理不尽なお願い
ミリア。あの子を早く連れていかないと。そうしなければ、ララが……。
僕はある程度の力をつけて、実に三週間ぶりにミリアの世界に戻ってきた。久しぶりの平和な世界。でも、今の僕に平和を楽しむ余裕なんて、全くない。……僕は世界に入るなり、驚きに目を見開いた。
茶色の長い髪に、すらりとした後ろ姿。服も現代風で、振り返ったら顔立ちも何もかもが美しい。そんな見知らぬ女の人が、ミリアのいたアパートにいたからだ。
でもトレースと彼女の話を聞くと、その人は成長したミリアだった。混乱する間もなく、僕は言わなければいけないことを思い出す。
「ねえ、ミリア。ついてきてくれる?」
「お断りします」
僕はあっけにとられた。まさか断られるとは思わなかったからだ。
「事情を説明する」
トレースが切羽詰まった雰囲気で切り出すと、ミリアは首を振った。
「言わないでください。口を開かないでください。もし事情を説明するというのなら、私は私を殺します」
口を開きかけたトレースは、口をつぐんだ。まさか本当に死ぬことはないんだろうけど、雰囲気が本気だった。自殺することはないんだろうけど、僕たちに向かってくるくらいはするかもしれない。
……ミリア、変わってないなぁ。僕は思った。すぐに事を大きくするのも、未来を先回りするような会話の仕方も、子供の時と変わってない。
「私はこの世界から出るつもりはありません。やっとみつけた友人、やっとみつけた親友、やっとみつけた平和、やっと辿り着いた未来。やっと感じた、幸せ。ある意味理想郷でもあるここから離れるつもりはありません」
ミリアは強硬だった。頑なに、この世界から出ることを嫌がっている。……ダメなのかな。僕がそう思った時、ふと思いついたようにミリアが言う。
「……お父さん。つかぬことを聞きますが」
「なに?」
ミリアはちょっと心配そうだった。
「……私はここから出るつもりはありません。が……ララは心配です。ララがどうしたのですか?」
驚いた。心の中を見透かされた感覚が、ララに心を見られた時のようにした。
「ララのこと……知ってるの?」
「いえ。この世界以外のことはわかりませんので。……ただ、ララのいる世界がのっぴきならない状態だということは、お父さんとトレースの話で理解しました」
「なら!」
「……お断りします」
ミリアはララのことを知っても、頑なだった。でも、頑ななのは言葉だけだった。雰囲気はさっきまでの鋭さがなく、敵意に近かった厳しい表情も、今は心配そうな表情に変っている。
「お父さん。私には、今何十、何百という未来が見えています。どの未来でも、アカネから彼氏が出来たという報告を聞くのです。私はこの未来を選びたい……。他の世界の未来は嫌です。見えてもいない未来に賭けることはできません。……でも」
ミリアは早口で言い切ると、それきり何も言わなくなった。
「……ミリア。お願い」
「……」
ミリアは申し訳なさそうに、顔を背けた。
「……行くぞ、ミリア。ララを助けるぞ」
「……」
ぴくり、とミリアの眉が反応したけど、彼女は何も言わなかった。
「……ねえ、本当にダメなの?」
「……黙ってください」
ミリアは苦しそうな表情をして、絞り出すような声で言った。
「なあ、ミリア。頼む」
「黙ってくださいっ!」
ミリアは怒鳴って、トレースではなく僕の胸ぐらをを掴んだ。ぐっ、く、苦しい……。
「ミリア!」
「黙ってくださいって言ってるでしょう!? ちょっとぐらい黙れないんですか、トレースは!」
ミリアはトレースを怒鳴りつけた。ミリアは苦しげな表情のまま、僕を睨む。
「お父さん、どうして平和な時間を害したんですか? 私、今まですごく、すごく幸せだったんですよ? ……それなのにっ!」
ミリアは僕をさらにしめあげる。苦しくて、声を上げることもできない。
「あなたはララ、ララと簡単に言いますが、私の事をちゃんと考えてくれました!? 私、今までこの世界で生きてきて、親友も、帰るべき場所もあるのに! それなのに、また異世界までついて来い!? ふざけているんですかっ!」
苦しい。痛い。けど、これらは仕方のないことなのだと理解した。僕はミリアがついて来てくれるものだと思っていた。……ミリアがどうしてるのかなんて、一切考えずに。
「お父さん、私のことを便利な未来透視機械みたいに考えていませんか!? 私は、血も肉もある人間なんですよ!? どうなんですか!」
僕は一生懸命に首を振る。
「なら、どうしてこんな時だけ帰ってくるんですか!? 何もない時は顔を見せることもしないで! こんな時だけ呼び出して! 聞いてしまってはもう戻れないじゃないですか! ……もう、引き返せないじゃないですか……」
僕を掴む手から力が抜け、ミリアも力なく崩れ落ちて行って、畳の上に座り込んでしまった。僕は呆然としながら、座り込んだミリアを見る。
「……私、この世界から出たくないです。……でも、ララもほっとけません。たとえ一緒にいた期間は短くても……家族、ですから。どうしたら……」
ミリアは苦しそうに悩んでいる。その様子はまるで、つい三週間前の僕のようだった。
「悩んでいる暇があれば、早くいくぞ。ララが……」
「黙ってくださいって! わたかってますよ、ララが危ないってことは! でも、私には私の生活があるんです! この世界から出て、またあの地獄の日々に逆戻りなんて……」
ミリアは怯えたような表情になった。……そうか。あの頃の思い出は全部、ミリアにとっては地獄の日々だったんだ。それなのに、それを知りもしないで、知ろうともしないで、気軽に……連れ出そうとしていた。僕は、なんてことを。
「だが、その地獄の日々にララもいるんだ。助けようとは思わないのか?」
「思ってます! でも、次に帰ってきて三年後で、みんな大学に進学していて、私はまだ高校一年生でした、では笑い話にもならないんですよ!」
ミリアは迷っているようだった。ララを助けるべきか、それとも自分の生活を守るべきか。きっとミリアには、この世界での輝かしい未来が見えているんだろう。この世界を出る、ということはその光を全て投げうつことに変わりない。ララは助けたい。でもまた地獄の日々に戻りたくない。……僕には、そんな二者択一、一度もしたことがない。……だから、ミリアの気持ちはわからない。でも、僕は……。
「ミリア」
「……なんですか? ……いえ、もういいです」
ミリアは力なく頷くと、諦めたように息を吐き、立ち上がった。
「……行きます」
目を手の甲で拭うと、ミリアは短く言った。
「いいの!?」
「はい。確かにここでの生活は素晴らしいです。でも……でも、ララを見捨てて得てしまっては、きっと素晴らしさがかすれてしまうに決まっています。……後悔するに決まっています。愚痴愚痴と、ずっと、ここで行かなかったことを悔やむに決まってます。……だから、行きます」
後悔したくないから。だから、ミリアは僕たちについてきてくれる。……それを、忘れてはならない。
「アカネも、わかってくれます。たとえ、十年離れたとしても、です。……いい親友を、私は持ちました」
そう言うと、ミリアは微笑んだ。
「では、準備をします」
「わかった。できるだけ急いでくれ」
ミリアは鞄から紙を数枚取り出すと、すぐそばにある机の上で何かを書き出す。しばらくすると、それを大事そうに畳み、机の上に置いた。立ち上がり、僕の方を向く。
「さ、行きましょうか」
「うん。何を書いたの?」
「アカネ宛の手紙と遺書です」
こともなげにミリアは言った。
「……」
僕とトレースは何も言えなかった。
「さ、お父さん。扉を出してください」
不思議なまでに冷静なミリアが、ちょっと怖かった。