああ、任せとけ。死ぬなよ」
「死んでたまるか!」と狂介が笑い、力強く三浦の肩を叩いた。
翌朝、アジトの地下駐車場には重低音が響き渡っていた。
狂介を先頭にストレイドッグスのメンバーがバイクに乗って出発の準備をしている。
沙羅は、村上のバイクの後部座席に跨っている。
村上は迷彩服を着て、髪型も海斗に似せてセットされていた。
「あんたは海斗役なんだからね。しっかり走るんだよ」
「わ、わかってるよ」
狂介が振り返り、右拳を高く掲げる。
「よーし、行くぞー!!」
それを合図に、一斉にバイクのエンジンが咆哮を上げ、バイクの隊列が地下駐車場から地上へ飛び出していった。
その様子はすでに、上空で待機していた監視ドローンに捕らえられていた。
オスプレイで移動中のジェイコブの元へドローンから情報が伝えられる。
「ストレイドッグスがアジトから出発した模様です」
オペレーターがモニターを見ながらジェイコブに報告する。
「逃亡か?未来はどうした」
ドローンからの映像が拡大され、バイクに乗った集団の中に長い黒髪にワンピースを来た女性がモニターに大きく映し出される。
「本当に未来か?」
ドローンからの解析画像がモニターに映し出される。
「ICチップからの信号もキャッチしました」
ジェイコブはモニターを見つめながら、無線で連合軍に連絡する。
「ドローンからの位置情報を送る。ハンヴィ―で追跡させろ」
「アジトへの突入はどうしますか?」とオペレーターが確認する。
「捕虜救出は予定通り実行する。時間を繰り上げて急襲する」
決戦の幕開けが刻一刻と迫っていた。