ボクが見る世界
主人の命令を受け、ボクは瞬時に件の少女のそばへと移動した。主人の命令を受けることができたことに嬉しいと感じると同時に、激しい自己嫌悪にさいなまれる。ボクはダメな道具だ。主人は仲間でいろと言ったのに、ボクは道具であろうと振る舞い続けた。そっちのほうが落ち着くから。そっちのほうが悩まずに済むから。だからボクは主人に命令を乞い、そして……ついに、命令を受けることができた。嬉しいことだ。その内容が、恋敵の素性を調べろ、というものであったとしても、だ。
「あれ、ルウ君……? いや、違う。あなただれ?」
「ボクはトレース。トレース・トレスクリスタル。とある命を受け、君のことを聞きに来た」
この少女はどう思うだろう。いきなり宙に現れたルウに似た人間が、こんなことを言い出したら。
「誰の差し金? なんでルウ君そっくりなの?」
「そちらのほうが都合がいいからだ」
本当は、もっと単純な理由なのだが、それをこの少女に伝える必要はない。何を思ったのか、少女はいきなり漆黒の翼をはためかせると、戦闘態勢に入った。
「……私の何が知りたいの? というか、なんで私が彼のことを……だって嗅ぎつけたの? あなたたちってそんなに優秀だった?」
「……何のことを言っている」
小さく聞き取れなかったところはおそらく、『好き』だろうな。いじらしいな。
「なんのつもり!? 私は、あなたたちの言うことなんて聞かないって言ってるでしょ! お父さんとお母さんを殺して、私の妹にまで手をかけて! 次は私の……っ!」
彼女は思い切り翼をボクのほうへと伸ばしてきた。すっと体を後ろに動かして避けると、ボクは彼女を見る。どうも推測するに、彼女は何かの組織に追われていて、家族を何人か殺されたようだ。今、彼女は打ちのめされていると言っていい。
「ボクは調査に来ただけだ。キミのことを知れば、すぐに帰る」
「私の何が知りたいの! あなたたちなんでも知ってるでしょ!? 私の家族から学校で遊ぶ友達まで!」
「だが、足りない。もっと教えてほしい」
「嫌! 私の心は私だけの物なの! だれにも渡さない、誰にもあげない! たとえあなたを殺してでも……私は生きて見せる!」
強い意志を、彼女から感じた。ああ、こんな人が、我が主を好きになったのか。主人からはあきらめの意思を感じていた。自分はバケモノだから、人間とは恋ができないと。そんな意思を感じた。……しかし、おそらくこの少女は、たとえ主人が何であったとしても、受け入れるだろう。
「そうか。いい覚悟だ」
「やる気!?」
威嚇するように翼を広げると、少女はボクに向かって吠えるように叫んだ。
「勘違いするな。ボクはただの使者だ」
「……主人は誰?」
「ルウ・ペンタグラム」
少女の顔が、驚きに目を見開く。
「……なんで、ルウ君が?」
なぜ、か。その言葉には多くの意味がこもっているような気がした。なぜルウ君が使者なんかを? なぜルウ君が私を? 彼女の心情を言葉にするのなら、だいだいそんなところだろう。
「なぜ? キミはそれが気になるか?」
「当たり前じゃない、私は……」
「主人が好きなのだろう?」
ボクがそう言うと、少女は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに漆黒の翼で自分を覆った。
「……なんでそのことを」
「勘だ。悪いか?」
意地悪っぽく笑むと、少女は不機嫌そうに眉をゆがませた。翼を少し広げると、僕のほうへとふわふわと近づいてくる。翼がボクに触れないよう配慮しているのは、彼女なりの優しさだろうか。翼をはためかせなくても飛べるということは、彼女の翼はまさしく、殺すためだけに存在しているようだ。
「……なんで、ルウ君そっくりの顔してるのよ」
「いざとなれば、主人の影武者ができるようにな」
ボクは指で自分の顎を撫でた。誇らしい我が主。そのご尊顔をボクは模している。なんて幸せなことだろうか。
「……それで、何の用なの?」
ボクが主人に想いを馳せていたら、ボクのその様子が気に食わないのか、少女は話題を変えてきた。ふむ、用か。そういえば、ボクは調べろと言われたのだが、何を、とまでは限定されていない。ならば。
「では、聞こう少女。キミは、異形に恋をすることを是と考えるか否と考えるか、どちらだ?」
「……はあ?」
いきなりの質問に、少女は肩を落とした。
「どうなのだ?」
「……」
この少女はどのように返すだろうか。この質問の意味を考え、主人がその異形である可能性をひらめき、賢く是と答えるのか。それとも彼女の信念から、是と答えるのか。何も考えず感情で否と答えるのか、熟慮したうえで否と答えるのか。楽しみではある。
「もし、お互いに好意があって、お互いがお互いを認め合えるのなら、それはそれでいいんじゃない?」
「キミはどうなのだ?」
「……正直、人の形をしてくれてれば、気にならない」
少女は悲しそうに言った。自分が異形だと思っているのだろうか。背中から絶対致死の翼をはやすことができる以外は、人間と何も変わらないというのに。
「ずいぶんとアバウトだな」
「だって、私だってその異形かもしれないのに。そりゃ、いくら私でもずるずるべちゃべちゃ、不定形のスライムみたいなのと恋愛できる自信はないけど、人の形をしていて、言葉が通じるなら、私はきっと、恋できるよ」
そうか。ボクはつぶやいた。
「ありがとう、少女よ。キミの回答はキミの恋愛において非常に有利に働くだろう」
「どういう意味?」
「さあな。自分で考えろ」
ボクはにやりと笑うと、主人の元へ帰ろうとした。しかし。
ボクが瞬きをした瞬間、少女の右腕がはじけるように吹き飛んでいた。
「……!」
少女は左手で右手を押え、背中を丸めて身もだえする。ボクは努めて冷静に、少女のそばに行き、防護結界を張る。ボクの力はこの世界と相性が悪いらしく、雑多な小火器程度の攻撃しか防げない結界しか張れなかった。……くっ。世界の外に出てからこっち、ボクはロクな働きをしていない。これでは、主人にどう思われているか……。できるだけ非常事態に備えられるよう、ついでに感覚の上昇もしておく。今頃になって、銃声が響いた。
「大丈夫か?」
「い、痛い……。何が……」
「知らん。来るぞ」
ボクがそういったと同時、少女の右後方から防壁に衝撃が来た。
「銃弾……か。狙撃か?」
ボクは留められたものを見てそう言った。かなり大きな銃弾だな。ボクがそう思った時、夜空に銃声が轟いた。
防壁に着弾してから約四秒。距離がおおよそ一キロ強、というところか?
「……っく、ルオ……よくも」
ボクは彼女のつぶやきを聞き逃さなかった。
「なんだって?」
「ルオよ。私を狙ってる連中の親玉」
ボクは驚きすぎて、思わず笑みがこぼれてしまった。
「何よ。私が痛い子だとでも言いたいの!?」
「違う。その名前には聞き覚えがあってな」
あいつ、この世界にもいるのか。全く、どんなめぐり合わせだ。無数にある世界、出会うことなど一生に一度あるかないかのはずなのに。……主人とルオは、そういう星の元に生まれたのかもしれないな。ああ、あの忌々しい吸血鬼共ともめぐりあわせがあったな、そういえば。
「組織の名前を聞かせておいてもらおうか」
今でも、銃弾はやまない。よほど、この少女のことを殺したいと見える。何が目的だ?
「……『イノベート』よ。世界を壊すために、私の力を貸せ、さもなくば死ねって、いきなり現れて……!」
少女は悔しそうに顔をゆがませると、一筋の涙を流した。
「そしてキミからすべてを奪って行ったわけか」
ボクは小さく言った。
「ええそうよ! だから、ルウ君に言って! 私はわけわかんない奴に追われてるから、私のことは忘れてって! こんな手じゃ、もう学校にも行けない……!」
まあ、いきなり友達の腕がなくなっていたら、質問攻めにあうのは目に見えているからな。少女がこう思うのももっともだ。
「では、手が治ればよいのだな?」
ボクは手を振りかざし、少女の手を生やすようにして治す。全く、まるで感傷だな、これでは。ボクも愚かになったものだ。だが不思議と、悪い気はしない。
「うあああああああああああああああああ!?」
まあ、この治療方法は、死んでさえいなければどんな傷もたちどころに治せるのだが、傷を受けた時以上の激痛が全身をさいなむのが、玉にキズだ。この少女も、次は治さないでほしいと懇願するに違いない。
「……ぐうぅ! あ、あんた何を!」
治った右手で、少女はボクにつかみかかってきた。右手でつかめたことに、彼女は驚いた。
「……あれ、私の手が……」
「感謝するんだな。では、少女よ」
「水瀬よ。水瀬世界」
少女と呼ばれるのが不快だったようで、彼女は自分の名前を名乗ってきた。
「ならば水瀬。ボクはこれから主人の所に戻って事後報告をするが、キミはどうする?」
「私?」
不思議そうに少女は、いや、水瀬は聞き返してきた。
「ああ。キミは、来ないのか?」
「……なんで、私がルウ君を危険にさらすようなことを」
「ボクの報告で、主人はキミの多くを知る。だが、キミはどうだ。想い人のこと、もっと知りたくはないか?」
ボクは挑発するように言う。水瀬との出会いで、主人が『人間とは恋できない』という思い込みをなくしてくれればいいのだが。前々から思っていたが、主人は思い込みが激しすぎる。ボクとて主人と結ばれたくないわけはないが、好き勝手できる相手が恋人だと、主人が歪んでしまう可能性があるからな。人とも恋愛はしてもらわなければ。
「……わかった。行く」
「それでいい。主人のことは気にするな。ボクが守る」
そう言うと、ボクはわざわざ浮遊しながら主人の元へと向かう。その間も、銃撃は一向にやまなかったが、防壁を突破するほど強力な攻撃は飛んでこなかった。……ルオはこの場にいないということか。
「では、行こうか、水瀬」
ボクは振り向くと、おっかなびっくり未だに何やら悩んでいる様子の水瀬にそういったのだった。