告白
翌朝、街はくぐもった曇り空に覆われていた。
陽の光はほとんど地上に届かず、空気もどこか湿って重たい。
海斗は地下のアジトの一区画にある簡易ベッドで寝ていた。
「おーい、起きな!」
沙羅がベッドを蹴って、海斗は無理やり起こされる。
「ガソリン採りに行くよ。あんたも手伝って」
「へっ?」
沙羅はポリタンクを手に持って見せた。
「あたしたちにとってはガソリンは血液と同じだからね」
暴走族にとって、ガソリンはその活動を支える命綱だ。ガソリンがなければバイクも車も動かないし、敵を迎え撃つこともできない。物資が乏しいこの時代において、ガソリンは何よりも重要な資源だった。
有無を言わせず、海斗は沙羅のバイクの後部座席に乗せられた。
廃墟と化した街を抜け、幹線道路沿いには乗り捨てられた車が並んでいた。
捨てられた車のボディは錆びていて、窓は割れ、タイヤは一部が潰れている。
沙羅は慣れた手つきでバールを給油口に差し込みこじ開け、蓋を取るとホースを突っ込んで口にくわえた。
「こうやって、吸うんだ。ガソリンが上がってきたらすぐ下のポリタンクに差し込む」
「なるほど……」
「感心してないで、あんたもやるんだよ!」
海斗は覚悟を決めてホースをくわえ、息を吸い上げた。
次の瞬間、口の中に熱い液体が勢いよく流れ込んだ。
「ブハッ!!」
激しい咳と共に、口の中からガソリンを吐き出す。喉が焼けるように痛い。目に涙が滲み、膝をついたままゲホゲホとむせ返る。
沙羅が海斗に水筒を差し出した。
「これで水で口をすすぎな。ガソリン飲んだらヤバいよ」
海斗は水筒をもらい、水で口をすすいで地面に吐き出した。
「ふう……ありがとう」
「今度は失敗すんなよ」
沙羅はポリタンクを持って次の車へ向かった。
沙羅と海斗がアジトへ戻ってくると、入口前で村上大樹とチャーリー・ブッカーが待っていた。チャーリーは元米軍の兵士で、横田基地から逃げてきた逃亡兵だ。日本語は片言だが喋ることができる。
「ご苦労さん。ガソリンは回収できたかい?」
「ああ、満タンにはできたよ」
沙羅がチャーリーにポリタンクを渡す。
「アリガト」と言ってチャーリーはポリ缶を肩に担ぐと、倉庫の方へ歩いて行った。
「アニキが沙羅に相談したいことがあるってさ」
「わかった……海斗、休憩とっていいよ」
すでに沙羅の手下のようになっているなと海斗は思った。
ここで足踏みしている余裕はない。未来の居所を突き止めなければ。その足がかりをどうしたらいいのか……もしかしたらドクターが知ってるかもしれない。彼は足早にアジトの地下へと向かった。
ドクターのいる地下研究室の扉を開けると、いつものように昆虫の羽音が微かに聞こえてくる。
「ドクター、いますか?」
部屋の奥に座っているドクターが顕微鏡から顔を上げ、いつものように柔和な笑みを浮かべた。
「君か、もう傷は大丈夫かね?」
「はい、おかげさまで。昨日は本当にありがとうございました」
海斗は一礼し、改めて自分の名を名乗った。
「ボクは蒼井海斗といいます」
ドクターは、ゆっくりとうなずいた。
「蒼井くんか……私は――月島秀雄です」
その言葉を聞いた瞬間、海斗の顔が強張った。
「……月島?」
「どうしたんだい?」
「……ボク、“月島未来”という子を探してるんです」
その名前を口にした瞬間、月島の表情が凍りついた。
顔から血の気が引き、彼は手に持っていた器具を机に落としかけた。
「……未来に、会ったのか?」
「はい、救命艇で漂流していたところを……青ノ島の近くで助けました。ですが、ジェイコブという男に連れて行かれてしまった」
月島は唇を噛み、震える手で机を支えながら、絞り出すように言った。
「……そうか。やつらに捕らわれたか……」
彼はしばらく沈黙した後、椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「ドクターは何かご存じなんですか?」
「……未来は、私の娘なんだ」
「えっ!」
海斗は驚きのあまり目を見開いた。
博士は目を伏せ、ゆっくりと口を開いた。
「私は、かつて昆虫の研究をしていた。ある日、巨大なバイオ企業の“ヴェイオス・バイオテック“から誘いがあった。彼らは昆虫を利用して新しい技術を生み出そうとしていた。最初は純粋な研究のつもりだった。だが、彼らが私に求めていたものは……そうではなかった」
博士は記憶を辿るように話を続けた。
「彼らは、昆虫の巨大化に関心を持っていた。虫は外骨格で身体を支えているため、巨大化すると地球の重力下では自重を支えきれないという構造上の限界があった。しかし、遺伝子工学を駆使すれば、巨大な生物を生み出せるかもしれない、という考えだった。私はその研究に加担してしまったんだ」
「その研究は成功したんですか?」
「ああ……成功した当初は、研究は純粋な科学の追求だと信じていた。だが、ヴェイオス・バイオテックの真の狙いは別にあったんだ。彼らは、巨大化した昆虫を兵器として利用しようとしていたんだ」
「生物兵器……ですか?」
「そうだ。彼らの目的は、生物兵器として昆虫を使い、敵対国を壊滅させることだった。巨大昆虫がウィルスを媒介し、そのウィルスが爆発的に感染を広げる……そして自己増殖を続ける生物兵器だ。それが“ビッグバグ”なんだ」
「まさか……宇宙生物ではなかったのですか?」
「あれはメディアを利用した情報操作だ。ビッグバグは宇宙から飛来したものではなく研究所で生まれたものだ」
ドクターの声は震えていた。
「その研究に、私は……未来を巻き込んでしまった。あの子には虫と交信する能力があった。虫の“声”を感じ取り、制御することもできた。普通の人間には聞こえない特殊な周波数を使ってね」
「……未来は、虫と話せるんですか?」
「そうだ。ジェイコブたちは、その力に目をつけた。軍事的に応用できると判断して、未来を“管理下”に置いたんだ」
ドクターは机を強く叩いた。
「私は未来を救うためにコクーン(救命艇)に乗せて海に逃がした。そして、私も研究所から逃亡したんだ」
海斗は拳を握りしめた。
「ドクター。ボクが未来を助け出しますから、研究所の場所を教えてください!」
「君が未来を救い出してくれるのか?」
「はい!」
ドクターは目に涙を浮かべながら海斗の手をしっかり握りしめた。
「……ありがとう。君が未来を助けてくれるなら……私は、何でも協力しよう」