僕の見た世界
世界に入ってから、しばらくが過ぎた。ここはミリアが望んだような平和な世界で、僕はトレースに言われて、学校に通うことになった。今日は登校初日。転入という形だからなのか、結構緊張する。
「僕はルウ。ルウ・ペンタグラムと言います。今日からよろしくお願いします」
今、僕の隣にはトレースもララもリリーもいない。一人で教壇の前に立ち、自己紹介をしている。彼女たちは彼女たちで僕と同じように、転入しているはずだ。
「よろしくねー!」
一通り自己紹介をしてもらってから、そんな声が教室中で起こる。全部の名前を覚えきれなかったことに、妙な罪悪感を感じる。きっと、こうしてくれるのは僕のことを歓迎してくれているからだろう。僕は一礼すると、先生に差された席に座る。後ろから前から質問され、僕はそれに一つ一つ丁寧に答えていく。答えるのに必死で、質問の内容は詳しく覚えていないけど。
「はーい! 転校生のこと気になるのはいいけど、今は授業中! 集中!」
そんな先生の声で、みんなは少し静かになった。質問してくる人が減ったので、僕は今頃みんな何しているのか考える。
トレースは今、ララとリリーの護衛に従事しているはずだ。ララとリリーはきっと仲良くクラスになじめているんだろう。何も問題なく、普通に。
――暇だなぁ。知りたいことは、こんなのじゃないのに。
僕が知りたいのはもっと違うこと。風習とか、人の生活とか、そんなのが知りたいのに。こんな学校の授業じゃ、何も知れない。
――暇だなぁ。
僕はこの授業をうわの空で過ごした。昼休みになっていたことに気付いたのは、あるクラスメイトが僕に話しかけてくれてからだった。
「ねえねえルウ君。ごはん食べないの?」
「え? ……もうそんな時間?」
僕がそう聞くと、そのクラスメイトはクスリと笑った。そのしぐさが妙にかわいらしい。顔立ちは整っていて、ミリアみたいに絶世というほどではないけど、普通に美人な女の子だ。名前は……なんだったかな。すごく特徴的な名前だっていうことは覚えているんだけど……。
「もう、転校初日で居眠り?」
「起きてたよ。でも、授業が退屈だったから」
「す、ストレートねぇ……」
「ダメかな」
僕がそう聞くと、彼女は顔を赤くした。
「む、な、なんで、そんなに庇護欲そそるような顔を……! ダメじゃないけど、あんまりそういうのは言わないほうがいいよ?」
「そう。ありがとう」
「き、気にしないでねっ!」
そういうと、彼女は友達のところへ行ってしまった。なんだろう、とても不思議な気持ちだった。なんで彼女は、顔を赤くしたんだろう。わからないなぁ。
トレースが作ってくれた鮭弁当をほおばりながら、僕は考える。
……わからないなぁ。
僕はご飯を食べ終わって、チャイムがなっても、そのことを考えつづけた。
――気が付けば、放課後だった。あまりに興味のないことは、無視するように僕のからだはできているようだ。
「ねえ、ルウ君。君ってさ、外国人なの?」
「ん?」
みんなが帰る準備をしている中、一人ぼうっとしていると、一人の女の子が僕に話しかけてきた。確か名前は――。
「ごめん、名前なんだっけ?」
「私? 世界だよ。水瀬 世界」
世界。僕が旅している場所の名前。彼女は、そんな名前だった。
「ありがとう、世界さん。僕は外国人――なのかな?」
そういうと、彼女はずっこけた。頬をひきつらせ、苦い顔をしている。
「いや、質問してるの私だし」
「でも、僕一応日本国籍だけど――ここにいる期間短いし」
「へえ~」
世界さんが興味深そうにうなずいてくれて、少しだけ胸が温かくなった。初めて、人と会話してこんな気持ちになった。
「それでね、僕はずっと旅してて……それで、ここにいる時間が短くなったんだ」
「へえ。小っちゃいころから頑張ってたんだ」
「え? ……ああ、うん」
頑張ってたのか、僕は。生まれた瞬間から、頑張り続けていた。それを認めてくれたことが嬉しくて、僕はどんどんとしゃべっていく。
「……僕がここに来たのは、そんな理由なんだ」
「へえ。旅しててねぇ。つい立ち寄った国がここで、この町で、この学校かあ。嬉しいな、ルウ君がここを選んでくれて」
僕がついたその場しのぎの嘘を、彼女は疑うことなく信じてくれた。罪悪感がこみ上げるけど、それ以上にちゃんと話を聞いてくれたことが、嬉しくて。
「ねえ、ルウ君。一緒に帰ろう?」
「うん」
僕は立ち上がると、世界さんについて教室を出る。
「ねえ、ルウ君は一人暮らし?」
「ううん。家族と一緒」
「へえ。いいなぁ」
僕は世界さんと他愛もない会話をつづけながら、帰り道を歩く。夕日が赤く輝く空に、黄金色に染まる街並み。僕たちはごく普通の住宅街を、二人並んで歩いていく。
「ねえ、ルウ君」
「ん? なあに?」
十字路のところで立ち止まって、彼女は僕に話しかけた。
「もし……世界に特殊な力があったら、ルウ君はどう思う?」
「素敵だな、って思う」
「それが、どんな能力でも?」
「どんな能力でも」
僕ははっきりと口に出して言う。未来を見る能力。心を見透かす能力。瞬間移動をする能力。それらすべては、素晴らしくて、素敵な能力だ。僕は、彼女たちのためにも、特殊な力は素敵だと言って見せる。何度でも。どんな能力を見たとしても。
「……やさしいね、ルウ君は。ありがとう。私、もう大丈夫だよ」
「……世界さん?」
僕は不審に思って彼女に近づいた。それに合わせて、彼女も一歩下がる。
「……信じるよ、ルウ君。でも、裏切ってもいいよ。裏切ってくれたら、もう私、何も信じないだけだから。だから、私を見て、ルウ君」
彼女はそう言って、宙に浮いた。ふわりと、まるでそれが当然であるかのように。
「……それが君の力?」
「ううん。これが、私の力」
彼女の背中から、黒色の翼が広がって、僕の周りを包んだ。
「私の能力は、これ。触れたものすべてに死をもたらす、漆黒の翼」
「……そう」
あと少しで、僕の肌に翼が触れる。彼女の言を信じるなら、触れるだけで、僕は死んでしまうんだろう。でも、少しも怖くなかった。
「怖くないの?」
「別に。君は僕を殺そうとはしないでしょ?」
僕はにっこりと笑って、彼女にそういった。
「……ありがと、ルウ君」
黒色の翼は僕から離れた。ここで僕は初めて世界さんの翼の全貌を知る。黒くて、大きくて、そして禍々しい大翼。大きさは三メートル? 四メートル? それとももっと?
大きさだけじゃない。彼女の翼に触れたカラスやハトが、次々と地面へと落ちていく。生命の輝きが失われたその体を、世界さんは悲しそうな目で見ていた。
「じゃあね。転校初日に、ごめんね」
そう言い残して、彼女はどこかへと飛んで行った。彼女が小さな米粒ほどの大きさになったとき、僕は口を開いていた。
「……トレース」
「呼んだか、主人」
僕は無意識に、トレースを呼んでいた。
「うん。彼女のこと、調べられるかな?」
「無論だ」
「お願いしていい?」
「命令してくれ」
「……それはできないよ」
仲間に命令なんて、僕はできない。
「ならば、お願いを聞くわけにはいかないな」
「なんで」
「彼女は主人のことを好いている。恋敵に塩を送るほど、ボクはやさしくない」
「……」
なぜか、否定の言葉が出てこなかった。どうしてだろう。どうしてなのかな。この世界で唯一出来た友達、それが彼女、水瀬 世界。
それなのに――。
トレースは、彼女が僕に恋しているという。恋ってなんだろう。そんな気持ちは不思議とわかなかった。ただ、悲しいとは感じた。彼女は僕に恋している。それなら、もうただの友達ではいれない。彼女にとって僕は友達でも親友でもなく、片思いの相手。なんだか、それはすごくさびしいことのように感じた。
「……主人、想いには応えないのか?」
「彼女は人間で、僕はそれ以外なんだよ? 絶対に不幸になると思うんだ」
なぜだか、そんな感じがする。僕が生まれた時から言葉を操れるのとおんなじぐらい、当たり前のことのような気がする。
「それで、主人。命令するのか、しないのか?」
催促するように、トレースは僕に言った。僕は一つだけ決心すると、口を開いた。
「……わかったよ、トレース。ごめんね」
「気にするな。言っただろう? ボクは恋人にでも道具にでも友達にでも母親にでも親友にでも奴隷にでもライバルにでも、なんにでもなると。今、仲間としてのボクがいらないと思ったのなら、道具だと思って命令すればいい。そうすればボクは、従う」
トレースの言葉は、いつもなら否定してきた。いつもなら、『君は仲間だよ』そう言って来たのに。
「彼女のこと、少し調べて」
「了解」
僕は、トレースに対して命令をしていた。
彼女が虚空に消えてから、僕は初めて思った。
僕は、こんなにも醜い人間だったのか。今僕は初めて、トレースを自分の『道具』だと思ってしまった。自分が自由に、文字通り好きにしていい相手なのだと、心の底から思ってしまった。そして、そう思わせたのはほかならぬトレース。そう言い訳する自分がいることに、ひどい自己嫌悪を感じる。
「……世界さん」
世界さんが飛んで行った空を見上げて、僕は思う。
あなたの想いには、応えられないよ。だって僕は……バケモノだから。