火山ノ島 ①
海斗は九条島から約100kmに位置する五頭島を目指していた。
やがて、海の向こうに大きな火山を頂く島影が現れる。山頂からは白い噴煙が空へと立ち上っていた。
「あれが五頭島か……」
潮風に乗って、鼻を刺す硫黄の匂いが漂ってくる。海斗はケースから防毒マスクを取り出し、手早く頭に被った。
五頭島は活動中の火山島であり、いつ噴火が起きてもおかしくない不安定な状態にあった。
島の周囲には火山ガスが立ち込めており、防毒マスクなしでは危険な環境だった。
海斗のボートが五頭島の港に入っていった。
桟橋にはアフロヘアに防毒マスクを被った男が立っていた。
「おまえ、どこから来たんだ?」
ボートを停めながら海斗は一礼した。
「青ノ島から来ました。蒼井海斗です」
アフロの男はマスク越しでもわかるほどの豪快な笑い声を上げた。
「青ノ島からボートでここまで来たのか。無茶な奴だ」
「村長さんに手紙を渡すために島を周ってるんです」
「へぇ、そうなのか。村長に会うなら案内してやるよ」
彼の名は赤間謙太、二十三歳。島でビニールハウスを営み、果物を育てているという。
海斗は彼のワゴン車に乗せてもらい、島の内陸へと向かう。
車窓から見える山の中腹に、大きな煙突から白煙を上げる建物が見えた。
「あれは何ですか?」
「ああ、地熱発電所さ。火山の熱水と蒸気を汲み上げて、タービンを回して電気を起こしてるんだ」
「へー、自然の力を利用してるんですね」
「石油も原子力も頼れねぇからな。うちは自給自足でやってんだよ」
誇らしげに語る謙太に、海斗は深く感心した。
青ノ島ではディーゼル燃料による発電に頼っていたが、燃料が限られているため、常に節電が求められている。
地熱発電のような持続可能なエネルギー源は、今後の鍵になる――海斗は改めてそう感じた。
「ビッグバグって、この島にも来ますか?」
「たまに飛んでくるけどな、硫黄の匂いが嫌いみたいで、すぐ引き返していくんだよ」
そう言って謙太は笑った。
村役場に着くと、謙太は防毒マスクを外した。
「もうマスク外しても大丈夫だ」
海斗もそれにならってマスクを外す。
謙太に案内されて村長室へ入ると、日焼けした顔に白いポロシャツを着た村長が、書類に目を通していた。若々しく、力強さを感じさせる男だった。
「父ちゃん、来客だよ。青ノ島から来たってさ」
村長が顔を上げ、海斗をまっすぐ見つめた。
「青ノ島から……」
「はい、青ノ島から来ました。蒼井海斗です」
「村長の赤間昇一です。青ノ島の皆さんは、お元気かね?」
「はい、大洪水で被害を受けましたが、六十人が生き残って何とか生活しています」
「そうか……」
昇一は深く頷いた。
海斗は懐から一通の手紙を差し出した。
「青ノ島村長からの手紙です」
昇一は手紙を受け取り、目を通した。
しばらく考え込んだ後、静かに頷いた。
「……そうだな。これからは島どうしで支え合うことが必要になるだろう。うちの島も、自給自足を目指して工夫してる。その知恵を分け合えるのは、良いことだと思う」
「さっき、地熱発電所を見ました。自然の力を利用している所は素晴らしいなと思いました」
「火山は脅威でもあるが、恩恵ももたらしてくれる。自然とどう共存するかが、これからの鍵なんだ。それに我々は燃料も自前で作っているんだよ」
「燃料を自前で?」
昇一は机の下から野菜を取り出す。
「これを使って燃料にしているんだ」
「……サツマイモ?」
「そう、この島の名産だ。サツマイモをバイオ燃料に加工して、船や車を動かしてるんだ」
「へぇー、すごいですね」
「ちょうど連絡船の修理も終わって、ようやく他の島と交流を始めようとしていたところだ」
海斗は少し緊張しながら切り出した。
「あの……僕はこれから東京に向かうんです。燃料を少し分けていただけないでしょうか?」
「東京へ?……あそこは、もう水没した廃墟だぞ。何のために?」
「助けたい人がいるんです」
「そうか……謙太、彼にバイオ燃料を用意してあげなさい」
「了解!」と返事をする謙太。
「ありがとうございます!」
海斗は村長に感謝して、頭を下げた。
村役場を出て、謙太はワゴン車に海斗を乗せ、町の外れへと向かった。
「面白いもん見せてやるよ」
道沿いにはサツマイモ畑が広がっていた。濃い緑の葉が風に揺れ、陽光を受けてきらめいている。
「ほら、あそこだ」
謙太が指さした先には、銀色のパイプとタンクが並ぶ建物があった。畑の中にぽつんと佇むその施設は、農村には不釣り合いなほど近代的に見えた。
「ここでサツマイモを燃料に変えてるんだ」
車を降りると、ほんのり甘い香りが鼻をくすぐる。
「……焼き芋みたいな匂いですね」
「糖化の工程で蒸してるからな。ここじゃ、サツマイモを砕いて糖にして、酵母で発酵。蒸留してエタノールを取り出してる。それがバイオ燃料になるんだ」
謙太は施設のゲートを開けた。中に入ると、低く響く機械音が途切れなく続いていて、芋を燃料へと変換していた。
「今はガソリンと混ぜて使ってるけど、最終的には100%エタノールを目指してる」
謙太はタンクの蛇口からポリタンクにバイオ燃料を入れる。
「これをボートに入れるといい。ガソリンと混ざっても問題なく使える」
「ありがとう」
「東京で助けたい人って誰なんだ?」
海斗は謙太に未来の事について話した。
「……そうか、東京ではまだ何かが起こっているわけか」
海斗は深く頷いた。
「よし、美味いものを食わしてやるよ」
謙太は海斗を近くにあるビニールハウスへと連れて行った。
中にはパッションフルーツの蔓が支柱に巻きついて、赤紫の実が垂れ下がる。謙太がナイフで実を切り、半分を海斗に渡した。
「食えよ」
海斗はパッションフルーツを受け取り、かぶりついた。
濃厚で甘酸っぱい味が口の中に広がる。
「うまい……こんなのも育つんですね」
「観光客がいた頃は大人気だったんだぜ」
謙太が笑いながらフルーツを口いっぱい頬張った。
夕方になると、海斗は赤間家に招かれた。
玄関を開けると、謙太の母・多恵子がエプロン姿で出迎えてくれる。
「いらっしゃい、お腹減ってるでしょう?夕食を用意してますからね」
茶の間では昇一が煙草をふかしながら本を読んで待っていた。
「おお、よく来たな」
海斗は大きなテーブルに並べられた、ご馳走に目を奪われた。
島近海で獲れた金目鯛の煮つけが大皿に盛られていて、赤く光る身が食欲をそそる。
隣には揚げたての明日葉とサツマイモの天ぷらが並び、パッションフルーツのジュースがグラスに鮮やかに映えていた。
「いただきます!」
家族が手を合わせて一斉に声を揃える。
「さあ、いっぱい食べていってね」
多恵子に勧められ、海斗は金目鯛を口に運んだ。
濃厚な旨味と甘辛いタレが絡み、舌に広がる。
「……うまい!」
謙太が笑いながら天ぷらを勧めてくる。
「明日葉の天ぷらも美味いぜ、食ってみろよ」
「うん」
どこにでもある、ありふれた家族の風景。
海斗は母を亡くしてから、しばらく忘れかけていたものだ。
謙太の家族とともに過ごす“家族団欒”が尊いものに感じていた。